壊れてそして | ナノ
■ 騒動はあっけなく

ねぇ、このとき、くるしい?

どこかで聞いた覚えのある声。辺りを見渡せばそこは昔の家だった。昔の、ーー3人で暮らした家。随分と久しぶりに見たはずなのに今日までずっとここに住んでいたような感覚に陥って、私は二階の、自分の部屋のドアを開いた。途端、下の階から怒声と金切り声、何かを投げる音。瓶が割れたような音。

苦しかったよ。

顔を手で覆うといつの間にかアパートの中、古びた机に突っ伏していた。辺りは見回せば派手なドレスがそこら中に散らばっていて、それを踏まないように身体を縮こませ、窓の外をぼんやりと眺めている少女がいた。

このときは?

その子は振り向かないでまた私に尋ねる。分かっているくせに、どうしてわざわざ聞いてくるのだろう。

苦しかった。

ゆっくりと、少女が振り向く。相変わらず、落書きを消すかのようにボールペンでグチャグチャに塗り潰されている、表情の見えない顔。

貴方は私だから、いつも何を思っていたのか知ってる。だからもう何も聞かないで。出てこないでよ。

少しの沈黙。そして少女はまた窓の外を見る。

うそつき

はっきりとした声。怒りに震えているような、非難めいた口調。
嘘なんかついてない。喧嘩が始まると部屋に逃げ込んだ時も、母が仕事で帰ってこなかった時も、苦しいけどでもきっといつかは上手くいくって信じて、いつも耐えていた。忘れてなんかない。嘘なんかついてない!

じゃあ、これもおぼえてた?

その問いに顔をあげれば、ふんわりとなびくカーテン。いつの間にか私≠ェ窓の外を見ている。ゆっくり部屋を見渡すと、全身鏡が目に入った。あ、と声が洩れる。

塗られていた黒い線は顔のどこにもない、昔の私。
ボロボロと頬を伝うもの。

泣いていた。
そうだった、私はいつも泣いていた。



耳元に転がっていたスマホから盛大なアラーム音が鳴り、その音の大きさに跳ねるように上体を起こした。いつもはベッド横のチェストに置いてるのにどうして耳のすぐ傍にあったのかと起きたばかりの働かない頭をフル稼働させれば、遅くまで黒尾とLINEしていたのを思い出した。いつの間にか寝てしまったのかと画面をタップして確認すると
さては先に寝たな〜?うっ、ボク寂しい…
まじで寝たな
おやすみ〜明日な
と、最後にウサギとクマがキスをしているスタンプで締めくくられていた。ウッ、と春瀬は唸る。以前であれば何も考えず返事をしていたが、例の件があった手前このスタンプに妙に気恥ずかしさを感じてしまったのだ。そんな自分も恥ずかしいと頭をペシペシと叩き暫し思案した後、クマとウサギが殴り合いをしているスタンプを送った。
おはよ。


文化祭後の振替休日が終わった。つまりあの盗難容疑事件以来の登校ということである。疑いが晴れはしたものの周囲からは陰口叩かれるんだろうなと面倒臭さにため息をつく。
「朝からなぁにをハァーッてしてるのかねこの子は」
はよ、と肩を叩かれる。
「あら、ハァハァしてたのが聞こえてたか」
「いやそれ聞いちゃってたら声かけなかったデス」
「昨日寝落ちしてごめんだお〜」
「寝落ちは全然いいんですよ。けど朝のあのスタンプは何」
「問題おアリかね」
「熱いキッスかました後に殴り合いしてるの問題しかなくない?」
「ゴングよ。ゴングが鳴ったのよ」
「俺の熱い燃えるようなキッスがゴングだったってわけね…」
「くろぴがキッスしてねーだろがぁありゃクマだろがぁしてんのはよぉ」
「照れてんの?あれで?可愛いな〜お前は」
「うるさいな!ハァハァハァ!」
「興奮しないで!」
「ヒッヒッフーッ!」
「出産!」
朝から元気だなと通行人から生暖かい目で見られていることもつゆ知らず、2人はいつものように軽口を叩き合いながら学校へ向かった。


