夜の兎 | ナノ


▼ 1



「凄い顔だねー。なんかあった?」


 教室のど真ん中で、全力で落ち込んでいる四人、上鳴、芦戸、切島、砂藤に向かって隠しきれない手の奥で名前はぷぷーっと笑った。


「笑ってんじゃねーか!!知ってて聞いてるだろその顔は!!」


「皆…土産話っひぐ、楽しみに…ううしてるっ…がら!」


「ま、まだわかんないよ。どんでん返しがあるかもしれないよ…!ねっ名前さん!?」


 泣く芦戸を慰めるために慌てて緑谷がそう言うが、同意を求めた相手が良くない。


「そーそーどんでん返しどんでん返し」


 片手間で返すような名前の軽い返事は慰めにはならないどころか、可能性が無いことを予感させ、芦戸はとうとう「うわあああん」と声を上げた。


「緑谷それに口にしたらなくなるパターンだ……」


 同意と言わんばかりに肩を落とす砂藤。慰めたつもりがまさかの反応に緑谷は「えっ!?え!」と声を上げた。


「試験で赤点取ったら林間合宿行けずに補習地獄!そして俺らは実技クリアならず!これでまだわからんのなら貴様らの偏差値は猿以下だ!!」


「林間合宿―補習編―ってパターンかもよ」


 そう言うが、4人の耳には予鈴の音すら入っていないため、名前の言葉に返事はない。まぁ、下手に慰めるのもなんだしなぁ。名前は早々に伝えることを諦めると、「キェェェエエ」と奇声をあげ、緑谷に目潰しする上鳴の横を通り抜け、自席へと着いた。そのタイミングでカァンと勢いよく扉が開き、「予鈴が鳴ったら席につけ」と相澤が入ってくる。


「おはよう。今回の期末テストだが…残念ながら赤点が出た。したがって……」


 ごくりと誰かが唾を飲む。


「林間合宿は全員行きます」


「「「どんでんがえしだぁ!」」」


 立ち上がり、ウオォオオと雄叫びを上げる4人。それを告げた相澤の口元はにっかりと笑っていて、名前は「楽しんでんなぁ」と心の中で呟いた。


「筆記の方はゼロ。実技で切島・上鳴・芦戸・砂藤、あと瀬呂が赤点だ」


「行っていいんスか俺らぁ!!」


 挙手した切島が再度尋ねる。


「今回の試験我々敵側は生徒に勝ち筋を残しつつどう課題と向き合うかを見るように動いた。でなければ課題云々の前に詰むやつばかりだったろうからな」


 自分の試験を振り返る。勝ち筋……勝ち筋があったようには思えないが、教師陣の順番や重りの増加から多少のハンデはあったか、と納得した。


「本気で叩き潰すと仰っていたのは…」


「追い込む為さ。そもそも林間合宿は強化合宿だ。赤点取った奴こそここで力をつけてもらわなきゃならん。合理的虚偽ってやつさ」


「ゴーリテキキョギィイーー!!」


 わぁい!!と鬼気迫る勢いで腕を突き上げた4人。だが、水を差すようにしゅびっと飯田が手を上げた。その顔は何故か悔しそうだ。


「またしてやられた…!さすが雄英だ!しかし!2度も虚偽を重ねられると信頼に揺らぎが生じるかと!!」


「わぁ、水差す飯田くん」


「確かにな。省みるよ。ただ全部嘘ってわけじゃない。赤点は赤点だ。お前らには別途に補習時間を設けてる。ぶっちゃけ学校に残っての補習よりキツイからな。じゃか合宿のしおりを配るから後ろに回して」


 非を認める相澤に名前は「おお、」と声を上げる。未熟な子供の意見を省みることの出来る大人は多く無い。口先だけならまだしも。それに驚いたのはもちろんのこと、もう一つ驚いたものがあった。


「ハハ、林間合宿――地獄の補習編――ってパターンだった」


 しおりの内容に目を通し、へらりと笑った名前。


「ホントにすんなァ!!」


「ウケるね」


「ウケねーですけど!?」


「だーから言ったろ!!言ったらホントになるんだってェ!!」と叫ぶ上鳴に向かって片肘をついた名前はまるで他人事のように「ごめんごめん」と笑う。


「あら?轟さんいかがしましたの?」


 轟はそんな名前をじーーっと見つめていた。



放課後
  

「まぁ何はともあれ全員で行けて良かったね」


 1日の授業を終え、あとは帰るだけというところ。普段なら会話もそこそこに続々と帰り出すのだが、今日は一つ大きな話題がある。名前は「まぁ何はともあれ全員で行けて良かったね」と言う尾白に普通にいい人、と思いながらクラスメイトの会話に耳を傾けた。


