リピカの箱庭
98

エンゲーブにキムラスカ軍が到達したのと、大陸の地盤沈下が発生したのはほぼ同時だった。流石にここまでの事態になると戦争どころではない。キムラスカ軍側も明らかにうろたえていたが――ナタリア姫たちの説得はうまく行かなかったという証左でもあるだろう。
キムラスカだって戦場までの補給線を持っているし、分断されたからと言ってすぐさま死の危機に陥ることはないだろう。問題はディバイディングラインに到達した後だ。
「パッセージリングが操作できれば話が早かったのですが」
報告を受けてため息をつくと、イオンが眉をひそめる。
「パッセージリングはもうあいつらが操作したんじゃないの?」
「ああ……いえ、それはセントビナーが魔界に沈まぬようにするためですから。パッセージリングが操作できれば大陸を、その上にいる人への影響を少ないままに降下させることも可能なのではないかと」
「確かに、もともとは大陸を持ち上げ続ける力をセフィロトツリーは持っていたわけだしね。自然に崩落する前にゆっくり降ろすってのも可能なのかもしれない」
私の記憶ではそうしていたはずなので、実際にも可能だと思う。とはいえパッセージリングを動かせるのは第七音譜術士のみだから私自身にはできないのだけど。というか多分、超振動を扱えるルークかアッシュにしかできないだろう。
それにルグニカ大陸を支えるパッセージリングの在処はもう魔界に落ちている。アルビオールがなければ辿り着くこともできないだろう。
「それ、伝えてこようか」
「え?」
「あいつら、ケセドニアに向かったんだろう?僕ならアリエッタと魔物で飛んでいける」
今は実質停戦状態になっているが、手紙を出したとしてもケセドニアにきちんとつけるかは分からない。となると、イオンに伝言を頼んだ方が確実ではある。
多分、何もしなくともここは降下すると思うが――今口に出してしまったことを伝えなくてもいいと言うのは不自然だ。イオンから言い出してくれたことだし、打てる手は打っておこうか。
「いいのですか?危険が伴いますよ」
「そんなの今更だろ。向こうの状況も確認してこれるし」
「わかりました。ではお願いします。ついでに、ダアトに寄って手紙も出してきてください」
ジョゼットにも現状を伝えておいたほうがいい。そしてキムラスカにいる彼女へ連絡するならダアトから手紙を出した方が伝わるだろう。イオンはそれも快諾してくれた。
手早く手紙を準備し、あっという間に準備を整えたイオンに託す。彼とアリエッタは意外なほど身軽にさっさと旅立って行ってしまった。
なんだか不思議だ。一応はローレライ教団という中立の立場にあったイオンがこうも積極的に動くと思っていなかったし、彼は己のレプリカである導師のこともどうやら受け入れているようだった。そうでなくてはあっさりと会いに行くとは言わないだろう。
もともと導師だった人間として、この事態に思うところがあるのだろうか。そんな気もするけれど、それだけではなさそうだった。
生きることを選んだイオンは、それでもアクゼリュスでは自分の進む道を決めかねているようにも見えた。あそこから出ることになり、自分のレプリカに出会い、もしかしたらようやく「これから」を考えられるようになったのかもしれない。ならばそのために自ら行動しようとする彼の意思を邪魔したくはない。
……とりあえず、ルークたちと再会したアリエッタが暴走しないようには祈っておこう。彼女の抱える感情はまだ複雑なままだ。イオンがいれば抑えられると思うし、ある程度わきまえてはくれるだろうけれど……あの怒りはないがしろにしてはいけないものだ。
背もたれに体を預けてため息をつく。戦争は停滞し、マルクト側から積極的に働きかけられることはない。一般市民たちを不安にさせないことが第一で、あとは大人しく障気蝕害の治療を進めるくらいか。これもガイラルディアが戻ってきたときに心配をかけてはいけないから、とっとと終わらせたいものだ。
もどかしさのなか、今は報せを待つことしかできなかった。


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