リピカの箱庭
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シェリダンの街に戻るともう神託の盾の兵たちは撤退していた。やはり被害は免れず、犠牲になった研究者もいたがこれでも抑えられたほうだろう。……そう思わなくてはやっていられない。少し休んだ後に叔父様と被害状況を確認していると、執務室のドアがノックされた。
「すまんの、ここにガルディオス伯爵がいらっしゃると聞いてな」
「あなたがたは……」
「ヘンケンさんにキャシーさんか。後ろの方は存じ上げないが」
シェリダンの研究者――ではなく、ベルケンドから避難してきた人たちだったっけ。たしかシェリダンとベルケンドの研究者たちは互いに対抗心を抱いているとかいう話だった。
そして彼らの後ろにいる老人もまた研究者なのだろうけれど、私には面識がない。叔父様も知らないようだった。
「こいつはスピノザ。神託の盾についた技術者だ」
「神託の盾に……!?ではシェリダンが襲われたのは、その者の手ということか」
「そういうことよ」
スピノザって……確か、ヴァンデスデルカ配下の研究者だったか。彼がベルケンドの技術者を裏切ってここの襲撃の原因になったとして、どうしてここに残っているのだろう。
「それで、フェルナンド殿でなく私に話とはなんでしょう」
しかも叔父様ではなく、ガルディオス伯爵と名指ししてきたのも妙だ。尋ねると、ヘンケンという研究者はこちらを見てこう告げてきた。
「こいつをマルクトに亡命させてやりたいんだ」
「……おっしゃる意味が分かりかねます。その者の密告が原因で今回の作戦は失敗してもおかしくない状況でした。それを、マルクトで匿う理由はありません」
ヴァンデスデルカと繋がっている可能性のある研究者をここに残しておくことが危険なのは分かる。それに、襲撃の原因となったならなおさら他の住民たちに恨まれ私刑に処される可能性もあるだろう。この状況下でキムラスカ軍の手も遠く、叔父様の傭兵団が駐在している影響で一種の治外法権のようになっているのであり得ない話ではない。
「そこをどうか、こいつにやり直す機会を与えてはくれないか。こいつは今回のことを反省しているんだ」
「そうでしょうか。そこのスピノザと言いましたか。己の弁明は己の口でなさい」
ヘンケンさんとキャシーさんはスピノザを振り向く。スピノザはぎゅっと拳を握って顔を上げた。
「申し訳ないことをしたと思っておる……一度のみならず、二度も仲間を危険に晒し、あなたたちがいなければ今度こそ仲間たちが死んでいたところじゃった。説得されてわしは間違っていたと気づいたのじゃ。頼む、マルクトのホドグラドにも研究所があると聞いている。そこで今度は人のためになる研究をさせてはくれないか」
二度も、というのが引っかかったけれど、そういえばベルケンドの研究者がこちらに来ていたのはこの男のせいもあったのだっけ。アッシュが傭兵団と一緒に避難するよう手引きしてくれたのだと聞いている。
スピノザの罪状はともかくとして、この男の頭脳が有用なのは確かだ。元ベルケンドの研究者、フォミクリーにも関わっている。上手く扱えば研究が進むことは確かだ。
あと、障気の問題にも役に立ったような気がする。私は少し考えてから答えを出した。
「条件があります」
「な、なんじゃ」
「そこのお二人、ヘンケンさんにキャシーさんと言いましたか。あなたがたが共にホドグラドへ来てスピノザの監視をするというのなら許可しましょう」
仲間だとか言っていたので、もともとチームだったのだと推察される三人をまとめてゲットできたほうがお得だ。私が告げると二人は驚いた顔をした。エドヴァルドも耳打ちしてくる。
「レティシア様、よいのですか?このような者たちを招き入れて……」
「もちろん軍からも監視をつけるように陛下に要請します。ですが今はこのような状況です。特に障気の緩和あるいは消滅は必要なのですから、使える頭があるのなら有効に活用しましょう」
スピノザを生かしておくならシェリダンやもともと神託の盾配下だったベルケンドよりはホドグラドのほうがずっとマシなのも確かである。エドヴァルドは微妙な顔をしたが、「わかりました」と頷いた。
「さて、どうしますか?三人で来るというのならあなた方は一蓮托生。今度は裏切りなどという生易しい言葉で済むと思わぬことですよ」
ついでに危機感も持ってもらおう。今度は自分の裏切りで確実に残りの二人が死ぬと脅せば、スピノザもこの様子なら軽挙を慎むだろうし、二人の監視の目も厳しくなるだろう。高齢なのが少し気がかりではあるが、あといくらかすれば少なくともヴァンデスデルカ配下の研究者からのちょっかいはなくなるはずだし。
「俺は構わない。キャシー、どうする」
「私もいいわ。一緒に行きましょう、スピノザ」
「ヘンケン、キャシー……」
スピノザが目を潤ませている。これで研究者は確保できたな。元所属のベルケンドへも言い訳が立つし。
ユリアシティからも技師を呼び寄せられるし、それともう何人かシェリダンから見繕っておきたい。これはベルケンドの研究者ではなくシェリダン側の技師であるイエモンさんに話を通すべきか。叔父様にも協力してもらおう。
思わぬ収穫にむしろ得したなと思っていると、「そういうたくましいところも姉上に似ているな」と叔父様が楽しそうに笑っていた。


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