リピカの箱庭
幕間11

新たな皇帝の戴冠式に、それまで前皇帝の喪に服していた街が一気に華やいだ。戴冠の儀だけではなく、民に姿を見せるパレードや貴族たちを集めた晩餐会なども同じ日に行われる。新帝はその準備だけではなくさまざまな執務にも追われていた。――例えば、皇太子であった自分にすら隠されていた機密事項の確認もその一つだ。
キムラスカのホド島への襲撃に端を発したホド戦争、その裏に何かが隠されていたことは知っていた。だが、改めて事実を確認したピオニーは拳を固く握り締め、震える唇を固く結ぶしかなかった。
キムラスカの未知の攻撃によって崩落したとされていたあの島は、実際は前皇帝の命によりフォミクリーの軍事機密を守るために消された。そのことをあの娘は知っているのだろうか。ピオニーは思い描いた姿を脳裏から消すことができずにため息をついた。知っているのだろう――そう確信できた。最初に会った時から、彼女はフォミクリーの研究者だったジェイドのことを昏い瞳で見ていたのだから。
「――ええ。ガルディオス伯爵は知っていましたよ」
問い質されたジェイドもその事実を認めた。そして言葉を続ける。
「ガルディオス伯爵はホド島の研究施設に不法に侵入した後にグランコクマに療養で移されたという話でしたね」
「ああ。メイドからそう聞いているな」
「その時にあの娘は私に研究をやめるように言ったのですから、知っていたのでしょう。預言か――いや、他の何かか」
ジェイドはいつも通りの声で淡々と告げた。「酷いことをなさるお方だ」いつかの子どもの声がピオニーを苛む。その通りだ。あのとき、何も知らないピオニーはジェイドと子どもを引き合わせることでその傷を抉ったのだ。
「預言が絡んでいるのは確かだ。だが、それ以外の何かがある――」
レティシアは預言を恐れる素振りを見せていた。だからホドの崩落が預言に詠まれていたのは確かだろう。恐らく、秘預言に。しかしそれだけではレティシアは「知り過ぎて」いる。そこがどうにも不自然だった。
「そうだとして、その正体を暴くことに意味はあるのか?ピオニー」
「いや……、ないな」
例え世界の破滅を知っていたとしても、無理に聞き出すことはできないし意味がない。できることといえば、レティシアが「知って」いることを念頭に置くことだけだった。
「とにかく、ガルディオス伯爵にはこの事実を――俺が認めていることを伝えねばならん」
ピオニーは首を横に振った。気が重い、流石に平静ではいられなかった。その話をするためだけにわざわざ呼び出すこともできず、話をするタイミングといえば戴冠式の後の晩餐会でだった。

そして戴冠式の日に姿を見せたガルディオス伯爵は貴族の女性として正式な装いをしていた。それまでもホドグラドの祭りでは着飾ってはいたものの、レティシアはまだ成人していない少女で貴婦人のような装いはしていなかった。
だが、今回は違った。前皇帝の国葬の際には黒いヴェールで隠されていたかんばせは露わになり、年頃の娘はとは思えない落ち着きを灯した瞳が真っ直ぐに前を見つめている。その一方で輪郭は幼さを残す曲線を描き、女性らしさを感じさせるようになった身体は品のいいドレスに包まれていた。
年若い伯爵には前から見た目と中身のアンバランスさを感じてはいたものの、ここまで危うい外見的な魅力はなかったはずだ。ピオニーはその姿を目にした瞬間、言いようのない不安と動揺が込み上げてくるのを感じた。それはガルディオス伯爵にまた身の危険が及ぶことに対するものであったし、同時にレティシアがそんな装いをしてきた理由が自分にあるとも理解していたからだった。
「……余計なことを言ったものだ」
ガルディオス伯爵には、前皇帝ですら手を出せずにいた。そのことが分かっている貴族ならいいが、若い無鉄砲な者も多い。深く息を吐いたピオニーは早く彼女を囲い込むべきだったかと考えてから、この国のホドへの仕打ちをすぐに思い出して囲われてくれるはずがないのだと自嘲した。
あの発言だけではない。思えば、なんとも余計なことをしてきたものだ。最初にジェイドに引き合わせたことなど最悪にもほどがある。あの頃のレティシアは今よりもずっと幼く、しかしジェイドに対する瞳はひどく冷たく濁っていた。葬儀の時、黒いヴェールで隠された瞳は同じ色を宿していたのだろうか。ピオニーは考える。そして、同じように自分を見るのだろうか。
恐れるのは今更だ。この国は――きっとどの国だってそうだろうが――数多の無辜の人々の屍の上に建っている。それは敵国の民の屍であり、自国の民の死体でもある。王冠を戴いたのならピオニーは皇帝となり、ガルディオス伯爵領を滅ぼした責任を負うほかないのだ。

戴冠式の後、パレードまで終えれば次は晩餐会だ。戴冠式には出席できなかった当主以外の貴族も集うそこでもやはりレティシアは目立っていた。彼女はいまだ誰からの婚姻の要求も退けている。それは数年前のホドグラドで起きた若い貴族からの襲撃を傷として残しているからだとピオニーは知っていた。暗殺未遂事件で毒を受けたときくらいしか弱さを見せなかったレティシアが弱って己を拒否したことはひどくピオニーの記憶に残っている。
ならば婚姻など結ばなくてもいいのではないかとつい思ってしまうが、レティシアはガルディオス伯爵家の唯一の生き残りだ。家の存続のためには結婚をして子を為さねばならない。それを分かって愚かな貴族たちが執拗に付きまとっているのだろう。せめて、レティシアが大人になるまではそっとさせてやりたい。そう考えるとピオニーにはレティシアを囲う以外にもう一つの選択肢があった。
晩餐会といっても夜は長く、皇帝たるピオニーが常に臨席するも必要はない。挨拶を済ませ、ダンスもせずに引っ込んだピオニーはすぐにガルディオス伯爵を呼び出した。
「御即位誠に喜ばしいことと存じます、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下」
騎士にエスコートされてやってきたレティシアは、二人きりで話をしたいというピオニーに易く応じた。その心はなんなのか、胸がざわつくのを感じながらピオニーはガルディオス伯爵の挨拶を受け取る。
「ああ。楽にしてくれ、ガルディオス伯爵」
レティシアが下げていた頭を上げる。ピオニーは躊躇いを振り切ってその瞳をまっすぐに見つめた。


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