悲しきかな中学の経験等から人に避けられるのは慣れている春瀬だが、やはりちょっとだけ緊張するなぁと思いながら靴箱を開けた。
(あ、何もされてない)
そして随分久しぶりに見る綺麗なままの靴箱に、少しばかり感動を覚えた。ポケットに手を突っ込みながらチェックをするかのように背後でジッと待つ黒尾に苦笑して、行こ、と教室へと向かう。


「………………」
「………………」


廊下を歩けば感じる視線、
小声で囁き合う言葉達、
あからさまに逸らされる視線、
軽蔑だというような態度、

は、全くなく

「あ!!黒尾先輩貴田先輩おはざす!!」
「春瀬信じてたよー」
「てか春瀬いじめられるとかネタだろ」
「黒尾目細くね?」
「春瀬ドンマーイ」
「黒尾の髪すごくね?」

等。予想していた周囲の扱いとは正反対の雰囲気に、双方思わず顔を見合わせて驚いてしまう。
「………………」
「……………………」
「………………え待ってとりあえず何故俺は一緒にいじられてんの?」
「分かんないけど、おいしいよねクロぴのそういうとこ」
「ほんとね!ありがとござまーす!じゃないのよ。何だこの空気は。俺としては嬉しい限りだけど今日ハルに文句言ってくる奴には全員体当たりするって決意して登校してきたのに」
「黒尾実はラグビー部じゃね?って言われてまう」
「お前まで俺をいじって」
とりあえずいい意味で肩透かしだなと黒尾は春瀬の頭を撫でる。
それにしても本当に予想外だと思わず視線を色んな方向に彷徨わせた。

「貴田、」

丁度職員室を通り過ぎた時、担任である久保が出席簿を振りながら春瀬を呼び止める。
「あーヤーさんだ。おはおはぴっぴー」
「おはざーす」
「おはよう。お前のふざけた挨拶は後で説教するとしてちょっと職員室こい」
「え、朝から指導…」
「違う。黒尾、悪いが先行っててくれるか」
「俺も一緒じゃ駄目ですかセンセー」
「駄目だ」
「………うぃー」
引き下がるしかないかと渋々頷く黒尾に、また後でねと肩をポンポンと叩く。何の事か後で教えろよと釘を刺すように何度も何度も言われ、了解しましたと頷いた。こうも口酸っぱく言われる理由は先日の事があったからだろう。虐められた、襲われたという事実を隠されていた事が彼にとって余程こたえたようである。


職員室に入るとそのまま奥の応接室まで案内された。ノックをしてドアを開ければ、そこにはなんと生徒指導の山平、教頭、そして校長が揃っているではないか。流石にキツい面子なんですけど!と心の中で悲鳴を上げながらそれを表情には出さずに、軽い会釈と共におはよーございます…?と挨拶をした。何で疑問形なんだよと久保に後ろから出席簿で頭を叩かれた。
「おはよう貴田さん。すみませんね朝から」
「だいじょぶです。」
「時間もそんなにないので直ぐ本題に入りますが、」