「一週間の強化合宿か!」


 飯田の手には林間合宿の日程が書かれた紙がある。緑谷はそれを覗き込むと、持っていかなければいけないものを頭の中に簡単に思い浮かべた。


「けっこうな大荷物になるね」


「暗視ゴーグル」


 何に使うつもりなのか。峰田をじとーとした目で見つめる女性陣。


「水着とか持ってねーや。色々買わねぇとなぁ」


 家にあるものを持ってけばいいか、と考えていた名前にふとその単語が入る。水着……?眉が少し寄る。夏の海といえば日差しだ。だが、名前にとっては少し黒くなるなんて話じゃない。露出なんてしようものなら日焼けどころかローストだ。死、待ったなし。海で訓練なんて絶対にしないと心に決める。


「(買い物行かなきゃだけど…)」


「あ、じゃあさ!明日休みだしテスト明けだし……ってこもでA組みんなで買い物行こうよ!」


 葉隠の提案にすぐに乗ったのはノリが良く、こういう時うまく扇動してくれる上鳴。


「おお良い!何気にそういうの初じゃね?」


 ほかの生徒達も乗り気なようで口々に「いいね!」と言う。クラスメイト達は気が優しく、ヒーローらしい人たちばかり。その中でも特に”お節介“な切島、緑谷は、実力と共に我も強く、自分からはクラスの輪に入りたがらない面々に声をかけた。


「おい爆豪お前も来い!」


「行ってたまるかかったりィ」


「名前さんと轟くんも行かない?」


「明日は見舞いだ」


「明日はゲームの発売日」


 そう、今週は待望のとあるゲームの発売日なのである。だから買い物を渋っているのだ。別の日ならまだしも、明日は全ての時間をそれに注ぎ込むつもりで食べ物まで買い込んだ。ゲーム好きという意外な一面を持つ名前にとって、明日は買い物よりも大事な用だった。


「ノリが悪いよ空気を読めやKY男女共ォ!!」


 カッと目を開いた峰田が言うが、小さな峰田は名前の目には入らないらしい。きょろきょろと辺りを見渡すその足元で「聞けよォォ!!」と峰田が叫ぶが、名前はそれを気にすることも無く、話は終わったとばかりに「じゃ、バイバーイ」と軽い口調でひらひらと手を振るとさっさと教室を後にした。


「なんか機嫌良い…?」


 軽い足取りに合わせて波打つ紺の髪だけが開いた扉の枠の中に一瞬残り、すぐに消える。そこに断ることへの罪悪感なんてものは微塵も感じさせず、緑谷は自分であったら用事があっても断りきれずにきっと行っていただろうな、と思った。するとスッと隣をまた別の人が通る。轟だった。


「あれ?轟くんも帰るの?」


「ああ。じゃあな」


 挨拶もそこそこに荷物をまとめ、すぐに外へと向かう轟。いつも端的な彼だが、緑谷にはなんとなく少し急いでいるように見えた。緑谷はハテナを浮かべながらも小さく手を振り、早足で出て行く轟を見送った。





「……」


 スタスタスタスタ


 誰かが後をつけてきている。校内からずっと。外に出るまでの道が被ることなんて珍しくも無い、と放置していたが、学校の敷地を出てもその気配は消えていない。背後をつける、教室を出た時には無かった足音に耳を澄ませる。自分よりも少し速い足音だった。学生だろうが、ストーカーか、敵か、ただ単に何か用事でもあるのか。だが名前はそれに怯むような肝っ玉はしていなかった。むしろこちらから会ってやろうと角を曲がり、そこで待つ。やはり追ってくる誰かが角から体を出した。


「何か用?」


 相手の腕を掴み、壁にもたれかかったまま尋ねる。すると、目の前の人物の肩がビクッと上がった。


「あれ?轟?」


 驚いたように目を見開く轟。その顔をするのは自分の方じゃ無いかと思いつつも、名前は「なぁに」と尋ねた。


「…わりぃ。怖かったか」


 どこかバツの悪そうな顔。


「ううん、へーき」


 そう答えれば、今度はどこか困ったような、戸惑ったような表情に変わる。何か言いたいことがあるのかもしれない。名前は轟が話し出すのを待った。


「……」


 轟はそれほど話すことが得意じゃ無い。言葉足らずで、伝わらないこともある。ただ、それで今まで困ったことは無かったのに今はなんと言えば良いのかわからない。轟の手の中で林間合宿のしおりがくしゃりと音を立てる。

