翌日、朝。時刻は7:47分


「今日の小テスト古典だろ!?俺昨日、徹夜して勉強したから絶対に点取れる」


「それ明日な」


「ウソだよな?なぁ?」


「マジ」


 いつもより少し早い時間。エレベーターの到着音と共に前日よりも更にふらふらとした足取りの名前が降りてきた。


 珍しい……。


 口を傾げるクラスメイト達。そしてその顔を見てギョッとした。ボサボサの髪を手櫛で整えながらの登場姿は見慣れたものだが、血走った目を見開き、ぼーっと光のない目で何処かを見つめていたからだ。


「えっと、名前だよね?」


「んえ?うん」


「凄い顔になってるけど。今日は休んだ方が良くない?」


「ああ、うんうん。大丈夫。むしろこのままで。ハハハハ」 


「前見て歩けや。寝ぼけてんのか」


 フラついた名前がドンっと爆豪にぶつかる。それに悪態をついた爆豪だったが、視線は全く合わず、未だ「ハハハッ」と笑いながらキッチンへと向かう名前に「キメェ」と引いた目を向けた。だが、そんなことは名前の耳には入っていないらしい。そのままキッチンへ向かったかと思えば、コップに牛乳を半分注ぎ、それを傾けた。


「…ごちそうさま」


 これはヤバい。


 その場にいたクラスメイト全員がそう思った。あの大食漢が、ランチラッシュ主催大食い選手権を制した名前が、牛乳だけで。しかも少量で終わりだなんて。


「し、死ぬな名前―!」


「今日は休んだ方がいいってマジで!!」


「そ、そうですわ!保健室までお運びしましょう!!」


 当の本人は「大丈夫か?腹でもいてぇのか」と両肩を掴む轟すら見えているのか見えていないのか分からないレベルに呆けていて、「へいきへいき」と頭をガクガク揺らしている。


「もしかして名前さん」


 そして先日、名前に遭遇した緑谷はハッとした。


「あんまり眠れてない?」


 名前はどこを見ているかも分からないぐるぐると回る目で緑谷を見る。そして一度首を縦に振った。


「うん」


 所変わって教室にて。机に突っ伏した名前を遠巻きに見つめる数人のクラスメイト。


「寝不足かー」


「結構寝てるイメージあるけどね」


「今は寝てんじゃねぇか」


「ちょっと見てきなよアンタ」と背の低い峰田が背中を押される。峰田はまず番犬よろしく名前の前に座っている轟に目線を送った。


「?何だ?何か用か?」


「察しの悪りぃ奴だなー、お前は。コイツだよコイツ」


「ああ」


 轟は名前を見た。それを了承の合図ととって峰田が勢いよく腰を直角に曲げ、下から覗き込む。


「……」


 しばらくその体制のままでいたかと思うとスッと姿勢を正し、戻ってきた。


「どうだった?」


「バッキバキだった」


「言い方よ」


「見てきてみろよ…」


 次に耳郎がいく。覗き込むと目をガンガンに開いた名前と目が合った。


「ウワッ!ガン開きじゃん!目コワ、」


 光のない瞳を思い出してガタガタと震える峰田。


「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている…か」


 常闇が言う。重症だな、と思った面々だったが、轟が「いつも寝てねぇぞ」と言った事でハテナを浮かべた。


「いつも?前からって事?」


「ああ、目瞑ってるだけだ」


 もうほぼ限界なのか突っ伏したまま何も言わない名前。


「人がいるから眠れねぇんだと」


「う”ん」


「難儀だなぁ」


 それからしばらく。昼食を経てお腹は満腹。さて午後からも頑張るぞ!と意気込んだ緑谷、飯田、麗日が廊下を歩いていた時、目の前から担任である相澤がこちらに向かって歩いてきた。手にはいつもの寝袋が引きずられている。


「先生?寝袋引きずっとるよ?」


「ああ」


「寝具が汚れてしまいますが!」


「寝具…。まぁ、そうだが。ちょっとな」


 少し呆れたような、だが何処か仕方無いだろと言わんばかりの空気を滲ませた相澤に首を傾げた3人。相澤はそんな3人に見せたほうが早いだろう、と「こっちから見てみろ」と指を差した。指示通り後ろに回る。


「ブフッ!何しとるん名前ちゃん!」


「相澤先生のお手を煩わせるのは感心しないぞ、名前くん」


 寝袋の中には名前の姿があった。黄色い寝袋がまるでおくるみか着ぐるみのように見えるが、充血した目と黒いクマ、虚な目は相変わらずで、どこか怖い。


「…クサい」


「文句あるなら出ろ」


「じょーだん」


「ハァ」


 ため息をつきながらも「言っとくが頻繁に洗濯してる」と続ける相澤。加齢臭が気になる年齢ではないが、相澤は自分の袖の匂いを嗅いだ。


「(ちょっと気にしとる)」


「色んな意味で肝が座ってる…」


 はは、と笑う緑谷。


「少し目を離した隙に入り込んでな。畳んどくべきだった。引っ張り出そうにも無理矢理すると寝袋破ろうとするわ、オヤツチラつかせようが見向きもしないわで困ってるんだが、お前ら出せるか?」


