榛名/眠りにつく前に(本当に怖いのはの続き)


あれから一ヶ月。


シャロンは学校に着いた途端から、名無しにびったりと付き纏っていた。

校門で名無しを見つけるなり、名無しの鞄をひったくって留学生の教室まで無理矢理エスコートしたり。

授業後の休み時間の度に名無しの元を訪れ、変な虫がつかないように睨みを利かしたり。

昼休みのランチにも当然名無しと二人っきりになれると思っていたシャロンだが、今日はそうはいかなかった。






「で、結局どうすることにしたの?」


クレアは名無しを引きずり回しているシャロンに一喝をして追い出したのだ。
クレアに連れられて久しぶりに食堂で昼食を食べることができた。


やっと離れてくれたシャロンに、名無しはほっとしていた。
やけに多い際どいスキンシップ。
久しぶりに鼓動が高まったのが、いやでもわかった。

決していやらしいくではなく、愛でるような癒される触り方であったから。


「結局って…まだ返事はいらないって言われたわ」

「シャロンも随分我慢強くなったものね!欲しい物はすぐ手に入れなきゃ気がすまなかったのに」

「私は物じゃない!」

「わかってるわよぅ!」


そんなことを言い合っていると突然、わっと女の子たちの声が上がった。




「ほーら、お出ましよ」




シャロンを筆頭にバスケ部のメンバーが入ってきたのだ。
バスケ部のメンバーは、大学内で女の子に最も人気がある。
残りの休み時間を中庭に設置されたバスケットコートで楽しむつもりだろう。


「なんで食堂を通るの?」


教室から中庭に行くには、階段を下りて外に出るのが一番近い。
食堂を通る必要はない。


「当たり前じゃない。目的があるからよ」


「名無し!!」


「ほら、ね?」

「…あぁ」


さっそく見つけた名無しに、子犬のように興奮して飛び掛る。


「やめてよっ」

「いい匂いー、俺と同じシャンプー!」

「嘘!?もう、そういう関係だったの!?」


わざと大きな声で叫ぶクレアに反応して、ばっと周りの女の子たちが振り返る。
驚いた目、嫉妬する目、様々な目で名無しを見る。


「わかってるでしょ、クレア!!シャロンも誤解されるようなこと言わないで!!」

シャロンは少しムスッとした顔で名無しの髪を引っ張った。

「痛いってば!」

「俺と誤解されちゃ、いや?」

「うっ…そうじゃなくて…」

お願いだからそんな目で見ないでよ!


「あー、はいはい。イチャつくのはそこまでにして!お仲間さんたちがお待ちよ」

「ったく、うるさいなぁ……名無し、ちゃんと見ててね?」

「うるさいのはどっちよ!」


本日二度目のクレアの一喝にシャロン走って逃げ出した。


「…ありがと」

「まぁね。シャロンの取り扱い説明書でも差し上げましょうか?」

「ぜひ、お願いします」




窓際のキープしていた名無したちには、嫌でも彼らがバスケをしている姿が目に入る。


太陽が燦々とするコートの上で楽しそうにバスケをする彼らは、誰が見ても格好良かった。

シャロンはシュートを決める度、どうだという顔で名無しを見る。


「手ぐらい振ってやりなさいよ」

「う、うん」
*
ひらひらと控えめに手を振ってやると、シャロンは飛び上がって喜んだ。
それを見て笑うチームメンバー。

名無しは恥ずかしくなって、手を振るのをやめた。


「あいつじゃ、駄目なの?」

「駄目なんかじゃない。駄目なのは、私のほうよ」


今のシャロンを過去の自分に重ね合わせている。 



「最低よ」



放課後になると、シャロンは名無しを家まで送る。
少しの時間でも名無しと一緒に居たかったから。


「名無し、ちゃんと見ててくれた?」


部活終わりシャワーを浴びたてで、濡れた髪が額についていた。


「うん。やっぱり、エースなのね」


シャロンは、メンバーの中でもずば抜けて上手かった。


「俺、そう言われるの嫌だ」

「え…」


すっと出てしまった言葉は、シャロンにとっては重い言葉だったのだ。




名無しの誕生日パーティーの時、クレアが話してくれた。


「シャロンはね、小さい頃からバスケットが大好きだった。お父さんと毎日一緒に楽しんでた」


「そう、ただバスケットを楽しんでいたかったの」


けれど、人並みはずれた才能を持つシャロンを世間は見逃してくれなかった。
高校も推薦でバスケットの名門校へ。
シャロンには、大きな期待とプレッシャーが付き纏った。
バスケットはいつの間にか楽しさを奪っていった。


