リピカの箱庭
93

私が陛下に謁見したのは数日経ってからだった。ガイラルディアたちがセントビナーへ向かってからすぐ寝込んだからである。そこまで体調が悪いとは思っていなかったのだけど、ルグウィンにベッドから起き上がらないように釘を刺されたので謁見が遅れてしまった。
ドレスを着る気力はなかったので正装といっても以前城に出入りしていたときと同じく男装だ。これは一応陛下にも許可をもらっている。前髪は下ろしているものの、眼帯を完全に隠しきれているわけではない。他人の視線を感じながら私はエドヴァルドを伴って謁見の間に入った。
「来たか、ガルディオス伯爵」
玉座からこちらを見下ろす陛下を見るのは、もしかしたら初めてだった。謁見の間で、こうやって一目がある場所で会話をした記憶がない。私は許可を得てゆるりと顔を上げる。
「ジェイドから話は聞いている。体調はどうだ」
陛下の声色は常より硬い。玉座に座っているからか、それとも別の理由があるのか。
「は。問題ございません」
「ここに来るのには、か。無理をさせるつもりはなかったんだが。こちらから出向いてもいいくらいだ」
「陛下」
ピオニー陛下の後ろに控えていたフリングス少将が思わずといったふうに口を出す。いくらこっちが病床にいても、皇帝陛下を屋敷に来させるわけにはいかない。まあ、非公式にはちょくちょく来ていたのだけど、それもホドグラドの屋敷だったし。今の屋敷はちょっと手狭だ。
「何より卿が無事でよかった。病が癒えるまでは無理はするなよ」
そう言われて私は瞬いた。正直なところ、何かしら命令を受けると思っていたのだ。だってわざわざカーティス大佐に早く顔を出せと伝言するように伝えていたくらいなのだし。
いくらカーティス大佐やルークたちが奔走しても、これからの戦争は回避するのが難しいことは誰しも思っていることだろう。だってもう沈んでしまったのだ、アクゼリュスは。それにキムラスカ側には預言もある。ダアトが積極的に働きかけることも想像に難くない。
「ですが、陛下。我が領地が魔界に沈んだことは――」
「卿の働きのおかげで被害は大きくない。懸念は分かるがしばらくは安静にしておけ」
「……はい」
人目のある場所でそう言われては頷くほかない。つまり、私は大きく動くことができないというわけだ。セントビナーからの避難者の受け入れなんかはホドグラドで可能かもしれないが、それでもテオルの森を抜ける必要がある。身元の確認に手間取る可能性が高い。
これからのことは計画にはなかったことだ。休めと言われても、ガイラルディアたちが動いているのに自分だけ呑気に過ごすわけにもいかない。
行動の指針は、変わっていない。ガイラルディアのために、私がしたいことをする。

謁見はあっけなく終わってしまった。早く来いと言っていた割に告げられたのは休めということだけだ。妙だな、と思っていると行く手にブウサギが現れた。
「ええと、アスラン?」
「はい」
ブウサギに声をかけたつもりが、別の声が降ってくる。私は慌てて振り向いた。
「フリングス少将。違うのです、ブウサギがいたのでそちらを」
「分かっています。すみません、本調子でないところを呼び止めて。ですがもう少しお時間をいただけますか?」
エドヴァルドと顔を見合わせてしまう。フリングス少将が私に用事があるわけではないだろう。
陛下だ。先ほどの謁見は公式のものだったが、私的な話があるということか。
フリングス少将に連れられてこられた応接間で、いつものごとくエドヴァルドは止められた。エドヴァルドが抵抗するのもいつも通りだったが、結局は一人で部屋に入る。陛下はまだ来ていなかった。
二人きりでする話とはなんだろう?心当たりがないので頭をひねる。フォミクリー関係のことや障気蝕害のこと、ガイラルディアのことだってエドヴァルドも知っている。ガイラルディアがホドの真実を知らないのはカーティス大佐に伝えてあるけれど、陛下はまだ知らないとか?あれから時間が経っているからそんなことはないと思うけど……。
あれこれ心当たりを探っているうちに部屋のドアが開いた。入ってきたピオニー陛下はちらりと私を見て、何も言わずに前のソファに座った。
「……」
沈黙が降りる。なんだこの空気。戴冠式の時とはまた違って妙にいたたまれない。重苦しい雰囲気の中で陛下はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。
「レティシア」
「はい」
「……アクゼリュスで起きたことについては報告を受けている。それとガイラルディア・ガランについてもだ」
「はい」
「知っていたな?」
鋭い視線に射抜かれる。呼吸が止まった。
威圧感、いや、これは……怒りだ。ピオニー陛下はこれまでにないくらい怒気のこもった視線を投げかけてきた。声も、表情も、佇まいも、全てが圧力をかけてくる。
「こうなることを知っていてアクゼリュスを望んだな?ガイラルディア・ガランに爵位を与えるためか?」
その疑問は断定で、私は答えることができなかった。沈黙は肯定だ。
ピオニー陛下は全て正しい。私がアクゼリュスに行くことを望んだ理由はそれだけではない。けれどたどり着く結末はそうであるはずだった。
だからグランツ謡将を欺いてまであそこに残っていた。……彼なら、私を連れ出そうとすると分かっていたから。
「俺は、お前を死なせるためにアクゼリュスを与えたのではない!」
淡々と喋っていた陛下はついに声を荒げた。びくりと体が勝手に震える。陛下はおかまいなしに拳をローテーブルに打ち付けた。
「ふざけるな!くそ、なぜ……最初からそうだったのか、レティシア!」
「……はい」
ガイラルディアに全てをきちんと返すため。
そのために私はマルクトにいて、ガルディオス伯爵代理として動いていた。
なら最後にすべきことはひとつだ。ガイラルディアが爵位を継ぐ最後の障害となる自分は、消えておくべきだ。
あの崩落に巻き込まれるのが一番簡単で確実だった。自死でないと明らかにしなくてはならなかったから。たくさん死ぬ、そのうちの一人ならいいと思った。実際には事前の手配やおかげで崩落に巻き込まれて亡くなったほとんどが神託の盾の兵士だったのだけれど。
「お前は自分の命の価値を軽んじすぎている!お前が死んでいれば全面戦争だったぞ。それともそれすら計算のうちか?」
「まさか!私が戦争を望むとおっしゃるのですか。相手がキムラスカであろうとありえません」
「ならば死を選ぼうとするな!」
陛下はそう怒鳴ってから、ややあってソファに体を沈めた。はあ、と重苦しいため息がその唇から溢れる。
「戦争になろうがなるまいが、死のうとするな。お前に意味があろうと俺は嫌だ」
「ピオニーさま」
それは単純に、近しい人が死んでしまったら嫌だという、あたりまえの感情だった。
軽んじているわけではない、と思う。ただ私は疲れていた。ガイラルディアにようやく会えて、全部終わってもいいと思うくらいには。それでも生き延びてしまって、だったら――同じ行動原理で動くことしかできない。
「ガイラルディアについてはいいようにしてやる。爵位を継がせたいのだろう?卿が正式な襲爵を頑なに拒んでいたのがこういうことだったとはな」
「……ありがとうございます」
「構わん。怒鳴って悪かったな、レティシア。今日は戻ってしっかり休め」
陛下は最後にやさしく微笑んで、少しだけ許された気分になった。

ホドが滅んだその日から、一歩も踏み出せない私は亡霊も同然だ。
死ぬ意味はもうない。でも、生きる意味ってなんだろう。


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