「犬猫の話ですか?」


「残念だが人間の話だ」


 もう一度、寝袋の中の顔を見る。今にも瞼が閉じそうにうつらうつらしていた。何度も閉じては開き、閉じては開きを繰り返し、不機嫌そうに眉が寄る。


「名前さん眠れないみたいなんです」


「ゲームのし過ぎだろ」


「僕もそう思ったんですけど、昨日、”暇つぶしにゲームしてる”って言ってたんで、寝たくても寝れないんじゃないかなって……。この数日ずっとこんな感じなんです」


 うつらうつらする名前を覗きながら中腰になった麗日が首を傾げる。


「寝そうやけどねぇ」


「(なるほど)」


 緑谷の言うことが確かなら、名前はこの数日、ろくに体力を回復させずに学校のスケジュールをこなしている事になる。その精神力と体力には感服だが、そんな無理は教師として勧めることはできない。相澤は自身の腕を引き上げ、顔を覗き込んだ。


「……お前、いつからろくに寝てない?」


「んん?んー、寮に入ってから…かな?一回ねればなれると思うんだけど」


「慣れる?」


 寮に入ってからしばらく経つというのにその期間の間、眠れなかったのかと驚くと同時に、ふとあることを思い出す相澤。実は寮生活始まってすぐの時に、名前は眠れないからと教員寮に来て、泊まっていったことがあった。今回きりだと許可を出した覚えがあるが、確かあの時は教員の引っ越しが完全に終わっておらず、寮内にほぼ人は居なかった筈だ。


「んー、」


 答えたくなさそうな雰囲気を醸し出しているのも気になる。クラスメイトが居るからか?相澤は3人へ言伝を頼んだ。


「話の途中悪いが、コイツはバアさんのとこに連れて行く。次はマイクの授業だったな?言っといてくれるか」


「はい!名前くん!しっかり休養を取りたまえ!」


「ういー」


 そうして名前はズルズルと引きずられていった。


「なるほどねぇ」



 椅子がくるりと周り、眉を寄せたリカバリーガールが顔を覗き込む。怪我や病気の治療だけでなく、精神的な治療も彼女の仕事の一つなのだ。そしてリカバリーガールは顔を見てギョッとした。


「一体いつからこんな状態なんだい。とりあえずペッツお食べ!」


「おばあちゃんの匂いがするコレ…」


 寝袋の顔部分から無理やり手を出し、貰ったペッツをもごもごと食べる名前。


「お前、さっきの嫌がりようはなんだったんだ」


「サルミアッキはいらん」


 お菓子で釣ろうとした相澤が驚いた顔で地面に座る芋虫を見下ろす。てっきり人から貰ったものは好かないからかと思っていたのだが、単純に好きでなかったらしい。ペッツも変わらんだろと思ったが、相澤は何も言わずに名前を抱き上げると寝袋のままベットの上に放り投げた。


「で?寝ない理由は何だ」


「寝ないんじゃなくて寝れないの」


「環境の変化に敏感なタイプなのかねぇ」


「いや…」


 心当たりがあるような名前。その様子に顔を見合わせる2人。


「小さい頃、いつ死んでもおかしくなかったから」


 家庭環境か境遇か。相澤は眉を寄せ、リカバリーガールの診断を待った。


「なるほどね。あんたは生存本能が強すぎる訳だ。それなら納得だね。オマエさんが他の生徒よりも戦闘慣れしてたのもそれが理由かい」


「そう」


 睡眠とは生き物の本能。絶対になくてはならないものだ。だが、その間は完全に無防備。眠りこけられるのは周囲に敵がいないからに他ならない。同意、その一言で目の前の少女が安心して眠ることもできない場所で生まれ、危険にすぐに対応できるよう生きてきたことが分かる。相澤は立って寝る野生動物を思い出した。


「家ではどうしてた?マンションだったろ」


「慣れれば平気。気配には気付くけど」


「林間は?」


「誰が居るのか分かってたから」


「便利なんだか不便なんだかわからんな。じゃあなんで急に?今だって同じようなもんだろ」


 それにはリカバリーガールが答えた。


「過敏になってるんじゃないかね。この子は毒を盛られたんだ。急に常に人がいる状況になって、警戒心ってセンサーが過剰に反応してると考えれば分からなくもない。難儀な子だね。生きる為の本能が生きる為の本能を邪魔してるんだから」


 睡眠を取らなければ人はいずれ死ぬ。リカバリーガールは名前を不憫に思い、もう一つペッツをあげた。


「一回眠って安全な事を体に理解させるのが早いだろうけど…。アンタもしかしてそれ分かってて来なかったのかい?」


「まぁ。気絶するのが手っ取り早いかなと思って」


「無理な事をするもんだよ。寮生活が始まってからずっとだろう?体の方はとっくに限界だよ。無理矢理気力で保ってるような状況だ。気絶しても眠るだけで済むか分からないよ」


「睡眠薬は?」


「それが一番だけど、この子は薬の利きにくい体みたいだからね。効果を強くすれば副作用が出る。食事も取れないような体力だとしんどいだろうね」


「…どうする?」


 ガックンと頭を揺らした名前が相澤の問いにまたハッと顔を上げた。


「んん、もうすぐ眠れそうだからまだいい」


「意地張るな」


「まぁ、薬の準備もあるしね。1日2日ならまだ大丈夫だろうからそれまでに眠れなかったらもう一度おいで。その代わり、個性での治癒は出来ないから授業で大怪我はするんじゃないよ」


「はぁい」


 ベットから落ちた芋虫が地面を這いながら廊下へと向かう。相澤はリカバリーガールにお礼を言ってその首元を掴むとズリズリと引きずりながら歩き出した。


「…安全確保か…」


「くびいたいこれ」


「我慢しろ。教室までは送ってやる。悪かったな」


「なにが?」


「教師寮に来た時、今回きりって言ったから今まで我慢してたんだろ」


「なんの話?柿鉄100年やりたかっただけだよ」


「それ1人でやって楽しいか?」


「わりと」


 
prev next
back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -