リピカの箱庭
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結果的に言えば、シェリダンに寄ったのはかなり大収穫だった。
スピノザを始めとした研究者に加え、アルビオール三号機までゲットしてしまったのである。正式に言えば降下した大地に対する救援作業のためという理由で借り受けたのだけれど、シェリダンからグランコクマに戻るのもこれで楽々だった。思いのほかシェリダンからこちらに来たいと希望した研究者が多かったので何往復かしてもらい、スピノザについては軍ではなくホドグラドの騎士団から監視をつけることにした。
元々ホドグラドの研究所には騎士団の警備が存在しているし、指揮系統がごっちゃになると面倒だ。あと軍人全てが信用できるわけではないので、研究という機密に関わるのはこっちの手の身元の確かな騎士の方がいい。
叔父様自身については傭兵団があるからと流石に騎士の誘いは断られたが、逆に言えばキムラスカで動かせる駒は残ったということだ。ジョゼットはあっさり戻ってきたが、「会いに行くことならいつでもできますから」と吹っ切れたようだった。
とまあ戻ってからもばたばたとやっていると、陛下から地殻の振動の中和作戦については成功したと連絡が入った。今は地殻の降下のためパッセージリングを操作する段階ということである。
「卿のおかげでルグニカ大陸に取り残された者たちの救援も進んでいる。ホドグラドの研究所の者たちは働きづめになってしまったがな」
「シェリダンやユリアシティからも研究員を増員しましたし、大学の人手もあります。ずっとこうはいきませんが、しばらくは保つでしょう」
魔界に落ちたルグニカ大陸に取り残された者たちで障気蝕害に侵された者は少なくない。その辺りの支援と、同時にケセドニアへの対応に結局私も駆り出されていた。すっかりホドグラドの元鞘に収まってしまった感じなのだけれど、非常事態だから仕方ないということで許容されているのだろうか。
「大陸の降下が済んだ後のためにも体制を組まなきゃならんからな。障気がどうにかなればいいんだが……」
「その検討にはこちらの研究所では少々人手が足りませんね。ベルケンドへも協力要請が必要になるかと」
となると、スピノザをホドグラドに連れてきてしまったのは失敗だったか。一応障気蝕害の治療法の簡易化にも役に立ってはいるのだが、本来は物理学者という話だし。
「ベルケンドか。困るのはキムラスカも同じだからな。一度ジェイドの意見も聞きたいところだな」
「何か案があるのでしょうか?」
「何か出してきそうだろう」
「はあ……そうかもしれませんね」
陛下の信頼は謎だが妙な説得力がある。しかしパッセージリングの操作に忙しい彼らがわざわざグランコクマに寄ってくれるだろうか――その懸念は割と早く払拭された。

「伯爵さま!ノイとアリエッタが帰ってきました!ティアも!」
ばたばたと駆け込んできたエゼルフリダに私はホドグラドの執務室で瞬いた。ここまで誰も止めなかったということは、誰かに言われて私を呼びに来たのだろうか。
「ガイラルディアもですか?」
「はい!ガイラルディアさまも一緒です!リークが伯爵さまを呼んできてって言ってました」
「アシュリークが対応しているのですね」
アシュリークは今日は塾に顔を出していたはずだ。そしてエゼルフリダも塾に行っていたので、そこでガイラルディアたちとかち合ったのだろう。
しかし一体何の用だろう。の、前に。
「エゼルフリダ、部屋に入る前は何をしなくてはなりませんでしたか?」
「あ、ノック……」
「そうです。次からは気をつけなさい」
「はい!」
ペンを置いてよいこの返事をするエゼルフリダの頭を撫でる。どうやらアシュリークは彼らを応接室に通してくれているようなのでそちらに足を運んだ。
応接室の前のアシュリークはどこか不機嫌そうだったが、どうやら彼の中ではアクゼリュスの印象が強くてルークたち一行をよく思っていないらしい。
「また面倒ごとを持ってきたに違いないぜ」
「そもそも、今は面倒ごとだらけですからね」
原因が彼らというわけでもなし、私は肩をすくめてみせた。アシュリークはどこか納得がいかなさそうに眉根を寄せる。
「危険な目に遭うもんじゃないですよね?」
「さて、話を聞かねば分かりません」
「伯爵さまは軍人じゃないってのに。この間はエドヴァルド様がいたからよかったものの」
「どこへ行くにしても騎士はつけますから安心なさい。中に聞こえますよ」
「聞かせてんですよ」
少なくとも地獄耳をお持ちの軍人殿には聞こえているだろうけれど、アシュリークとしてはわざとだったらしい。そこまで心配しなくてもいいのに。
だらだらと話をしているわけにもいかないので応接室に入る。エゼルフリダの言った通り、イオンとアリエッタも揃っていた。
「地殻からの脱出は上手くいって何よりです。本日は何の用でしょう」
「僕から一つ。そこの大佐から一つ」
「ふむ。ではノイ、あなたの用事から聞きます」
「ティアが障気蝕害に罹ってる」
私は瞬いてメシュティアリカを見た。そうか、そうだった。その問題が表面化するのが今だったか。
「地殻が汚染されてるせいで、パッセージリングを動かすとティアに障気が取り込まれてしまうんです。伯爵の研究所で何とかなりませんか!?」
ルークが必死に訴えてくるので、私は軽く頷いた。
「程度によりますが、障気蝕害の治療は我が研究所で扱っています。検査を受けられるよう取り計らいましょう。メシュティアリカ、無理はしないことです」
「伯爵さま……」
そう告げてもメシュティアリカの表情は暗いままだ。一方でルークは胸を撫で下ろしていた。よっぽどメシュティアリカのことが心配だったのだろう。
「無理するなって、あんたには言われたくないだろうけど」
「さて、カーティス大佐の用件は何です?」
私はいいんだとは言わずにイオンのつぶやきを流してカーティス大佐に向き直る。こっちの用件は障気の隔離案についてだった。
「シェリダンの研究者にあなたがスピノザの亡命を受け入れたと聞きましてね。専門家にこの案の検討をしてもらいたいのです」
「ああ、スピノザを使いたいのですね。それも話を通しておきましょう。いえ、今から研究所に行きますか」
どちらにせよ研究所に行く用事である。アシュリークに馬車の用意をするよう指示を出した。
それにしても、陛下の言った通り大佐から案が出てきてしまった。さすがと言うべきか何というか。伊達に天才と幼馴染やってないんだなと感心してしまう。
「それにしても、スピノザのみならずアルビオール三号機まで持っていかれるとは思っていませんでしたよ」
「使えるものは使いますとも。アルビオールもギンジも大変役に立ってくれています」
救援活動にはもちろんだけれど、こちらでも別途データは取っている。他に飛行譜石が見つかれば再現も可能なんだけどな。やはり機動力に優れた飛晃艇はかなり便利だ。
「本気で街作るんじゃない?やっぱ」
イオンが肩をすくめる。それもできればいいんですけどね。


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