「では、灰音……さん」
「俺のことも雫さんって呼んでもらってもいいですよ」
「い、いえ。上司のご友人様ですし、私より年上でしょうから……」

やんわりと断られてしまった。ここで、ちなみに灰音さんは俺よりも年上なんですよ、と言ったらきっとややこしいことになるので、俺は賢明な判断として黙ることにした。逆にそれが不気味だったのか、森さんはまた俺の方をじろじろと見て、様子を伺っている。

「海音寺くん、アンタ不審者だと思われてるんじゃないの?」
「やめてくださいよ、年下の女の子に嫌われるようなことはしていませんって」
「どう考えてもさっきのアレでしょ! アンタは女心、いやこの場合女の子じゃなくても当てはまるから人心ね。アンタには人心が分かってないわ!」
「初めて聞きました、そんな言葉」
「造語よ! たった今作った、出来たてほやほやの造語よ!」
「そんなコロッケみたいな」
「一周回って熱々のさくさくのほくほくよ!」

灰音さんはノリノリで、表情一つ変えていないであろう俺に、豊富なボキャブラリーでツッコミをぶち込んだ。そこで俺はひるまず、親切心から新しいボケを灰音さんに提供した。

「今度俺にコロッケ作ってくださいね。死ぬまでに一度は食べたいものリストの中に堂々とランクインしときますから」
「勝手に期待値をあげないでよ……」
「コロッケだけに?」
「揚げてないわよ!」

決まった。さすが俺と灰音さんの仲だ。俺の心の中で試合終了のゴングが鳴り響く。これは誰がどう見てもテクニカル・ノックアウトだろう。俺は何も言わず、天に拳を突き上げる。

「あ、あの……」

達成感に打ち震えていた俺を、おずおずと森さんは見上げる。灰音さんはいち早くそれに気が付き、俺の頭を軽く小突いた。

「バカ、コントしてる場合じゃないでしょ! 姫菜ちゃんに案内してもらうんだから、さっさと歩きなさい!」
「コントをしている自覚はあったんですね」
「アンタが振るから悪いのよ!」

そんな無茶振りに答えてくれる灰音さんも、結と肩を並べられる程のお人好しだと思う。実際大学で俺がボケた時も、結はちゃんとツッコんでくれていた。ボケはツッコミがいないと輝けないのだ。

「で、ではお二方。私について来てくださいね。その、今日は一段と人が多いみたいなので、はぐれないように」
「分かりました。それではご案内の程、宜しくお願いします」

森さんは小さく頷いて、ゆっくりと歩き始めた。俺たちは迷子にならないように彼女を常に視界に捉え、人込みを掻い潜る。描写していなかったが、森さんの格好は一目見て、ゲストではなくキャストであることが分かる派手な衣装をしていた。フリルとリボンがたくさん付いていた、お人形のような衣装だ。きっと来夢さんが見たら喜ぶのだろう。

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