リピカの箱庭
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ここのところは屋敷と研究所の往復の毎日だ。障気蝕害の治療のために研究所には通わなくてはならず、だったらいっそ泊まり込んでしまえばいいとも思うけどそうするとこもりきりになってしまっていけない。
たとえアクゼリュス崩落で死んだと思われていた私――ガルディオス伯爵が無事でマルクト側の開戦論がいったん落ち着いても、キムラスカが止まる理由はない。この状態で情報を収集しないというのはありえない。
ひとまずキムラスカの状況をうかがいつつ、エンゲーブにヒルデブラントとルゥクィールを常駐させることにした。セントビナーの民――崩落に巻き込まれなかった人々をホドグラドに避難させるのを指揮してもらう目的もある。
崩落に巻き込まれた民たちの避難が完了した後に、カイツールから戦端が開かれるはずだ。戦線が北上してエンゲーブの住民も避難することになるという記憶があるから、エンゲーブでの受け入れは二度手間だと判断して直接ホドグラドで受け入れる許可を陛下から得ている。アクゼリュスからの避難民も受け入れているし、表向きは物資や体勢が整っているという理由だ。
もともとホドグラドは戦争難民たちの街なので、こういう受け入れに住民たちは協力的だ。騎士団も機能しているので、治安の悪化もそう心配しなくてもいい。資金はアクゼリュスの鉱山で稼いだものがあるし、慈善事業にいそしむとしよう。
一方で、戦時下で城塞となるグランコクマと違って、ホドグラドは街の構造上立てこもることはできない。戦線がここまで北上すると致命的ではある。今回は大陸の崩落があるからそこまではいかないと思うけれど、警戒はしておこう。

「これ以上の避難民が来るってのは本当ですかね。物資が足りないことはないですが」
いろいろと指揮を執っている中、変わらずホドグラドの代表を務めるグスターヴァスに尋ねられて私は苦く笑った。王城側の官僚もいるが、私が戻って来た時点でほぼ全権委任される形となったのでこうしてホドグラドで好き勝手できるのはありがたくはある。
ちなみに件の官僚は「ガルディオス伯爵が帰って来たのなら手を突っ込んで火傷したくありませんので」とさっさと逃げ出してしまった。矜持が傷つけられるタイプでなくて助かったけれど、ホドグラドはそこまで扱いにくかったのだろうか……。確かにエドヴァルドみたいに私から取り上げられることに反発する騎士や住人も多かったけれど、いまだにそんな感じとは少し申し訳ない。
「セントビナーの残りの避難民が来る可能性があります。そうでなくとも、戦争が始まればルグニカ大陸は戦場になる可能性が高いのです。備えがあれば憂いもないでしょう」
エンゲーブの避難民も受け入れるのも視野に入れている。作中では確か避難民を連れて大陸を突っ切ってケセドニア入りしていたけれど、ちょっとリスクが高すぎる。ホドグラドという街があるなら十全に活用しておくべきだ。
……結果として何か歯車が狂う可能性はある。だが、今更でもあった。
「レティシア様とキムラスカの王女殿下が無事でも戦争は止められない、ですか。戦争前ってのは何度経験しても嫌な空気ですね」
グスターヴァスはホド戦争だけではなく、ホドの騎士としての経験が豊富だ。こういう戦争前の雰囲気というのはよく知っていて、だから止められないというのも理解しているのだろう。
「民間人への被害は最小限に留めなくてはなりません。苦労をかけますが、頼みますよ」
「もちろんです。ですがこれもレティシア様の支援があればこそ。どうか無茶はなさいませんよう」
「わかっています」
私が通院していることはグスターヴァスも知っているので、こうして釘を刺されてしまう。グスターヴァスは私の応えに苦笑いして、後ろで控えていたアシュリークに声をかけた。
「アシュリーク、分かっているな?」
「はい、片時も伯爵様のお傍を離れず守り抜いてみせます」
「うむ。頼んだぞ」
アシュリークは私がグランコクマに帰ってきてから本当に全然離れなくなってしまった。いや、悪いことをしたというのは分かっている。あそこで置いていかせたのがよっぽど堪えたらしい。というかその件については結局何も言わずに四六時中護衛してくるから、割と怖い。
緊張状態ということもあり、今の私にはエドヴァルドかアシュリークが常にはりついており、グランコクマの屋敷にもホドグラドの騎士をいくらか警護に寄こしてもらっている。ジョゼットも今は別の任務を与えて不在なのでちょっと人手が足りないのだ。

