リピカの箱庭
96

「うおー!」
きらきらと目を輝かせるのはアシュリークだ。ここのところ彼の沈んだ顔ばかり見ていたので、なんだか安心した。
視線の先にあるのは飛晃艇、アルビオールだ。私の予測通り、エンゲーブの住民はアルビオールでホドグラドへ避難してくることになった。ルゥクィールもアルビオールを見て興奮した様子で電話をしてきたから微笑ましかったな。
やっぱり空を飛ぶ乗り物というのはロマンがあるようだ。マルクトでは音機関研究が盛んではないから尚更と言うべきか。
「大したもんだなあ、音機関ってのは!すっげえー!」
「そうだろうそうだろう」
アシュリークの弾んだ声にガイラルディアが得意げに頷く。まだ公式にお披露目されていないとはいえマルクト貴族だからだろう、ガイラルディアは一足先にテオルの森を通って事情を伝えに来たのだ。
カーティス大佐はエンゲーブの方で指揮を執って残っていて、メシュティアリカはアルビオールに搭乗して乗員たちの面倒を見ているようだ。残りの面子がキムラスカ側に停戦を持ちかけに行ったと思うと、まあ妥当か。
「ふふ」
二人の様子が微笑ましくてつい笑みがこぼれる。するとガイラルディアがこちらを見て満面の笑顔を浮かべた。
「あとでレティも乗るだろ?」
「……え?」
「いや、ほら。不謹慎だけどちょうどいいって思っちゃってさ。むかし約束しただろ」
約束?私は一つ瞬いて、それからすぐに思い出した。
ホドにいた頃に、二人で覗き込んだ音機関の図鑑。そこには確か、空を飛べるものも乗っていて――。
「いいの?」
「ちょっとなら怒られやしないって。な?操縦するのはノエルなんだけど」
「……うん、それじゃあ」
胸が熱い。込み上げてくるものをぐっと飲み込んだ。今まで忘れていたような些細な約束を、ガイラルディアは覚えてくれていたんだ。
「うれしいよ、ガイ」
ぎゅっと手を握る。多分それだけでガイラルディアは私の気持ちをわかってくれる。ガイラルディアも嬉しそうに私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「アシュリークだっけ?お前も乗るだろ?」
「そりゃ伯爵さまが乗るなら俺も乗るよ。護衛だからな!」
いくらか噛みつくようにアシュリークが言う。さっきは飛晃艇に気を取られていたけれど、アシュリークがガイラルディアのことを微妙に敵視しているようなのは何故だろう。一方のガイラルディアは全然気にしていないようだった。
「はは、そうか。避難が終わってからになるけどな」
「じゃあエゼルとかノイも乗せてやったらどうですか、伯爵さま」
「アトラクションじゃないのですが……」
あいにく遊んでいる暇はあまりない。いや、私が乗ることが遊びかどうかで言えば遊びなんだけど。
そうこう言っている間にアルビオールが着陸して、私たちは住民の誘導に向かった。と言ってもホドグラドの騎士団の人手があるので私たちは見守るくらいしかやることはない。
「ああ、ガルディオス伯爵!」
と、年嵩の女性がこちらに歩み出てきた。彼女は一例すると自己紹介する。
「あたしはエンゲーブの顔役のローズです。騎士様を派遣してくださって、その上避難所の確保まで……。本当にありがとうございます」
「いえ、我が家の騎士がそちらの村にお邪魔していたのはこちらの事情もあります。それに避難のことは当然のことをしたまでですから。間に合って何よりです」
実際のところ、住民たちの避難と共にエンゲーブを放棄するのは状況の戦線の状況把握の上では痛手である。しかし騎士たちをいつまでもあそこに置いていて、崩落に巻き込まれる方がぞっとしない。被害があってからでは遅いのだ。
「ホドグラドにはセントビナーや他の場所からの避難者もいます。エンゲーブの皆さんの取りまとめはあなたにお願いできますか?」
「はい、もちろんです。ここまでしてくださったのです、何も起こさせやしません」
「よろしくお願いします」
避難してからも面倒ごとは多いのだ。こちらに感謝しているというならその感情を利用させてもらおう。幸い、避難民の不満が向かう先はまだキムラスカのままだ。
