深海に月
21

ヨーデル含めて、世界の首脳陣が集まる中で凛々の明星の案は採用された。
魔導器がなくなる、というのが本当にいいのかわたしにはわからない。剣持つひとは魔導器を捨てることを是とするだろうか?あの人は、一体どこに戻りたいのだろうか。
星喰みが現れたときは、「前」の記憶にあった。魔導器文明が栄えた時代。ひとと始祖の隷長が相争う、不毛な戦争があった。剣持つひとが見ているのはエアルが乱れたあの頃ではない。そのずっと前、始祖の隷長がひとと共存していた頃だろうか。
でも、始祖の隷長は精霊になりつつある。わたしたちはもう戻れない。人を滅ぼしても、魔導器を捨てても、行き着く先は過去とは違う未来だけだ。
「レティシア」
名前を呼ばれてはっと顔を上げた。フレンが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫かい?殿下との話は明日にしようか」
「ううん。平気です」
ヨーデルだって忙しいはずだ。わたしもなんとなく会議に同席していたけれど、別に何をするというわけでもない。魔導器のネットワークを作るとか、精霊の力を届けるための武器を作るだとか、そういう手伝いはできない。それでもあそこにいたのは単純に、わたしが満月の子だからだろう。
それもエステルとは違うものだ。オーマを見て、みんなはどう思ったんだろう。わたしをなんだと思っているんだろう。ヨーデルは、わたしをどう扱うんだろう。
そう考えながらヨーデルの待つ部屋へ向かう。ヨーデルはえらいので、準備されていた部屋も一番豪華なところだ。と言ってもお城なんかよりは全然見劣りするのだけど。
「レティシア。久しぶりですね」
ヨーデルはにこりと微笑む。部屋の中には他にエステルもいた。先に何か話をすることがあったんだろうか。エステルに呼び寄せられて、わたしはエステルの隣に腰かけた。
「いろいろトラブルがあったみたいですね。君がいて助かったこともあったと聞きました」
「……はい。でも、オーマのこと……」
「君がどこから来たか、という話ですね」
わたしは、嘘は言っていなかった。でも隠していたことにはなるだろう。騙していたも同然だ。俯いて手首に手をやる。服の上からフレンがくれたブレスレットをぎゅっと握った。
「ザウデ不落宮は満月の子の力で稼働する魔導器だったと聞いています。レティシア、オーマがあの下に閉じ込められていたのは、そのことに関係するんですか?」
エステルの問いに頷く。今更隠すことはできないのだから。
「はい。ザウデは満月の子の力で稼働する、です。でも千年前、そのことに賛同する人だけではないでした」
こちらにいた桃色の髪のひと。向こうにいた同じ色の髪のひと。わたしはこっちで、エステルは向こうだ。千年前には確かに断絶していた。
「始祖の隷長と協力するひとたち、オーマを……ザウデを動かすのに反対するひとを幽閉する、しました。それがわたしのいた『街』――十六夜の庭です」
「十六夜の庭……」
「ではレティシアは千年前の満月の子の末裔なんですね?」
ヨーデルに尋ねられるが、それにははいともいいえとも答えられる。わたしは「前」のことを覚えているからだ。
「えっと……むかし、オーマの王の剣が存在したです。リゾマータの公式……」
リタさんが言っていたことを思い出す。エステルのところに遊びに行ったらすごく詰め寄られたのだけど、わたし自身は別に理論を理解しているわけではないので申し訳なかった。
「剣は、王の娘でした。『街』では実験ありました。わたしは『調整』されて、剣の記憶と力を継承したです」
つまり「適応」する個体を生み出すためにかけ合わせるような真似をあの「街」ではやっていたということだ。生きているのか死んでいるのか、自我が曖昧なひとたちがああやってしか生きられなかったのはいろんな原因があったのだと思う。
オーマの支配、逃れられない閉鎖的な庭。わたしという、満月の子の力を強く発現する個体が生まれたのは必然だった。外に出られたのはかなり幸運だったんじゃないかと思う。
「記憶を継承?そんなことできるんです?」
「オーマという者もどうやってか千年も生き長らえていました。古の技術を継承していたのならあり得るのではないでしょうか」
フレンの言葉にわたしも頷く。古代ゲライオス文明と呼ばれている、「前」の技術は今よりもずっと優れているようだったから。
「では、レティシアは千年前のことを覚えているんですね」
「はい、でも全部じゃないです。何度も継承する、摩耗するです」
「そうですか……」
ヨーデルは考え込むようにして、それからわたしをじっと見つめた。その瞳が為政者のそれであることに、思い出したわたしは気がついていた。
「ならば、君を自由にすることはできません。帝国の――皇帝の庇護下にいてもらわねば」
「ヨーデル!それは……」
「エステリーゼ、心配しないでください。何も軟禁しようという話ではありません。そんなことをしても意味がないというのは分かっていますから」
「う、そうですけど」
ヨーデルの判断にわたしが反対することはできない。これはわたしが「外」に居続けるためには必要なことだ。それに、改めて思うとわたしは野放しにするにはちょっと危険すぎる存在だ。
満月の子の力を持つだけでも厄介なのに、古代文明のことも知っている。ついでに言えばリゾマータの公式の力も使える。わたし自身に何かをする気がなくっても、利用されることだってあり得るのだ。エステルだってアレクセイという人にその力を利用されたのだし。
「ひとまずはこの町で騎士団下の治癒術師としての活動を続けてもらって構いませんよ。帝都にいた頃よりは楽しそうで安心しました」
「えっ、いいです?」
「今は帝都も体勢が整っていませんから。こちらにいてもらったほうが都合がいいのです」
ヨーデルがあけすけに言うのにちょっと驚いたけれど、わたしが「前」の記憶を持つことも考慮してくれているんだろうか。それだけの責を負うとしても、一人前扱いされるほうがありがたかった。
ならば、こちらもちゃんと応えるべきだ。わたしはソファから立ち上がってその場に傅いて首を垂れた。今のやり方はわからないけれど、王への礼儀くらいはわきまえている。
「ヨーデル・アルギロス・ヒュラッセイン殿下。オーマの娘が感謝を奉る。この身は監視者の許にあり、この力は帝国に仇をなさぬとここに誓約せん」
「十六夜の子、レティシア。あなたの誓約を受け入れ、我が力をもってあなたを庇護すると約束しましょう」
ヨーデルの言葉に顔を上げる。エステルとフレンはすこし驚いた顔をしていたけれど、ヨーデルだけは相変わらず穏やかに微笑んでいた。顔に出ないタイプというか、隠すのがうまいんだろう。
とりあえず、「外」にいる許可――ここにいる許可はヨーデルから得られた。そのことにほっとする。わたしはもう、戻れないのだから。


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