リピカの箱庭
107

障気蝕害の治療というのは一朝一夕に終わるものではなく、痛みや発作を抑える薬はあっても進行を遅らせることは難しい。
「ティアのこの状況じゃあ短期間の治療ではあまり意味を成しませんね。医者としてはすぐにでも入院を勧めたいところですが」
ルグウィンが冷静に言う。しかしそれでは地殻降下が間に合わない可能性があるというのは全員が承知していることでもあった。
「治療するのにはどれくらい入院する必要があるんですの?」
「最低でも半月は必要です」
「半月……」
場の空気が沈む。障気蝕害を取り除けるという希望があったのに結論がこれでは仕方のないことだろう。
「ベルケンドでも薬は出してもらったんだよね、ティア。見せてもらっても?」
「ええ、はい」
ルグウィンの言葉にメシュティアリカは頷いて薬を取り出した。処方箋を見てルグウィンは呟く。
「これならうちでも処方できるかな。いや、こっちの薬だったら……」
「ルグウィン、ローレライの鍵は?」
イオンが腕を組む。「ローレライの鍵?」ルークが首を傾げた。
「確か、ユリアがローレライの力を借りて作った譜業武器だわ。それがどうしたの?」
「研究所で作ってるんだよ」
「ローレライの鍵を!?」
「そこまで大それたものじゃないけど、コードネームがそうなんだ。体内の障気濃度を急速に下げる技術とでも思ってくれればいい。あれはまだ研究段階で実証も済んでないからなあ……いやしかし……」
そう、私とイオンがうっかりローレライの鍵という名前を出してしまったばっかりにそんな大層な名称になってしまったのだ。今後ややこしくならないことを祈る。
しばらく考え込んでいたルグウィンは顔を上げて私を見た。
「ガラン、いくら使っていい?」
この場でそんな訊かれ方をしたら答えは一つだ。
「いくらでも使いなさい」
「わかった。数日くれないかな。半減は難しいかもしれないけど確実に減らせると思う。第七音譜術士が必要だからノイ、手伝って」
「わかった」
「何とかなるのか?」
ルークが身を乗り出す。ルグウィンは冷静に頷いた。
「急いで実証を済ませます。ティア、このあともう少し検査に付き合って」
「わかったわ。でも……」
「伯爵さまの許可が下りたんだから大丈夫。何があっても間に合わせるよ」
ルグウィンもメシュティアリカとはホドグラドでの付き合いがある。彼女を犠牲にして大陸降下を成し遂げるのには否定的なのだろう。彼がこれだけ言うのならある程度の成果は出そうだ。
「しかし、ローレライの鍵ですか……」
カーティス大佐が含みを持たせて呟く。いや、フォミクリーの生みの親にそんなふうに言われたくはない。一番やばい技術を生み出したのはカーティス大佐なのだから。
「ここには始祖ユリアをも畏れない伯爵様がいるわけだからね」
「伯爵さまは預言だってちっとも信じていないですからねえ」
「あなたたち……」
しかしなぜかイオンとルグウィンもカーティス大佐に同調してしまった。この間から私への当たりが妙に強くないだろうか。そんなめちゃくちゃなことをしてきた記憶はないのだけど。預言も詠まれてこなかっただけでそこまでないがしろにしてきたつもりはなかったのだが、ルグウィンにはバレていたらしい。……イオンの一件のせいだろうか。
「ガルディオス伯爵は頼もしいですね。では、しばらくはこちらに滞在する必要がありますね」
「スピノザの検証待ちもありますから焦る必要はないでしょう」
「イオン様もお体を休めてくださいね!」
導師の言葉にカーティス大佐も頷く。アニスが導師の顔を覗き込むが、今のところそう不健康には見受けられなかった。イオンが封咒を解く役割をしている効果もある程度あるのかもしれない。
「あ、導師様とルーク様も検査していかれます?」
レプリカへの興味が深々といった顔でルグウィンが眼鏡を光らせる。ルークと導師は顔を見合わせた。
「特に導師様は協力していただけると……」
「たしかに、オリジナルとレプリカが揃うのってあんまりないからね。いいサンプルだ」
「そんな、実験体のようにおっしゃるのはいかがなのかしら」
ナタリア姫が憤慨したようにルークと導師をかばう。うん、当事者だとしてももうすこし言い方というものがあるだろう、イオン。
「うーん、検査をしたらイオン様の体質が改善することってありうるんですか?」
一方でアニスはちょっと期待しているふうだった。レプリカの体質改善か、それはあまり考えたことがなかったな。
「可能性がないとは言い切れませんが、どうでしょうね。いかんせん完全なレプリカに関しては我々に知見は少ないのです。本研究所では生体フォミクリーは義肢の製造までとしていますから」
「それでは、僕たちの検査を通じて何か分かることがあるかもしれませんね。僕は構いませんよ」
「俺も、少しなら……」
導師とルークが承諾する。完全なるレプリカに手を出さないとしている以上、被験体をよそから手に入れることしかかなわないというのもアウト寄りの話なのだけれど、ここは目を瞑っておこう。特にルークは今後どうなるかわからないのだし。
「それにしても、義肢の製造か。レティはそういう観点でフォミクリーの研究を推進していたのか?」
「役に立てる道を探していただけだよ」
ガイラルディアの言葉に私は苦笑する。そんな立派なものではない。あったら何か今後の役に立つかも、という考えだけだ。障気蝕害の治療もフォミクリーを応用しているため意味はあったと言えよう。座るメシュティアリカを見下ろす。
まだ浮かない顔をしている彼女は、ぼんやりと焦点の合わない瞳でどこかを見つめていた。


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