リピカの箱庭
56

「は」
間抜けな声を漏らしたのはアシュリークだった。その後ろでルゥクィールが「わあ〜!」と何やら歓声を上げている。
「伯爵さま、とーってもおきれいです!」
「そうですか。馬車の準備は?」
「できてます!あ、足元気をつけてくださいね」
「ありがとう。アシュリーク、いい加減口を閉じなさい」
いつまでたっても動かないアシュリークに声をかけると彼はようやくゆっくり瞬いた。そして首を傾げる。
「声は変わんねえのな。本物か」
「私を何だと思っているのです」
「いや、本当に伯爵さまか疑ってた。だって顔違くないか?それどうなってんの?」
「リーク、デリカシーなーい。そんなんだからモテてるのに長続きしないんだよ」
「うっせ!ルゥだって驚いてたじゃんか!」
「だってお姫さまみたいなんだもん、伯爵さま!確かに普段とのギャップはありますよね〜。普段はカッコいいっていうか凛々しい感じだけど今日はなんだか神秘的!」
言いたい放題である。ここまできちんと着飾るのははじめてだが、それなりの装いはそれこそ祭りの折なんかにしてきたつもりなんだけど。しかし、お姫さまときたか。私はエドヴァルドと資金集めに奔走してた頃を思い出して苦笑した。
「お姫さまよかは迫力あるんじゃねえの?」
「じゃあ女王さま?」
「お嬢様はお嬢様ですよ、二人とも」
ニコニコとドアを開けたロザリンドは表情にそぐわず腰に手を当てて仁王立ちで二人を見つめた。ロザリンドも若い騎士たちが増えてなんだか先輩としてたくましくなった気がする。子どもを産んだから、というのもあるのかもしれないが。
「まあ、お綺麗なのは当然ですね。お嬢様のことは私が一番よく知っていますから」
ふふんと得意げな顔をするロザリンドだが、確かに彼女はグランコクマに来る前から私に仕えてくれていたのだ。付き合いで言えば一番長い。それに服のセンスも間違いがないので、今回もよくやってくれたのと思う。
「世話をかけましたね、ロザリンド」
「いいえ、いつだってロザリンドめにお任せください」
そう言ってくれると非常に助かる。ルゥクィールも一応は侍女枠で雇ってはいるものの、彼女は貴族階級出身のメイドとは違って服の見立ては不得手だ。エヴァンジェリンは単純に趣味が合わないところがあるので、わざわざ口を出さずとも私が許容でき場にそぐうものを用意してくれるロザリンドは大いに助けになってくれている。
「ではこれからもよろしく頼みます。さて……おや」
馬車を用意しているので、雑談にかまけていないでそろそろ出立したいところだが。玄関ホールの階段下に小さな人影が見えて私は足を止めた。
「エゼル!何をしているの」
「おかあさま」
「もう。ティアと一緒にいなさいと言ったでしょう」
この屋敷に幼児は一人しかいない。呼びかけられたエゼルフリダはぱちぱちと目を瞬かせてからむっとむくれた顔をこちらに向けた。が、すぐに目を皿のように丸くする。零れ落ちてしまいそうだと頭の片隅で思った。
「はくしゃくさま?」
「おはよう、エゼルフリダ。今日は何をする日でしたか?」
朝から屋敷総出で準備をしているので、今朝は小さなエゼルフリダに構ってやれる者がメシュティアリカしかいない。そのメシュティアリカの姿が見えないので、隙をついて逃げ出したりでもしたのだろう。最近は反抗期らしく、よく喋るようになったエゼルフリダは何にでも反発するのだ。
「はくしゃくさま!エゼルもいく!」
私の質問を完全に無視してパタパタと駆け寄ってくるエゼルフリダを、残念ながらこの格好では受け止めることができない。すかさず前に出て軽々とエゼルフリダを抱き上げたのはエドヴァルドだった。
「おとうさま!」
「エゼル。今日はお前は留守番だと言ったろう」
「やー!エゼルもいくの!おとうさま、ずっとはくしゃくさまとあそんでる!ずるい!きらい!」
「ぐ……」
きらい、と言われたのが堪えたらしいエドヴァルドが一瞬怯む。私は扇子を広げて緩む口元を隠した。
「おや、エドヴァルドはあなたのことが大好きなのにあなたは嫌いなのですか?ならエドヴァルドは私とずっと遊んでもらいましょう」
「ええ!やだ!おとうさまとっちゃやだぁ!」
「では、きちんと返しますから今日はエドヴァルドを貸してくれますね?」
「ん〜……。はくしゃくさま、おねがいなら、いーよ」
「すげえ論点ずらすな……」
後ろでアシュリークが呆れたように言うが、私もエゼルフリダの相手をそれなりにしているのだ。これくらいの年の子どもといえば思い出すのはガイラルディアのことで、最初はガイラルディアと違って言葉が通じなくて困ったけれど。ガイラルディアとは言葉にしなくても伝わることが多すぎたのだろう。
「さ、ではアシュリーク。留守は任せましたよ」
エドヴァルドに降ろされたエゼルフリダに足元にまとわりつかれながらアシュリークは頷いた。そして思い出したように耳打ちしてくる。
「今日、すごい綺麗だから。気をつけろよ」
「ええ。そうします」
言われるまでもないことだが、言わずにはいられなかったことだろう。私も自分が以前より格段に「女らしく」なっていることに気がついている。これを武器にするつもりはないのだが、さりとて隠すものでもない。
それに――ここで暮らすのもきっとあと僅かだ。そうなればグランコクマの社交界との関わりも薄くなる。今更手札を見せたところで影響は少ないだろう。
エドヴァルドにエスコートされて馬車まで向かう。さて――陛下は、どう出るだろうか。私は揺れる馬車の中で目を閉じた。


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