リピカの箱庭
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エンゲーブの住民全員の避難が完了した後、最後にやってきたカーティス大佐は険しい表情をしていた。
「どうやらナタリアたちは陸路でケセドニアに向かったようです」
「ケセドニアに?何故だ?」
「キムラスカ軍の総大将であるアルマンダイン伯爵への交渉のためだそうです。そも、アルマンダイン伯爵はローレライ教団から正当性証明を得るためにケセドニアへ移動したのだとか。フリングス少将から連絡がありました」
「ということは戦場を突っ切っているということですか!?なんて危険な!」
メシュティアリカが悲鳴を上げる。私としても同意見だ。いくら導師がいるとはいえ、キムラスカの王族二人が戦場を移動するなんてリスクが高すぎる。とはいえやってしまったものは仕方ない。
「こうしちゃいられない。急いでケセドニアへ向かおう」
「ええ。ガルディオス伯爵のおかげでこちらの対応は迅速に完了しました。可能なら戦場でルークたちを拾っていきましょう」
カーティス大佐がちらりとこちらを見る。私は言わんとすることが分かってうなずいた。
「陛下にはお伝えします」
「よろしくお願いいたします。行きますよ、ガイ、ティア」
「はい。伯爵さま、これで」
「レティ。ごめん、約束はまた今度だ」
「気をつけて」
ガイラルディアとは軽くハグをして別れる。仕方ない、この状況では一刻も早く戦場のルークたちを見つける方が先決だ。あっという間に飛び立っていったアルビオールを見送ってから私はアシュリークを振り返った。
「陛下に伝達を。近衛に連絡をつけてください」
「分かりました。一旦ホドグラドの屋敷に行こう、ガラン」
「どちらかというと研究所に行きたいですね。そっちで待っていてもいいですか?」
「あー。わかった、研究所ならいいか」
アシュリークに促されてホドグラドのグランコクマ側のはずれに立つ研究所へ向かう。街の中は雑然としていてプレハブの建物が目立ったが、治安の悪化は見られない。とはいえこの状態を保つのが大変だ。早いところ戦争も地盤沈下問題もどうにかしなくてはならない。

研究所に着いたところでアシュリークとは別れ、私はルグウィンを呼び出した。
「何の用?」
……はずだった。現れたのはなぜかイオンだ。こっちにもちょくちょく顔を出しているらしい。
「ルグウィンはどうしました?」
「あいつなら仮眠中」
「では起こすのも忍びないですね。あなたは何をしているんです?」
「あいつの手伝いだよ。障気蝕害の治療」
ホドグラドにはアクゼリュスからの避難民もいる。私以外にも障気蝕害の患者は何人もいた。アクゼリュスでも研究手伝いをしていたイオンにはその辺りの心得もあるらしい。
「ていうかアシュリークは?護衛もつけないで何してんのさ」
「アシュリークは今陛下に報告に行ってもらっています。エンゲーブ住民の避難は完了したのですが、どうやらナタリア姫たちが戦場を移動しているようで」
「はあ!?」
「ガイラルディアたちが飛晃艇でそれを拾いに行きました。ケセドニアでキムラスカ側と交渉をするようですが……」
うまく行かないはずだ。ナタリア姫の出自を大詠師がばらすのがここだったはず。信者からの情報をそんな風に使うなんてまあ、宗教に携わる人間というのは恐ろしいものだ。
「じゃあ停戦になるかな。いや、教団がどう出るかわからないか。あの導師はお飾りだし」
「そのあたりは……キムラスカの王族の方々に期待するしかないでしょう」
ガイラルディアが戦乱のさなかに戻っていったと思うと落ち着かないが、ルークを見捨てることはしないのだから仕方がない。はあ、とため息をついた。
「どちらにせよしばらくはここから手出しできませんからね」
「……ふーん?最近ジョゼットの姿を見ないけど?」
何か企んでいるのではないかと暗に問われて、私は肩を竦めた。
「戦争を予測できたなら保険くらいはかけますよ」
「じゃあやっぱりキムラスカに?」
「火種があるのはあちらですから」
そして手が届かないのがキムラスカである。保険と言っても微々たるものだ。まあ、本命はバチカルではない。
「でもジョゼット一人行かせても無駄じゃない?なにか繋がりがあるわけ?」
「私にはさしてありませんよ」
「……マルクトに知られたらマズいやつか」
「さて。どうでしょうね」
別に知られたところでどうということもない……と、思う。ただ動かせるか確証はないし、そこはまあジョゼットの頑張り次第というところだ。一番可能性の高い手を打ったということで。
「それよりもノイ、ルグウィンはまだ起きて来なさそうですか?」
「まあ、徹夜してたっぽいからね。あんたがまた無理難題持ち込んできたんだろ?シミオンのやつも楽しそうだったよ」
無理難題を楽しめるあたり、この研究所にはそれなりのマッドサイエンティストが集まっていると思う。いや、私としてはホワイトな運営を目指したいのだけれど。人体実験やってた時点で無理か。
「音素の拡散だっけ。今度はローレライの宝珠の真似事?」
「ローレライの宝珠?」
イオンに問われて首を傾げた。なんだっけ、聞き覚えがある……。
「ユリアがローレライの力を借りて作ったっていう武器だよ。あんたならローレライの力なしで作れるかもね」
「始祖ユリアに並ぶつもりなどありませんよ。ただ、障気蝕害の治療に役に立つと思ってですね」
「ああ、今のだと拡散速度が遅いってこと?そこがボトルネックになってるってのは確かだけど、同時に障気と結合した第七音素をどう吸収するかも考えなきゃだろ」
「拡散と集結ですか」
「まさにローレライの鍵だね」
そう考えてみると確かに無理難題だ。しかしそこまで大規模でなくとも、人体一つに作用する程度なら今だってある程度は実用化できている。ちょっと範囲を広げるだけでいい。
「ローレライの宝珠ほどではなくとも、響律符として音素の拡散機能を持たせれば譜術の威力低減にもつながりますから」
「戦に使えるやつか。マルクト的にはあんまり嬉しくないんじゃない?譜術を使ってるのはこっちなわけだしさ」
イオンの言いように私は唸った。軍事転用したくなくとも、効果があれば使われるのが世の常だ。戦争は技術を発展させる。いや、こればかりは身を守るために使ってほしいのだけど……万一キムラスカに奪われたときのデメリットも大きい。
停戦まで持っていこうと言っているのに、キムラスカが「敵」であるという認識はこういうときに邪魔だ。私は首を横に振った。
「戦のない世になるのに一役買うかもしれませんよ?」
「さっすが"ホドの真珠"、理想が高い」
「まだそれを言いますか」
今回のことでまたそんなこっぱずかしい名前で呼ばれることになったらどうしよう。いらない心配をしている私をイオンはニヤニヤと眺めていた。


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