ローズさんと話を終えた後、入れ替わりのようにメシュティアリカが駆け寄ってきた。
「ガイ、伯爵さま」
「ティア。おつかれさま。問題は特になかったってことで大丈夫か?」
「ええ、空路だもの。次便はノエルを休ませてからね」
この避難で一番大変なのは操縦士であるノエルだろう。陸路とは違って避難者の疲労や怪我が少なくて済むが、一方で操縦士は絶えず気を張らなくてはならない。全員の命を預かってもらっているのだから、しっかり休んでもらわねば。
「伯爵さま、準備していただいてありがとうございました」
「これが仕事ですから。ああ、そういえば……」
メシュティアリカの顔を見て思い出したので懐を探る。取り出したのは細い鎖と、ぶら下がるペンダントトップだ。
「それは……!」
「これを使ったのですね。買い戻しておきましたから、返します」
いつかの祭りの後、譜歌を詠った報酬としてメシュティアリカに買い与えたペンダントだ。同じ時期に騎士になって剣を下賜したアシュリークも覚えていたのか、「懐かしいなそれ」と目を眇める。
ちなみに買い戻したと言ったが、このペンダントにはガルディオス家の家紋が入っている。市場に流れたら連絡が来るようになっているのだ。アクゼリュスにいたせいで取り戻すのが遅くなったが、メシュティアリカのものはちゃんと返しておかないと。
「そんな、悪いです!」
「ティア、それなんだ?」
「伯爵さまのお屋敷にお世話になっていた頃にいただいたの。でも、ルークとマルクトに飛ばされた後に……手持ちがなくて、売ってしまって」
「あー」
ちゃり、とガイラルディアが耳元のピアスに手を伸ばす。ガイラルディア押し付けたピアスと同じ理由で私がメシュティアリカに褒美を与えたことが分かったのだろう。ちなみにこのピアスはグランコクマに戻ってくるまで持っているように頼んでいる。何があるかわからないし。
「もらっておけよ。大事なものなんだろ」
「でも、私は……伯爵さまの騎士にはならなかったから……」
メシュティアリカが引っかかっているのはそこらしい。たしかに今の彼女の立場では無償で返されるというのは居心地悪いのかもしれない。
「ふむ、ではガイラルディアのことを助けてくれているお礼ということで」
「はは、それはいい。ティアには日ごろ世話になってるからな」
「ええっ!?」
「ティア、知ってるだろ。うちの伯爵さまは言い出したら頑固なんだからありがたくもらっておけよ」
アシュリークの言いようはどうかと思うが、最終的にメシュティアリカはちゃんと受け取ってくれた。胸元に揺れる二つのペンダントトップに嬉しそうにしていたので、思い入れがないわけではないらしい。買い与えた身としては嬉しいことだ。
「というかティアって本当にレティと知り合いだったんだな。なんだか不思議だ」
「そうかしら?ガイと伯爵さまが兄妹というのは……不思議なはずなのになんだか全然不思議じゃないわ」
ファブレ家の従者とマルクトの貴族が結びつくことなんて普通ないだろう。それでも不思議ではないというのは、顔が似てるとかそういう話だろうか。
「たしかに似てるよな、伯爵さまとガイラルディア様」
アシュリークも頷く。ガイラルディアと私は顔を見合わせた。
「双子だからなあ」
「昔のほうが似ていたんじゃないかな」
今は男女の差が大きいから似ているかどうかは分からない。子供の頃はそれこそアッシュに見間違えられたくらい似ていたみたいだし。
「あー、いや、顔ってより雰囲気だよな。なあティア」
「ええ、全体的に似ていると思うわ」
「全体的に……」
よく分からないが、今となっては隠すことでもない。ガイラルディアと似ていると言われればむしろ嬉しかった。
「ガイラルディア様も悪い人じゃないんだよなあ……」
口の中で小さくアシュリークが呟いたのは、きっと私にしか聞こえなかっただろう。そのうちアシュリークが仕えるのはガイラルディアになる。同じ「ガラン」だし、アシュリークなら気が合うだろう。ちょっとした反発ならすぐなくなると信じたかった。


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