リピカの箱庭
109

ケテルブルクへ辿り着いたのはもうすっかり日が沈み、夜になってからだった。途中吹雪いてきた中ギンジは非常によくやってくれたと思う。長時間操縦させてしまった彼のことはひとまず休ませて――とかやっているうちにアッシュはさっさと降りてしまう。
「っおい!勝手に行動すんなよ」
アシュリークが追いかけようとするが、アッシュはそう遠くには行かず、近くに停泊していた二号機の操縦士であるノエルに声をかけていた。
「……ギンジ、申し訳ありませんがこの後ももう少し働いてもらうことになりそうです。中で仮眠を取っていてください」
「わかりました、伯爵様」
機関は動かしたまま下船する。アッシュはノエルから情報を聞き出しているようだったが――なぜかルークの姿まで見えた。ノエルが去ると、アッシュは振り向かずにルークに声をかける。
「何の用だ、レプリカ」
「お前が呼んだんじゃないのか。いつもの頭の痛くなる音がしたぜ」
ルークはアッシュに呼び出されたと思ったらしい。ここで聞いていてもいいが、盗み聞きは憚られて私は隠れていたアシュリークを呼び寄せた。
「どうすんだ、ガラン。今結構やばい状態らしいぜ」
「ノイもここまでは来ているのですよね。アレを鳴らしなさい」
「了解」
アシュリークはポケットから小さな笛を取り出した。そう、いわゆる犬笛だ。
街中で鳴らしても気がつく者はほとんどいない。だがアリエッタは違う。野生で暮らしていたことのあるアリエッタは聴覚もひどく優れていた。
数分足らずでイオンとアリエッタは駆けつけてきたが、その顔は不満げだった。
「こんな夜中になんなのさ。というかなんでここまで来てるわけ?」
「アッシュに要請されまして。……と、アッシュ?」
ルークと言い争っているようだったのはなんとなくわかったが、遠目に見た彼がふらついていたので慌てて駆け寄る。ルークも私を見て驚いた顔をしていた。
「ガルディオス伯爵?!それにノイ!ああもうなんでもいい、アッシュを治して――」
「余計なことを言うなレプリカ!」
アッシュはルークの腕を振り払ったが、やはりよろけたので彼の背中に手を伸ばす。こんな怪我をしているなんてなぜ言わなかったのか。
「アッシュ、聞いていませんよ。この怪我でアブソーブゲートに行くなど自殺行為です」
「わかってる!くそっ、おまえがヴァンを討ち損じたときは俺が這ってでも奴を殺してやるからな」
「……わかった。俺、必ず、師匠を止める」
「止めるんじゃねぇ!倒すんだよ!」
ルークに噛みつきながらも顔色は真っ青だ。ルーク自身も自分がいてはアッシュを興奮させるだけだとわかっているのか、それとも――アブソーブゲートに待ち受けているものに想いを馳せているのか、やや顔色を悪くしてこちらに向き直った。
「ガルディオス伯爵、ノイ。アッシュをお願いします」
「そちらは任せました。……ルーク」
ルークは頷いて踵を返す。息を荒くするアッシュにイオンがすかさず治癒術をかけた。
「全く、傷口が開いてるじゃないか。何しにきたの?足手まとい?」
「うるせえ!おいレティシア、ラジエイトゲートに行くぞ」
よくわからないが、鬼気迫るアッシュをなだめるためにとりあえず頷く。ちらりとイオンを見ると肩をすくめられた。
「ヴァンのやつがパッセージリングを操作して地殻を活性化させたのさ。ラジエイトゲートに行く時間がないかもしれない」
「ですが、我々ではゲートを……いえ、そういうことですか」
パッセージリング自体は動かすことができないが、それは理論上アブソーブゲートからの遠隔操作も可能なはずだ。それくらいカーティス大佐なら思いつくし、実行できる。
アッシュがしたいのは、足りない可能性のある超振動の力を補うことだろう。それならば、アッシュ自身がラジエイトゲートに行くことだけで十分だ。
「わかりました。ひと先ずアルビオールに戻りますよ。ノイ、アリエッタ、あなたがたもこちらに」
「了解」
「わかりました」
アシュリークと二人でアッシュの体を支えながらアルビオールに戻る。こんな寒い中外に出ていたせいか、アッシュは発熱もしているようだった。
「アブソーブゲートに行かないという判断は賢明ですが、それにしても無茶をしましたね」
「……うるせえ。おい、とっとと治せ」
「患者の態度じゃないね。まあ死なれても困るから治してやるけど」
上から目線の物言いのイオンの顔は真剣だ。イオンがアッシュを治療している間、アリエッタから大体のあらましを聞くことにする。
アッシュの怪我はヴァンデスデルカに負わされたものらしい。ベルケンドにスピノザの検証結果を聞きに行ったところで研究を引き上げている神託の盾兵一行と遭遇し、そこでアッシュがヴァンデスデルカと戦っていたのだとか。……そういえば、そういう話だった。いけないな、もう覚えていないことが多すぎる。
「六神将はどうなったのです?」
「シンクとラルゴとカヴァティーナは雪崩に巻き込まれて……」
「ふむ。リグレットはあの時始末できたのでしょうか。どちらにせよ怪我で動けないと思いたいですが」
ラジエイトゲートで待ち構えているなんてことはないだろう、多分。あるとしたらまた譜眼を使うはめになるかもしれない。アッシュも手負いなのだし、六神将とはかち合いたくないものだ。
「……シンクは死んだのかな」
アッシュに治癒術をかけていた手を止めたイオンが顔を上げる。……シンクのことも、気にしているのか。
「はっ、劣化品なんぞどうでもいいだろう」
「元同僚に向かってひどい言い草だね。……自分のレプリカにそう言うのは勝手だけど、僕のレプリカに失礼な言い方はやめてくれない?」
冷たく吐き捨てられた言葉にアッシュは目を瞬かせた。私もついイオンの顔をまじまじと見つめてしまう。
「あなた、シンクを」
「……僕と同じ顔で迷惑行為を働かれたら困るだけだよ」
「そういうことにしておきましょう。しかし……」
おそらく、シンクは生きているだろう。というか、六神将は全員生存の目がある。しかしそれを今ここで言うのは不自然だったので口を噤む。
アッシュも体を起こしてイオンを見つめていたが、その表情はひどく苦しげだった。もしかしたら同じ被験者としてイオンに親近感を抱いていたのかもしれない。だが、レプリカへのスタンスは違ってしまっている。
「アッシュ、ラジエイトゲートに着くまで少しでも休んでいなさい。ギンジ、負担をかけますが操縦は頼みます」
「はい、伯爵様。世界の危機なんです、これくらいはなんてことないですよ」
ギンジはにこりと笑ってゴーグルを装着した。さて、あとは時間との勝負か。無事に間に合えばいいのだけれど。


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