夢であって欲しい
そう。これはきっと、悪い夢だ

「なまえ、可愛いな」
「…やめてお願い…」
「本当は嬉しいんだろ?」

一緒に住む為に借りた高級マンション。広いリビングの先にある寝室にはふかふかのベッド。その上に手足を縛られている彼女は青白い表情でガタガタと震えていた。

「ほら、ピッタリだ」

細くしなやかな彼女の左手の薬指にはキラリと光る指輪。これは【結婚指輪】だから、となまえの指を撫でるアカギの表情はとても穏やかに微笑んでいた。

「何だかあまり実感が無いな」

自分の左手の薬指にも同じデザインの物を填めて指輪の感触を確かめてからククク、と笑って部屋を出て行くアカギの後ろ姿を目で追う。またどこかに出掛けるのだろうか。

「少し出てくる。昨日みたいに良い子で待ってなよ」
「っ!ま、待って!」

彼が居なくなる安堵とこのまま置いて行かれてしまうという焦燥が綯い交ぜになってなまえの不安を掻き立てる。

「フフ…大丈夫、大丈夫。すぐ戻るから」
「お願い、その前にこれを…ほどいて…」
「じゃあ行ってくる」

わかっていた
これは"お仕置き"なのだと。

昨日も少し出てくると言い残して昼頃に出て行ったきり、夜中まで帰って来なかった。その間なまえは拘束されたままトイレにも行けず、飲まず食わずでアカギの帰りを待っていたのを思い出す。

きっと今日も置いて行かれるんだ

「嫌っ!い、行かないで…」
「どうしたの。昨日だってちゃんと留守番できたじゃない」
「そう、だけど」
「すぐ帰るから」

有無を言わさないアカギの返答に黙って従うしかない事は痛い程に理解しているけれど、それでも自由を、解放を望むなまえの願いは聞き届かなかった。

***

「う……」

ひとりになって半日が過ぎた頃。喉の渇きや空腹は我慢できたが、する事も無く寝返りをうつ度に手首に食い込んだ紐がギリギリと痛んで"これが夢では無いのだ"と思い知らされる。涙で滲んだ視界で天井を見上げたなまえは込み上げる嗚咽を噛み殺すとぼんやりとした思考の中、アカギの顔を思い浮かべた。

(早く帰ってこないかな)

濡れた睫毛を伏せたまま、重たい意識を手放す。何だか身体が怠くて寒い…

「ただいま」

昨日より早めに帰宅したアカギは彼女の居る寝室へと向かう。物音ひとつしない部屋にドアを開ける音が響いて、飛び込んできたのはベッドからずり落ちているなまえの姿だった。

「なまえ、どうしたの」

いつもと少し様子が違うと感じたアカギは近づいて身体を起こそうとした時。

(…熱い)

触れた肌が焼けるように熱くて、そっと額に手を乗せるとその表情は険しくなる。

「なまえ、大丈夫?」
「…ん…」

虚ろな瞳が待ち人を映す。高熱に項垂れる彼女の弱々しい返事が粗い吐息に混じって微かに聞こえた。

「あ…かぎ、さ…ん」
「すごい熱だ。今、水枕持ってくる」

キッチンに向かうアカギの腕を掴んでイヤイヤと頭を振るなまえは途切れ途切れに何かを呟く。傍に行き、そっと耳を傾けると

「もう…いいの…このまま死んでも、いい…放っておいて…下さ、い」

「バカ言うなよ。ただの風邪だろ」
「ひとりは…嫌な、の…」
「わかった。もう絶対なまえをひとりにしない。だから、ずっと俺の傍にいるって約束して?」

優しく抱き寄せたアカギの少し低い温もりに包まれて瞳を閉じる。そんな約束せずとも彼からはもう、死ぬまで離れる事は出来ないとわかっていたなまえは黙って小さく頷くのだった。

僕さえ居れば君の世界は完結している

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