もうダメだ。本当にキツい。眠い。寝たい。眠すぎる。眠い。眠くて眠くてたまらないのに普段なら、気にもならない人の動きにすら勝手に反応してしまう。幼少期の自分。体が若いからなのか、どうにも体と精神とのズレがあるようだ。自分の事なのに自分じゃ何もできないし、気絶しようにも限界なはずの体が、我ながら驚くぐらいしぶとく、それも期待できない。
今の私の眠れる場所は学校の端のトイレか、屋上、放課後の教室、あとはエレベーターぐらいだ。ゴミの中とか、洞穴の中とかじゃないだけだいぶマシだが今はどこかしらに人がいるからすぐに起きてしまって睡眠時間自体は昔の方が断然長い。こうなったのには生まれた場所のせいもあるだろうが、師匠の修行も一因だと私は見ている。
「くっ、そがぁぁ」
昔の苦い思い出に唾を吐き、かき消すために頭を壁に当てる。ゴッと音がして足場が揺れた。揺れる?あれ。私何してたんだっけ。ここどこだ。周りを見渡すが一瞬ピンとこない。まぁ、なんでも良いか。そうして前をじっと見つめていると不思議なことに目の前の壁は二つに分かれていった。ああ、そうだった。エレベーターに乗ったんだった。
「……動いてねぇと思ったら、何してんだテメェ」
「えーーーーーーーっと。ばくごー」
「人の名前忘れてんじゃねぇよ」
不機嫌そうな顔の爆豪に「とっとと降りろや」と腕を勢いよく引かれ、エレベーターから降ろされる。歩き出した彼に抵抗する理由もなく、よろよろと引かれるままに着いていった。
「んなとこで寝んな。人のメイワクっつーの考えろや」
「人のこと考えれたんだ」
「ああ”!?」
「え?」
キョトン。怒られた意味が分からないとばかりの名前を見て、爆豪の額に青筋が立つ。
「チッ、自己管理ぐらいやれや。基本だろうが」
「私にはどうにも。気絶したいぐらい」
「おーおー、気絶さしてやるわ」
「ばくごーじゃ無理だと思う」
「テメェが本調子でもやれるわ!!」
「え?」
またもキョトンとした名前にさらに青筋が立った。
「テメェその顔やめろ!!バカにしてんのかクソが!」
「怒ってるなぁって」
「怒らせてんのはテメェだわ…!」
「え?」
またまたキョトンとした名前にとうとう我慢しきれず爆豪の手が自然と爆破した。
「ウッッッゼェなテメェはよ!そのえ?もヤメロ!!!」
「眠ぃからかいつもより毒増えてんだよなぁ」
「気付いてないところがちょっと天然だよね」
ソファで何か話してる数人。頭には入ってくるのに理解が後から追いついてくる。考えるのもめんどくさい。名前は眉を寄せ、不機嫌そうに首を曲げた。
「キーキーキーキー怒んないでよ…。糖分足りてる?ホットミルクでも飲もうよ。私作れないよ」
「作れるよじゃねぇんだ」
上鳴が笑う。
「遠回しに作れって言ってんのか?ア?」
「サルみたいってのも言ってる」
「あ”あ?!」と両手を爆破させる爆豪。
「ああ、そっか。爆豪も作れないんだ。ごめんね難しいこと言って」
「作れねぇワケねぇだろが!!テメェを美味さで永眠さしたる」
「なにいってるかわからない」
話すのも億劫だというのに。そして名前の口からスラスラたらたらと意味のない言葉が出始める。
