夢のあとさき
82

目を覚まして体を起こす。ここはどうやらアルテスタの家のようだった。最近こんなのばっかりだなあと自分に呆れてしまう。せめて自分の足でベッドに入るまで、いや宿なりなんなりにたどり着くまで持たなかったのか。
「レティさん……大丈夫ですか?」
ベッドの側にいたのはプレセアだった。じっと見てくる彼女を安心させようと私は微笑んだ。
「うん、ありがとうプレセア。平気だよ」
「痛むところとかは……ありませんか」
「痛みはないな。怪我はもう大丈夫」
「……」
プレセアは相変わらずこちらをじっと見ている。それは私の言葉を訝しんでいる視線ではなく、なんだか困ったように何かを考えているものだった。思わず首を傾げてしまう。
「あの、プレセア?本当に大丈夫だから」
「……誰か、呼んできた方がいいですよね」
「うん?ああ、……いや……」
「待っていてください」
別に起き上がれないわけじゃないから平気なんだけど、と告げる前にプレセアは勢いよく立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
どうしてプレセアがいたんだろうなとぼんやりと考えたまま私はベッドヘッドに背を預けた。交代で見ていてくれたのかもしれない。そうすると悪いことをしたな。みんなも疲れているだろうに。
ややあってドアが開く。そこにいたのはコレットだった。
「レティ!だいじょぶ?怪我は?」
そう駆け寄ってくる彼女にも心配をかけてしまったのだと思うと心苦しい。不安そうなコレットに手を握られて、私も握り返した。
「プレセアにも言ったけど大丈夫だよ。怪我も平気。なんだか体力が尽きちゃっただけみたい」
「ほんとう?怪我とか病気とかじゃないの?」
「うん。戦ってる時もピンピンしてたでしょう」
あまりに心配されるので信用がないなと自嘲してしまう。コレットもそうだったが、私も自分の体の具合を隠しまくってたので自業自得なんだけど。
「コレットは平気?結晶症とか、マーテルに乗っ取られた後遺症とか……」
「私は平気だよ。もうすっかり元どおりになったの」
「よかった……」
コレットに微笑まれて私は肩の力を抜いた。あとはオリジンと契約して世界を統合して、大いなる実りの発芽が済めばコレットは神子としてもう苦しむことなんてなくなるんだ。まだ終わってはいないが、一番の障害であったユグドラシルがいなくなったのだ。少しは安心できるというものだ。
「レティのおかげだね」
「みんなのおかげだよ」
「でも……レティがね、ずっと……私のために悩んだり、考えたり、いろんなことをしてくれたのが嬉しかったの」
コレットは私の手を撫でた。左手にはエクスフィアが埋まっていて、右手には硬い剣だこがいくつもできている。そんな手をコレットの柔らかくて白い手が慈しむように摩っていた。
「私は諦めてたけど、レティはずっとおかしいって言ってくれてたのが嬉しかった。レティがそう思ってくれるだけでよかったの。もしかしたら私が再生の旅を終えたあと、レティが次の神子がこんな思いをしないように頑張ってくれるんじゃないかって思ってた。それなら、最後に私が神子として頑張ればいいんだって」
「コレット……ちがうよ」
コレットはずっとそんなことを考えていたのか。私はかぶりを振る。
「私は神子があなただからそう思ったんだよ。私の優しい友達のあなたに苦しんでなんてほしくなかったから……!」
「……うん。今はね、ちゃんとわかってる」
コレットは私の手に落としていた視線を上げた。あの、イセリアでふとしたときに漂っていたはかなさはもうコレットにはない。もうコレットは生贄としての運命を克服したのだから。
「だから、私も思うの。――レティには苦しんでほしくないって」
ブルーの瞳がまっすぐに私を見る。その言葉の意味が私はわかっていた。……コレットは、まさに今、私が何に苦しんでいるのか理解しているのだ。
「……、それは」
「ねえレティ、レティはクラトスさんのことをどう思ってるの?」
息を呑む。ここで、戦いに赴く前に、ユアンに同じことを聞かれたときはすぐに答えられたのに。なぜか息が詰まってしまったように声が出なかった。
「わたし、は、」
絞り出した声はわかりやすく掠れていた。情けなくて視線を落としてしまう。
「レティ、すごく……悲しそうな顔をしてたの。クラトスさんが戻って来たときも、行っちゃった時も」
「……そう、だったかな」
「ロイドとレティはきっと、違う気持ちなんじゃないかなって思った。ねえレティ……ほんとうは、どう思ってるの?ロイドと一緒じゃなくていいんだよ。レティはレティなんだから」
ロイドと一緒でなくていい。その言葉をコレットから聞くとは思わなくて少し驚いた。コレットは優しい子だ。私とクラトスが実の親子だと知ったなら、仲良くしてほしいと思うだろう。それでも、こう声をかけてくれるのは私のことも考えてくれているからだろうか。
「ずっと……待ってたんだ」
小さな声で呟く。コレットは黙って聞いてくれていた。
「お父さんが、迎えに来るのをずっと。いつか来てくれるって、諦めきれなかった。もう顔も声も思い出せなくても、諦めきれなかったんだ」
そう、私はずっと諦めていなかった。諦めたふりをしていたけれど、心のどこかではいつか父が迎えに来てくれると信じていた。
ユアンが両親のことを聞いてきたとき、胸が高鳴った。やっぱりお父さんは生きているのかもしれないと思って、でも期待するのはつらかったから胸の奥底にしまい込んだ。
「だからね、クラトスが私の父だと気づいたときは悲しかった。どうして迎えに来てくれなかったんだろうって。私のことなんて忘れてしまったんじゃないかって思って」
「……うん」
「会うたびに、なんでクラトスは私たちの父親だと言ってくれないのか分からなくて、苦しかった。今度こそって思ってその度にがっかりした。あの人は認めてくれないんだなって思わされたから」
息を吐く。声がだんだんと震えてきたのがわかった。それでも、話すことをやめられない。胸のうちにためこんだものを吐き出すのは思っていたよりもずっと心地のいいことだと気づいてしまったから。
「ユアンが……クラトスを連れてきて、ロイドを人質に取ったとき、もう手遅れだったことに気がついた」
「手遅れ?」
「うん。もうね、クラトスから自分が父だと言ってくれることはなくなってしまったんだって。待ち続けた私が間違いだったんだって……。大いなる実りの間に向かってるときも、あの人は何も言わなかった。だって、もう、死んでしまうつもり、だったんだから」
そう、クラトスは死んでしまうつもりなのだ。オリジンの封印を解放して、すべてを後に託して。そんなあの人が私は腹立たしかった。そばにいてほしいのに、その願いをかなえてくれることは決してない。
「もう……お父さんって、呼ばせてくれないクラトスなんて……大嫌いだ……!」


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