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19
約束をした図書館にて、本棚からめぼしい本をいくつかさらう。伊月君が来る17時まであと40分ほどある。部活で疲れているだろうし、出来る準備はしておきたい。
確保しておいた机に運んできた本を積み上げる。和歌に関係する、使えそうな本計4冊。足りないものはあとでまたとりに行けばいいだろう。必要なページを開きつつ、ノートと見比べる。


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あと15分で約束の17時だ。今更ながら、色々と心配になってきた。いつもの制服じゃなくて今日は私服だ。服装は大丈夫だろうか、とか、席はここでよかっただろうか、とか、図書館の入り口で待っていた方が良かったんじゃないか、とか。
そして昨日の去り際の伊月君のことを思い出した。

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昨日の授業後、何の前ぶりもなく「図書館に17時」とそっと耳打ちされた。ぞわり。全身の毛が、産毛に至るまで一斉に逆立つような感覚を覚えた。
続けざまに息を吐くような、笑いを圧し殺したような吐息を感じた。
伊月君て、人を驚かすことが案外好きなのかもしれない。

尾を引くぞわぞわとした、なれない感覚に若干涙目になりながら伊月君を見上げれば、彼は楽しそうに鈍色の瞳を細めていた。何が楽しいのか、まったくわからない。ここでいつもの爽やかな笑顔をされても、反応に困るけれども。
当然ながら、「じゃあまたね」という彼の挨拶には答えられなかった。日向君の「ドンマイ、じゃ」という言葉にも。

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それにしたって、伊月君は何のつもりだったんだろう。今思い出しても、思わず身体がぶるりと震えてしまう。あんな耳元でささやかれたら、耳が持っていかれそう―――

「おーさすが!やっぱり涼宮さんすごいね」
「っう、ぁ」
「涼宮さん、しー」

突然耳元で伊月君の声が聞こえて、驚きのあまり肩がはねた。いっしょに漏れ出た小さな悲鳴は、咄嗟に私の口を覆った伊月君の大きな手によって、周囲の人の鼓膜を揺らすことは無かったようだ。
伊月君て、色んな意味で心臓がいくつあっても足りない人だ。

未だドッドッとうるさい心臓をなんとか治めようと深呼吸を繰り返す。その間に伊月君はもう勉強モードに入ったようで、私が持ってきた本と開いたノートをぺらりぺらりとめくっていた。

「こんなにやってもらっちゃって、なんか申し訳ないんだけど」
「···はあ···」
「今日使える資料も用意済みとか、相変わらず準備良いね」
「···いや、」
「涼宮さんごめんって」

あまり誠意の感じられない謝罪にチラリと伊月君へ目線を向ける。私は未だあなたのドッキリで心臓がうるさいんですけど。
現状そのまま、そう、伝えようかと思った矢先、またもや見慣れたネタ帳に最新のダジャレを書き込んでいる姿を見て、何も言えなくなった。

シャーペンを握る伊月君の手。さっき、私の顔の大半を覆った手。大きかった、な。少し体温は高かった。華奢な見た目からわからないほど、ゴツゴツしていた。唇に触れた指は、皮膚が固かった。今までだって彼の手に触れられたことはあったのに。
一心不乱にネタをメモする伊月君の手が、先ほどまで私の顔に触れていたのかと思うと、なんとも言えない恥ずかしさに襲われた。こんな状態で課題なんて、出来ないよ。ねえ、伊月君。

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「涼宮さん、これどう?俺はこっちと合わせたら面白くなるかなって思うんだけど」
「…私、も。あとは、…この本のこっちとか」

伊月君と同じフロアの端にある区切られた自習スペースに移った。ここは先ほどまでの本棚の横の自習スペースと違って、しゃべることが許されているし、ペットボトル飲料なら持ち込みもオーケーだ。それでも会話をしている人はあまりいなくて、全体的にひっそりとしている。
3人向けの小さな丸テーブルに、伊月君に椅子を引かれるまま座った。そのまま伊月君が私の左手に座った。学校での席の並びと逆で、新鮮だ。課題を進めながら、左側を盗み見る。

「学校の逆だ」
「…ちょっと、新鮮、だね」
「同じこと考えてただろ」
「!…なんで」
「んー? 俺はね、―――」

もともとこの自習スペースにいる人も少ない上に、しゃべっている人も少ない。少しでも大きな声でしゃべったら他の人に会話を聞かれてしまいそうで、意識して声を落として言葉を交わした。秘密の話をしているみたいだった。


左耳に熱が灯る。一旦言葉を区切った伊月君の右手が、私の左耳に触れたからだった。本当に、ないしょ話をするみたいに。

「涼宮のことなら、なんでも分かるんだよ」

とびきりの甘さを孕んだ声が、この広い図書館で、私の鼓膜だけを揺らした。

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さすがにそのあと、再び図書館内で、伊月君から耳元でささやかれることはなかった。私の心臓と耳の平穏のためにはありがたかったけれど、少しだけ、もう一度あるかもって、期待していた。あの、ささやかれている瞬間だけは、この世に二人きりのような感覚を覚えてる、甘い声が私だけに向けられないかなって。



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