「だから、うちの庭に勝手にバスケットゴールを運び込んだのよ」


期待もプレッシャーもすべて放り出して、楽しくバスケットを出来る場所がほしかったから。

名無しと一緒にバスケットをしていたシャロンは、本当に楽しそうだったわ。


「あんなシャロンを見れたのは、小学生以来。名無しのおかげね」


才能を持つシャロンは、当たり前レギュラーでエース。
それを尊敬しする者、そして妬む者もいた。
自分がどんなに寝る間も惜しんで努力しようと、生まれ持ったものだと言われ、その努力が認められることがなかった。




それを知っていながら、なんて軽率な発言をしてしまったのだろう。


「あの、その…皮肉とか、そうじゃなくて…」


「わかってる。けどね、名無しから言われると嬉しい」


彼は私の両手を取って、


「もっと頑張ろうって」


目尻を下げて、


「もっと見てもらいたいって」


口角を引き上げて、


「もっと知ってほしいって」


優しく綺麗に、


「そう思うんだ」


笑っていた。




「私、シャロンのバスケットをしてる姿が好き」

「…俺が、好き?」

「ちがうなぁ……バスケットのことを考えてるシャロンが一番輝いてる」


「昼休みもあの中で一番輝いてた!バスケットが好きなんだ、って伝わってきた!」


「…なーんだ、俺のことが好きじゃないんだ」

「そういう訳じゃ……っ!?」

「じゃあ、好きってこと?」

「っ、もう!」

まんまとシャロンのペースに乗せられてしまった。


繋がれた両手から温もりが伝わってくる。

決して太くない長い指。
整えられた綺麗な爪。

シャロンが自分で整えている姿を想像すると、少し笑えた。


「なに笑ってんの」


片方の手で名無しの手を束ね押さえると、もう一つの手で顎を捉える。
上に向かされるとシャロンの髪が名無しの頬をくすぐった。
名無しは自然と落ちてきたシャロンの唇を避けなかった。


否、避けようとは思わなかった。


初めに、額に。

次に、瞼へ。

そして、唇へ。


リップ音を立てて何回も啄ばむ。


単純に、気持ちいいと思った。
ゆっくりと瞳を開くと、シャロンはばっちりと目を開けている。


「やだっ、ずっと見てたの!?」

「当たり前!すっごくカワイイ…いつまでも見ていたい」

「恥ずかし…」


一気に血が上るのを感じた。
きっと顔は真っ赤に染まっているだろう。




「もっと、ほしい」




シャロンは名無しの背中に腕を回し、力強く抱き締める。
痛みを感じたが、反対にその痛みを心地良くも感じた。



今度はお互いにゆっくりと瞳を閉じた。
シャロンは軽く唇を合わせ名無しの、上唇、下唇を順に優しく吸い上げる。
そして赤く色づいた名無しの唇をぺろりと舐める。
それを合図に名無しは口を少し開いた。
くすっとシャロンは微笑み、舌をするりと差し込む。


「んっ…んあ…」


舌全体を這わせ、舌をとがらせて小刻みにチロチロ動かす。
遠慮がちに名無しも舌を出し、お互いに絡めあう。
背中に回した腕が徐々に舌へ下がって腰へたどり着く。
するとシャロンの手が名無しのパーカーを捲り上げて中へ入ってきた。

