用意された高級マンションの上層階に住み始めてから暫く経った。窓からの眺めはとても素敵だと思う。部屋だって広くて綺麗で、家具も一通り揃っていて何不自由なく生活している。ただひとつ、

「外に出たいの」

買い物もアカギが済ませて来る為に一歩も外に出る機会が無く、一度逃げて捕まった所為か玄関の鍵を内側から開けられないように付け替えられていて逃げ出す事はほぼ不可能に近い。

「ダメだ。また逃げるつもりだろ」
「もう逃げたりしないから、お願い…」
「…じゃあ、買い物なら一緒に連れてくよ」
「本当に?」

たったそれだけで嬉しくて堪らない。でもハッと我に返って冷静に考えた時、このままで良いのかと自問自答する。彼の常軌を逸した束縛と重過ぎる愛情に不安と恐怖を感じながら怯えて暮らす日々がこの先延々と続くとしたら。

「もし逃げたとしても」

煙草の煙がふわりと漂う

「また捕まえて"お仕置き"するから」

にこやかに恐ろしい事を口にするアカギの眼差しは本気だ。なまえはこくりと頷いて漸く訪れた外出の機会に一縷の望みを託した。

***

「なまえ行くよ」
「ま、待って」

久しぶりの外。窓からいつも見下ろしていた街並みを今は同じ目線で歩いている。すぐ隣には手を繋ぐアカギがいて、すれ違う女達の熱い視線が彼を追いかけても本人は全く気にしていないようだった。日の光を浴びて輝く白銀の髪が風に靡いてさらりと流れる。切れ長の瞳がなまえを見つめて繋いだ手をぎゅっと握ったらほんの少しだけ笑った。

「アカギさん、すれ違う女の人がみんな見惚れてたの気づいた?」
「ああ…珍しいんでしょ、この髪の色が」
「私より綺麗な人も居たのに」
「俺にはなまえが居ればいいんだよ」
「…………………」

他の人に目を向けさせようとしても無駄だった。何故自分なのか?たいして可愛くも無い、普通の私のどこがいいのだろうか。

ふらりと歩きながらそろそろ昼時だな、と近くのレストランに入り昼食を済ませるとまた気紛れに店先を覗く。

「あの、ちょっと、お手洗いに」
「いいよ。ここで待ってるから」

入り口前までついてくるのかと思いきや案外簡単にひとりで行かせる緩さに拍子抜けしつつ早足でトイレに駆け込む。

(今、ここしかない)

チャンスは一度きり。これを逃せばもう…

緊張で足が震えて上手く走れない。縺れる足を必死に前へ出して先へと急ぐ。ドクドクと脈打つ心臓が痛くて飛び出そうになるのを堪えてとにかく早くこの場から立ち去らなければ。

遠くへ、遠くへと

最寄り駅を目指す。アカギがすぐに追って来られない位の距離を稼ぐには電車に乗るしかない。

切符を買わなきゃ
いちばん遠い駅まで

「はぁ、はぁ…」

やっと辿り着いた駅で切符を買う為に震える手で財布を取り出す。残金を確認すると多くはないけれど、とりあえず行ける所まで買おうとした時に後ろから優しく肩を叩かれた。

「家に帰るのに切符はいらないだろ?」

振り返らずとも分かる声色がなまえの耳元でそっと囁く。まるで幼子を諭すように優しく、ゆっくりと、それから小さな溜め息をついて。

「やっぱりな。なまえ、帰ろう」
「アカギ、さん…!」

立ち尽くすなまえはアカギを見つめたまま、怖くて動けない。けれど、妙に納得している自分もいた。きっと心のどこかで諦めていたのかも知れない。どう足掻いても逃げ切る事なんて出来やしない、と。

全部、君が悪いんだ

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