 轟は生まれてこの方、誰かを遊びに誘ったことがなかった。それに最近、見舞いに行くようになった母のことや話しておきたいこともあって、なんとなく緊張感から続きが出てこない。じっと待つ名前の手が轟の腕から離れる。帰るのかもしれない、轟はそう思い、とっさに名前の腕を取った。


「……お前、明後日」


 取った腕を見つめるが、言葉は出てこない。それに教室で名前が緑谷の誘いを断っていたことを思い出す。やっぱりやめておこう。そう思った時、名前が「ねぇ」と言った。


「…轟、明後日空いてる?」


 弾かれたように轟が顔を上げた。自分への手助けのようなそれに半ば無意識に「ああ」と返事をする。そしてそれに自然と背中が押され、続きは轟が言った。


「もし明後日空いてたら買い物行かねぇか」


―――2日後―――


 数日開いていなかったメッセージアプリを開けば、クラスメイト達からの連絡が溜まっていた。スクロールしてその内容を確認する。話題は昨日の買い物の話だった。敵が現れ、緑谷が襲われたことでモールは一時閉鎖、それにより買い物は中止となったところまでが簡単に書かれてある。それ自体は昨日、ヤオヨロズからの電話で知っていたのだが、リアルタイムでの様子を知れば、また少し印象が変わる。

 敵に襲われたのは緑谷ただ1人。敵はよっぽど緑谷が気になっているらしい。それとも、オールマイトにか。とはいえ、それだけでは解せない。私の知らない何かしらの情報があるのかも知れない。名前はそう思いながらメッセージのマークが付いた轟の欄を開いた。

 学校で会えるからという理由で交換していなかった連絡先はスクロールするまでも無く終わり、その最後には近くまで来てるというメッセージがあった。そして、それは嘘ではなく、しばらくすると「名前!」と自分を呼ぶ声が聞こえる。


「わりぃ。遅くなった」


「大丈夫。私も遅れたしネ」


 そう言えば、轟は「そうか」と、ほっとしたような顔をした。その額には汗が滲んでいて、暑そうだと持っていた飲み物を手渡す。


「いいのか」


「私は別に。一口飲んだけどへーき?」


 天人も人間も気になるヒトはいるもので、せめてもの配慮にそう聞けば、轟はなんの躊躇も無く、それを受け取り、「ああ」とペットボトルを傾けた。


「で、今日何買うんだ」


「私はカバンと日焼け止めとか。轟は?」


「俺は懐中電灯とか…か?」


 ゆっくりと轟の首が傾く。名前も合わせて首を傾げた。


「もしかして…あんまり欲しいのない?」


 「ああ、でもお前と出かけたかったから」さらりとそう言った轟に名前は照れることなく、なんで?と反対に首を傾げる。轟は顔が良いが、そんなものは慣れている。この2人に浮ついたものの入る隙は無い。そうして話もそこそこにショッピングモールを歩き出す。昨日の今日とはいえ休日の今日、人は多かった。


「昨日の話聞いたか」


「ちょっとはね」


 飲んだことが無い、と言う轟と買ったタピオカジュースを片手にエレベーターに乗る。だが、タピオカジュースと言いつつも、名前の買ったものはタピオカジュースのタピオカ抜きである。


「近々なんか起こすんじゃないかな」


「なんでわかる」


 ちゅーーとストローから飲み物を吸い上げ、そして「んー、なんとなく」と返した。

 悪党が白昼堂々、姿を見せるなんてことはきっと普通じゃない。多分だが。悪党にしては動きが派手すぎる。悪党ってのは大抵は水面下で暗躍するものだ。それが大きければ大きいほど。わざわざ自分の存在を見せびらかしたりはしない。自分も含め、普通はそうだ。だからこそ引っかかる。水に落とした途端、じわじわと広がる墨のような。そんなものを見ているような感覚があった。