「もうなんでもいいからねむらせろよ。ワタシをヨ。アンタら全員、持てる力すべてつかってねむらせろよ。ムリだろうけどナァ。もういいんだよ。というかねむるってなんだっけ。寝方って何だっけ。口から息するんだっけ。鼻からだっけ。うつ伏せだっけ。横向きだっけ。えいみんってひびきいいな。ねむりたいな。いまならマクラになれる私、ぐえ」
「「「(なんか言ってる)」」」
自分が何を言っているかも分からないだろう名前の言葉が止まる。そしてその体がヒョイっと宙に浮いた。
「ウルセェ」
爆豪に首後ろを掴まれ、猫のようにソファの方へと運ばれる名前。
「チッ!舐めプ野郎、このウゼェの黙らせろ」
「う”」
「お」
そして、ソファの背もたれ側から轟の上へと放たれた。
「あーーー」
立ち上がる気は起きない。名前は諦めたように軽く膝を曲げると轟の膝にうつ伏せで頭を預けたまま全身の力を抜いた。そうして動かなくなった名前の後頭部に轟が軽く手を置く。
「名前、体起こせるか?それだとしんどいだろ」
「…むり」
「じゃあちょっと腕あげてくれ」
「むり」
「ん」
頭の置き場所も手足の居心地も悪いが、それよりも動くのが億劫すぎる。テコでも動かないだろう名前に轟は少し困った顔をするとモゾモゾと体を動かし、文句ありげな顔を見せた名前を脇から掬うように引っ張り上げた。
「向き変えれるか」
「ん」
膝に手をついて向きを変える。そして轟の手伝いもあり、名前は横抱きにされたような姿勢で落ち着いた。
「力抜いていいぞ」
先ほどよりもだいぶ楽になった姿勢に肩にもたれかかって力を抜く。くん、轟の匂いがして、途端、眠気が顔を出し始めた。彼の首元に頭を乗せ、すんっと息を吸う。嗅ぎ慣れた匂いに瞼が重くなった。
「寝転がってる時に向き変えた方が楽だったかもしれねぇ」
「たぶんねぇ」
「名前さん、毛布どうぞ」
「ヤオヨロズ、ありがとー」
ヤオヨロズお手製の毛布を膝に。その上に腕を置いた轟がスマホのパスコードを慣れた手つきで押す。動画を見ていたらしい。急上昇の欄にデカデカと載っている新スイーツのサムネと再生中の動画の映像が同じだった。
「名前、これ知ってるか?」
「しらない」
「寮で作れねぇかな」
「サトウなら出来るんじゃない?」
「そうだな」なんて言った轟が次の動画を押した。
低い声と話すたびに揺れる体、生きている人間の動きが伝わってきてなんだか落ち着く。気付けば欠伸が漏れていた。いまなら凄く寝れそうな気がする。周りに誰が居るのか分かってるし、何かあってもとどろきがみはってるし。
「そういや、暖かい方が寝れるよな。温度上げるか?」
「寒くても眠くなるけどな」
切島と上鳴の声にまた少し眠気が晴れる。それに気付いた瀬呂が二人を咎めた。
「声のトーン落とせって」
「轟の個性ならどっちもできんじゃん」
「右「殺す」左ならいいか?」
「(キレキレ…)」
寒いのはむり。そう言えば轟の腕から小さく炎が上がる。程よい暖かさに消えたはずのまどろみがまたむくむく起き上がった。
「前、お前が教えてくれたゲームあったろ。あれ結構強くなったぞ」
教えたきがする。あんまり覚えてないけど。まぁ、何でもいいか。てきとうに返事をしようとした時、「ちょっと待てぇえ!!!」と峰田の怒声が聞こえた。
カッ!!!!