屋敷に戻るとエゼルフリダと一緒にイオンとアリエッタが迎えてくれた。イオンとアリエッタはあれからずっと屋敷に滞在している。彼らの扱いは一応客人としているが、めちゃくちゃ屋敷に馴染んでいた。
イオンには好きにしていいと伝えてはいるものの、彼は今のところ出て行く気はないらしい。というか最近は屋敷の中でエドヴァルドについて回って仕事を覚えたりしているらしく、将来どうなる気なんだろうと勝手に心配している。
「伯爵さま!おかえりなさい!」
元気に抱きついてくるエゼルフリダは、この頃の慌ただしさを知って子どもながら色々気を回しているようだ。私が屋敷に戻ると大抵出迎えて、屋敷の中で伝令の真似ごとをしてくれている。今はあまり構ってやれていないから、そうやって自分から動いてくれるのはこちらとしても非常に助かる。
「グスターヴァスのおじいさまはお元気でしたか?」
「はい、変わりはありませんよ。何かこっちで動きはありしたか?」
「えっと、セントビナーが……」
エゼルフリダは言い淀んで、イオンを見上げた。イオンはじっとこちらを見つめていたが、口を開く。
「セントビナーは崩落したってさ。でも飛晃艇――空を飛ぶ音機関で住民は救助できたらしい。多分ね」
ふむ、セントビナーの住民救出は間に合ったか。多分、というのは飛晃艇がどこに行ったのか、まだ確認できていないからだろう。一度魔界に落ちてしまったということはユリアシティに向かったはずだ。あの飛晃艇単体では重力力場を超えられないだろうから。
「わかりました。住人の避難先を確認するとともにキムラスカの動きにも注意しなくてはなりませんね」
「そろそろか」
イオンも戦争が預言に詠まれていたものだと知っているから、起きるのはほぼ確実だと考えているのだろう。そのタイミングがいつか、という話だ。
「しかし大陸の崩落がセントビナーで収まるとも思いません。そのあたりは……調査に行くにしても封印が解けませんからね」
「ユリア式封咒か。あの導師にどこの封印解いたか確認しとけばよかったな。まあ、封印の所在地からしてルグニカ全域がやばい可能性は高いね」
ダアト式ならイオンに解けるが、ユリア式の方はメシュティアリカがいないとどうにもならない。
イオンはセフィロトツリーがどこをどう支えているかまでは覚えていないようだ。私もそのあたりは知らないので、今のところはどうにも手を出せない。
「伯爵さま、どこかいっちゃうの?」
話を聞いていたエゼルフリダが、理解していないだろうに心配そうにしがみついてくる。私は彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
「いいえ、しばらくはどこにも行かない予定ですよ」
「本当?」
「本当だよ。動いたところでできることはないからね。今この伯爵様にできることは死なないことさ」
エゼルフリダの問いにイオンが肩をすくめて答える。まあ、その通りだ。
「ほらエゼル、伯爵を部屋に連れて行って。今日の仕事は終わり」
「はーい!アリエッタも一緒に行こ!」
「う、うん」
アリエッタと手を繋いで、もう片方の手を私に伸ばしてきたエゼルフリダに引っ張られる。こうされると私も部屋に戻るしかないからイオンも私の扱いを分かっているというか。ここまでみんなに言われてしまうと、私もそう無茶をしようなんて思っていないのだけれど。


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