「きゃっ」

お腹に触れた手が思いの外、冷たかったことに小さく悲鳴を上げた。


「どうしてそんなに手が冷たいの!?」

さっきはあんなに温かかったのに。


「…緊張してんの。好きな女の子に触れるんだから」


シャロンは少し怒ったように目を背けて言った。


「だって、前は普通だったじゃない」

「前ってパーティーの時?」

「うん」


頭を撫でたり、手にキスをしたり、抱き上げたり、その時シャロンは至って普通にしていた。


「あの時、名無しは俺の気持ちを知らなかっただろ?」

「うん」

「今は知ってる。そして、俺に気を許してくれる。だから、こうやってキスさせてくれた。ちがう?」

「ん」


ちゅっと音がして唇が離れる。


「気持ちを知っているのと、知らないのではちがうの?」

「そう」

「そう…なの?」

「そうなのです」


シャロンの子供っぽい言い方にぷっと吹き出す。
名無しはそんな彼の透き通るような髪に指で梳く。
その手を取られ、頬に当てられる。

頬だけは通常の体温より熱かった。

先程より密着した体とシャロンの手は、行為を続けようと奥へ奥へと中を入り込んでくる。


「あっ」


胸へ達しようとしたした瞬間、名無しはシャロンの腕を掴んだ。


「これ以上はダメ?」

「…うん」


シャロンに委ねようとした体は、反射的に拒んだのだ。


「ちぇ、お預けか」

「ごめん」


このまま流れてに任せれば、私は楽になれる。

けれど、シャロンは?


「いいよ。俺はいつまでも待つから」

「ごめんね」

「前も言ったけど、すぐ謝る癖やめろな」

「あ、ごめっ…」

名無しは言いかけた言葉を飲み込む。

「ほんっとにカワイイんだから。家まで送る」

「うん」




アパートに着くまで、お互い言葉を交わすことはなかった。
その代わり、繋がれた手から伝わってくる。


彼の優しさが。


それに答えられない自分がもどかしかった。




「じゃあ、また学校で」


シャロンは、また名無しの額にキスを落とす。


「おやすみ、名無し」

「おやすみなさい」


音をたててドアが閉まった。
少ししてから階段を下りる音が聞こえる。
窓から外を覗くと、下からシャロンがここを見上げていた。
私は苦笑して手を振る。
指を道路へ向け帰るように促すと、声には出さず「また、明日」と言ってシャロンは去っていった。




スパンコールのついたミュールを脱いでベッドへ横たわる。


テレビをつけるのは、一人が嫌だから。

問いかけても返事がないテレビでもいいから、とにかく人の声に触れていたかった。
矛盾している。

一人が嫌だったら、シャロンと一緒にいればよかったじゃない。


「一緒にいて」


その一言で彼はいつまでも傍にいてくれる。
なぜなら、私のことが好きだから。
でも、私は彼のことを好きかどうかわからない。
そんな気持ちでお願いするのは、彼を利用しているようで嫌だった。

やっぱり、一人は嫌だ。

こうやってぐちぐち考えてしまう自分が嫌だ。

やめよう。
いつまでたっても終わらない。


一息ついた時点で、テレビから懐かしい単語が聞こえてきた。


「Japan?…日本、か。なんだろ?」


聞き慣れたアナウンサーの声に耳を澄ます。


「……major、league…from Japan」


元々英語は出来たほうだけど、自分の英語力はずいぶん成長したと思う。
普通にネイティブとも話せるようになったし、こうしてニュースやバラエティを理解できるようにもなった。
最初は話す速さに戸惑ったりもしたが、それがみんなの優しさでもあった。
早く私に英語に慣れるように、手加減はなかった。


「メジャーリーグに日本の野球チームから来るのね…すごいわ。誰なのかしら?名前は………、っ!?」


英語のテロップで流れる文字に理解が遅れた。



「……M.Y…」


「もと、き……はる…な」



A new face comes over in the Major League from Japan.

Surely he will play an active part!


His name is Motoki Hnaruna.




もうすぐ、日本を発ってから一年が経つ。


グラウンドで野球少年たちと一緒に汗を流し、そして涙を流した、懐かしい想い出が蘇った。


END

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