閉じ掛けていた名前の瞼は充血した眼球を曝け出した。
「あーー!!!」
「ちょっと峰田!!やっと寝れそうだったのに!!!」
「なんつー羨ましい状況だ轟ィ!!!」
「何がだ」
ぴょんぴょん目を血走らせた峰田が視界の端で飛び跳ねる。肩の辺りに乗せてた頭を浮かして首を傾げるとさらに峰田が吠えた。
「轟がいいなら俺だっていいだろ!名前!!」
「アンタ抱えられる側じゃん」
それに呆れたように耳郎が返す。
「抱えてくれ!!!」
「いいんだそれで」
「友人だからっつー名分で女子とイチャイチャできるなんて…!天才の発想、天晴れだぜ轟!!」
少し考えこむ轟。
「悪りぃ名前急に抱えちまって。嫌だったか?」
轟は申し訳なさそうに名前の顔を覗き込んだ。
「え?なんの話」
「嫌がってねぇぞ」
「そういう話じゃねぇーー!!」
轟の言葉に地団駄を踏む峰田。
「諦めなって。それに名前って大体の人と距離近いし2人ともなんも考えてないと思うよ」
「そーそー、峰田みたいに下世話じゃないからね!」
この騒ぎで完全に目が覚めてしまった。途端、手持ち無沙汰になって、暇つぶしにひらけたままの轟のスマホをすいすいと指でスライドさせる。
「最近、この人の動画観てるよ。登録しとくわ」
「ああ」
「許してんじゃねぇぇぇ!!」
「なんか羨ましいだろうがよおお!!」と泣き叫んだ峰田が「ウルセェ」の一言で沈められる。そして、ドンっと机に置かれたホットミルクと爆豪。すぐさまカップを取って傾けた。
「ハッ、コレでテメェは死ぬ「アツッ。うわ、美味すぎる」話聞けや!!」
ほのかに甘くて満遍なく温かいミルクが喉を通って体を温める。目は覚めてしまったが、眠りの気配は案外近くまで来ているような気がした。
「だからってそう簡単に寝れるワケねーんだよねー」
既に時刻は24:00を超えている。みんなとっくに寝てしまっているだろう。
名前は一人、共有スペースで時間を潰していた。
『―――――!』
テレビ画面にはずっと観たかった映画が流れ、涼しい部屋で布団をかぶる。普段なら有意義な時間だが、今は内容すら入ってこない。そうしてぼけーっと画面を眺めてしばらく。外に誰かがいるのが分かった。雄英に入れる人は限られているために、一応の意識を向け、少しの間待つ。すると寮の扉がガチャリと開いた。
「…やっぱりか」
「せんせー」
入ってきたのは相澤だった。
「でもちょっと寝れそうだったけどね」
ソファの上に手を置き、ぽんぽんとそこを叩いて誘導すれば部屋着姿の相澤がそこに座る。
「そうか。どうやって?」
「轟といたからかな?分かんないけど」
「なるほどな」
少しの間、何かを考える相澤。名前は完全プライベートだろうに首元に巻かれている捕縛布に手を伸ばすとそれにちょいちょいと触れた。
「分かった。俺が寝ずの番してやる」
「なにがわかった?」
「お前は今、何かあっても即座に動けるよう周囲を常に警戒してるような状態だ。つまり、安全かどうかを探ってる。なら誰かがお前の代わりに警戒する役目を負えば、眠れるようにもなるだろ」
「…なるほどねー」
「じゃあ遠慮なく」
相澤の膝の上にマクラを置き、勢いをつけながら寝転がる名前。相澤は「見張りはすると言ったがベットになる気は無いぞ。降りろ」と言って頭を押したが、しばらくした後無駄を悟ると抵抗を止めた。
「私が叫んだら先生大変だよ」
「教師を脅すんじゃない」
そうして録画している番組を物色し始める。名前は「あ」と声を上げた。
「それおもしろいよ」
「眠れなくても目ぐらい瞑っとけ」
「んー、」
いじいじと触られていた捕縛布が片結びで結ばれる。
「高校生の悪戯じゃねぇな」
「ホンキ出してほしいってこと?」
「…いや、それぐらいにしとけ」
そうしていつの間にか沈黙が生まれた。
とくんとくん。
呼吸する度、心臓が鳴るたび小さく動く相澤の体。それが無性に眠気を誘った。無意識に張っていたらしい心が溶かされたみたいにゆるゆる緩み出して、欠伸が出る。そして名前の瞼がゆっくりと閉じ始めた。
「ねむいか」
「…ねむいよ」
当たり前じゃないか。
「ねていいぞ」
「ねても大丈夫…?」
本当に?
「ああ、大丈夫だ」
「ずっとおきてなくてもいいよ先生」
眠たいでしょ。
「ああ」
「…どっかいかない?」
行かないで。
「ああ。いかないよ」
なら
「まもってくれるの?」
わたしの代わり。
「ああ、だから安心して寝ろ」
先生の手を取る。
「せんせ、ありがとう」
子供のときに会っていたら。
「いいよ」
「せんせいってせわずきだよね」
「そんなつもりはないがな」
「すなおじゃないねぇ。もうすこし手がかかったほうがいい?」
「バカ言ってないではやく寝ろ。お前はとっくに手のかかる問題児だよ」
「手がかかるぐらいがかわいいってことか」
「ポジティブだな」
とうとう名前の瞼が完全に落ちる。
「…おやすみ」
よく眠れそうな気がする。
「ああ、おやすみ」
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