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23
お昼休憩。晴れている日の屋上は人気で、時間中、そこそこの人が出入りする。数メートル先の屋上に続く階段と廊下の間を、今も何人もの生徒が行き来しているはずだ。それなのに、その階段裏はまるで学校という空間から隔絶されたかのように静かだ。

傍から見たら、私たちはどういう関係に見えるんだろう。クラスで人気な伊月君と、浮き気味な私。二人だけで階段の裏手で、まるで秘密の契約を結ぶかのように、ひっそりと暗闇で言葉を交わしている。

伊月君の手に捕まったまま、彼の頬に触れている左手が熱い。私の手が熱を持っているのか、彼の顔が熱いのか。
目の前に視線をむけた。鈍色の瞳が私を見つめている。まるで幻聴だったかと疑ってしまうような甘い誘惑をこぼした彼の唇は、それ以来閉じたままだ。きっと、私の答えを待っている。

本心を告げるのは怖い。信頼するのも怖い。だけど、それ以上に伊月君のいない高校生活なんて、きっと私にはもう無理だ。
力んだ拍子に、繋がれたままの右手をぎゅっと握ってしまった。反応を示す伊月君の手に、不安になる。互いの繋がれた手が、少し湿り気を帯びた気がして、手汗をかいていないか気になって仕方ない。

「……伊月君」
「ん」
「…伊月君のダジャレ、面白くない」
「ええ? それはちょっと、傷つくな」
「…だけど、」

あっという間だった、転校してからの日々が脳裏を過ぎていく。
緊張していた初日、和ませてくれたダジャレの書かれたマル秘ネタ帳。
第一印象最悪な、持ち主の伊月君。
そして彼を通して知り合った人たち。
今の、高校生活。

「だけどね、わたしに、」

最初は彼の行動でぼっちになると思った。ところが実際はどうだ。伊月君はどこまでも優しく、私の手を引いてくれた。この少しごつごつとした手のお陰で、誠凛での学校生活に少しづつなじめている。友人と呼ぶのはおこがましいかもしれない、でも、挨拶ができて、一緒にお昼を食べられる人たちができた。
そういった関係が築けたのは、間違いなく、目の前の伊月君のお陰なんだ。

「だけど…だけど、いつも、元気と···きかっけをね、たくさんくれた。伊月君みたいに」
「そうか」
「最初は嫌いだったけど···今は好きだよ」
「ははっそうか。サンキュ」

失敗したらどうしようって思う。絶対にうまくいかないと考えてしまう。
だけど、伊月君に、全部俺のせいにすればいいなんて、誘われたら。どんな選択肢が今の私にあるだろうかなんて、考えなくたって明白だ。

「伊月君はずるいよ…」
「……ああ。知ってる」

伊月君がゆっくりと目を閉じた。私が話す間も、一時たりとも離されなかった鈍色の瞳が瞼の裏に消えた。少しだけ寄せられた柳眉が切なげで、苦しんでいるように見えた。
伊月君はきっと、知っている。私がこの彼のきれいな鈍色の瞳に弱いことを。そうやってお願いされたら、逃げるか、頷くしか、私には選択肢が残されていないことを。
そのくせ私の腕をつかんで退路を断ってから、あたかも選択肢が私にあるかのようにして聞くんだから。本当、―――ずるい人だ。
伊月君に腕を掴まれている私に、逃げるっていう選択肢が許されているはずもないのに。

伊月君と、そして屋上で一緒にお昼を食べた相田さんたちの顔を思い浮かべる。一人はいや。また、いっしょにお昼を食べたい。

人目に触れたくない。ひっそりと生きていたい。人と関わって傷つくのが怖い。

高校生らしい生活を送りたい。友人がほしい。わたしを分かってくれて、私が分かってあげられる人が欲しい。

目の前にいるのは、私が傷つけた伊月君だ。
退路も進路も、全て整えてくれた伊月君だ。
嘘をつかない伊月君だ。
私以上に、私のことを知っていて、言いたいことを酌み取ってくれる伊月君だ。

じっと見つめていると、ゆっくりと彼の瞼が開いて、再び鈍色の瞳が姿を現した。
この優しい鈍色に、私はきっと逆らえない。

「伊月君じゃなかったら、聞かない」
「それは光栄だ」
「……ねえ、伊月、君」
「ああ。涼宮さんの答えを、聞かせてほしい」
「部活。よろしくお願いします。伊月君」
「涼宮!」

絶対、伊月君は知っていたはずだ。
私が彼の提案になら、乗るだろうことを。それなのに、あんまりにもきれいに笑うから。恥ずかしくなって、逃げたくなった。けれども両手を伊月君に掴まれてどうやったって逃げられそうにないから、せめて赤くなる顔を隠したくて両手をひく。
すると彼は何を思ったのか、私の手を放して、その両手で、そっと私の顔を包み込んだ。

やだ、絶対今赤い。

やっと解放された両手で顔を隠そうとしたら、「顔、見せて」と優しく諭された。そんな風に言うのはずるい。
形だけでも抵抗したくて、彼の胸板を叩いた。びくともしなかった。逃げたいし、恥ずかしいし、感情の行き所がない。ちっとも痛そうなそぶりを見せずに、伊月君の「痛いって」と楽しそうな声が頭上から降ってきた。
彼の手に力が込められて、少しの息苦しさを感じる。顔に添えられた手が首に少しだけかかっていて、これから私の命を刈り取ろうとしているようだった。そのまま再び、上を向かされる。本日何度目か、伊月君と視線が合った。

「ありがとう。俺今、すごく嬉しい」
「頷くの、知ってたくせに…」
「涼宮さんから、聞きたかったんだ」

ゆっくりと伊月君の長身が私に近づく。逃げ場がなくて咄嗟に目をつぶった。
こつんと柔らかな衝撃が額に走る。さらりと感じるのは、彼の髪。
そっと目を開けると、至近距離に伊月君の顔があった。慌てて再び目をつぶった。とてもじゃないが至近距離で彼を直視なんてできない。

「…部活でも、よろしく。涼宮」

ゆっくり、噛みしめるように名字を呼ばれた。まるで麻薬のような声。
伊月君が言葉を発する度に、彼の吐息を肌で感じた。互いの額がくっついた状態で、おいそれと動けない。

その日、初めて、授業をさぼった。



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