「(そんなこと、言う必要も無いんだけど)」


 「これウマいな」そう言ってタピオカを吸い上げる轟に目を向ける。Tシャツにパンツというシンプルな出立ちは轟の造形の良さによく似合っていた。


「轟って服とか自分で選んで買ったりするの?」


「姉さんが選んだのを買ってる」


「かわいいけど、予想通りすぎて面白くない」


 目を軽く細め、つまらなそうな顔をする名前。


「別に笑わせようと思って言ったわけじゃねぇんだが。というかかわいくはねぇだろ」


「そう?まぁ、顔は美形って感じかな」


 火傷跡があろうとなかろうと、美しいものは美しい。轟はそれに「そうか」と不思議そうに返事をした。


「虫除けもいるな」


「線香あるよ」


「それ持って歩けんのか」


 会話を挟みながら必要なものを買うために目に着く店へと入る。


「どっちがいい?この服」


「俺が決めるより、お前が決めた方がいいだろ」


「ほら早く」


 選ばない、という選択肢を与えてくれなさうな名前に轟は渋々片方を指差した。


「ふぅん」


 揶揄うつもりの名前だったが、轟はセンス自体は良く、指された方を購入する。轟は「ほんとにいいのか?」と少し驚いていたが、名前がやめないと分かるとすぐに「似合ってる」と言った。


「もう終わり?」


「ああ」


 買うものも決まっているし、フラフラ歩き回るようなタイプでも無いために2人の買い物は思いの外、あっさりと終わる。


「もうすぐ昼だな。この近くによく行く蕎麦屋があるんだが、行かねぇか」


「用事がないなら」と続ける轟に二つ返事で頷く名前。丁度、お腹も空いていた、と言えば、轟は「良かった」と少し口角を上げた。


「毎日そば食べてて飽きないの?」


「別に飽きねぇ」


 案内されたカウンターで横並びになって蕎麦を待つ。手打ちの生地を一定のタイミングで切る音と蕎麦の香りが空腹のお腹を緩く刺激した。だが、食事が出るまではまだもう少しかかる。自分達以外には客のいない店の中、苦のない沈黙の中でそれを楽しみに待っていれば、轟が「なぁ」と名前を呼んだ。


「入学してすぐのヒーロー基礎学の授業でお前と当たった時に俺が左手使わなかったの覚えてるか」


「うん」


「俺の親父、エンデヴァーは……」


 ぽつりぽつりと話し始める轟。個性婚話、母親の話、最近はお見舞いに行っていること、体育祭で緑谷と戦ったときに感じたこと、職場体験でエンデヴァーをどう思ったか。名前は時折、止まるその話を止めることなく、うん、うん、と相槌を打ちながら聞いた。轟は話しながら整理しているのだと思ったからだ。そして、最後に轟は「まだ、全部は無理だ。でも、俺は…俺の力でヒーローになりたい」と不器用な言葉で締めくくった。


「ふーん。良かったネ」


「軽いなお前」


「今だから言うけど、私体育祭の時の話ちょっと聞いてたの。でも君が左手使わないのは勿体無いって思ってた。だから緑谷には感謝だネ」


 轟はまた少し嬉しそうに笑って、「そうか」とだけ言った。


「というかなんでその話を私に?」


 自分は緑谷のように何かした覚えも無ければ、そんな話をされるような仲でもないはずだ。名前の質問に轟は不思議そうな顔をすると躊躇することなく、「友達だからだろ」と言った。お茶を飲もうと伸ばしていた手がぴたりと止まる。


「友達?」


 友達…。名前は何を言われたのかを確認するようにもう一度、小さく呟いた。


「(友達か)」


 今や数少なくなってしまったものだ。友人も何もかも前の世界に置いてきてしまったから。

 自分にとって、彼らは弱い存在である。彼らは人間で、戦場も知らない子供だから。だからこそ死なせることを躊躇する。わざわざ殺す必要性は感じないし、強くなる可能性だってある。だから、ヒーロー殺しの時だって、USJの時だって。

 そこに友人だから、という理由は無かった。だけど、そんな自分も彼の中では”友達”だったらしい。そうだ、彼にとって私は今、夜兎では無く、15.6歳のただの”人間“の友人だったのだ。それを今更になって名前は理解した。
 

「お前、なんで職業体験の時にアイツに敵って言われたんだ」


 自分を”友人“とする轟のために、名前はその質問に答えることにした。


「爆豪を殺しかけたから」


「体育祭の時ね」驚いた轟の視線が自分を見ているのが分かる。だが、轟は詳しく聞こうとはしなかった。いや、多分、言えなかったんだろう。


「お腹空いたね」


「…ああ」


 それ以降、彼はその話には触れようとはしなかった。








あとがき
 互いに初めてをくれる人って感じ。
 

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