あ、やっぱりこの前の事かと春瀬は構えた。

「文化祭の窃盗のことで、」
「はぁ」
「犯人が分かりました」
「はぁ
…………………ほぇ?」

てっきり本当にお前はやってないのかと再度疑われると思っていた為予想だにしなかった言葉に素っ頓狂な声を上げてしまう。犯人、つまり坂木だと分かったということか。事態が意外な展開へ向かっているぞと春瀬は校長の言葉の続きを待つ。
「実は今日の早朝に、他校の子が来まして」
「他校、」
「はい。女の子だったんですが、その子が顔を真っ青にしながら自分がやったんだって話してくれました」
「俺が対応した」
「山ちゃんが?」
「あぁ。この子知ってるか」
そう言って紙を渡される。左端に学生証のコピーがされていて、他校の制服に身を包んだ女生徒だった。顔を見る限り認識はない…筈なのだが、どこかで見た気もすると春瀬はうぅんと唸った。
「学生証だからな、身なりがある程度整ってる。実際はお前や三井、唯川みたいなバッサバサのギッラギラだ」
「どゆこと?!」
「髪の色は赤いしまつ毛も凄いしスカートも」
「おけ把握。つまりその子が犯人だったってこと?」
「の、1人ってことだ」
「…………」
合点がいく。話はこうだった。
文化祭でアリスの服、金髪のウィッグをつけて坂木のロッカーを探っていた人物は音駒高校の生徒ではなく、他校の生徒だったということ。通常であれば部外者が学校内に入れる筈はないが、文化祭だ。人の多さに紛れて難無く潜り込むことが出来たのだろう。どうやらその生徒は、音駒高校の何者か≠ノ「お金をあげるからある人物を窃盗犯に仕立て上げて欲しい」と頼まれたらしく、その金額が中々大きかった事もあり喜んで引き受けたそうだ。しかし事に及んだ後、その人物がなんとあの貴田春瀬だったという事実を知った彼女は大変なことをしでかしてしまったと顔面蒼白、今日の早朝こちらに駆け込んで白状したのだという。
それを聞いた上で改めて学生証の写真をまじまじと見た。
「あー……………………」
「ん?」
「思い出した」
「知ってるのか?」
「中学の時にボコボコにした子だ」
「………………」
「………………」
「………………」
「………かっこわらい」
「笑えねぇよ…」
「でもまぁ…なんだ、そのおかげといったら駄目な気もするが、貴田の無実が晴れたというわけだ」
「ふーん」
どうやらその子は私がやったと職員室の前で随分と騒いでいたらしく、既に登校していた生徒達にも目撃されていたようで。その話があっという間に広まったのだろう、道理で朝のあの対応だったわけである。
そしてここからが本題なんですと校長が気難しそうな顔をして姿勢を正した。あれ?さっきも本題って言ってなかった?どっちが本題?とツッコミたくなったがそれは大変KY発言であると自覚している為春瀬は言いたい気持ちを抑え、自分の心にソッとしまった。
「実は、」
応接室がピリッとした空気に包まれる。


「その何者か≠ェ、坂木さんだという可能性が高い事です」


「……………………」
「……………………」
「……………………」
「………………えっー!ソウダッタノカー!!」
「………………………」
「………………………」
「……あれ?」
「お前…まさか……」
最初から気付いてたな?
振り向くと、地獄から来ましたコンニチハと挨拶するかの如く迫力満点恐ろしい般若顔で春瀬を見下ろす久保。この男は本当に教員免許を持っているだろうかと今まで何度疑ったことだろう。

「いや、初知りですヨ」
「嘘下手か。何で直ぐ言わなかった」
「…………」
「そうですよ、何故この前言わなかったんですか」
「……いやー」
「………」
「だって」
「ん?」
「…………言って、全部信じてくれましたか」

沈黙。

勿論だと直ぐ答える事が出来ないのはNOと返答しているようなものだった。もしあの時に坂木が本当の犯人だと春瀬が言ったとして、100%信じ切ることは出来ただろうか。春瀬が犯人ではないと久保自身信じてはいたが、だからといって坂木が犯人だと言われればそれも信じることは出来なかっただろう。
「何より、皆を混乱させるのが嫌だった。」
「……………」
「折角の文化祭なのにさ、3年生最後のお祭りだったのに、誰が盗んだ誰がやったとか詮索し合ったらもうその時の思い出ってそれになっちゃうじゃん。それが死ぬ程やだったんだもん」
「貴田……」
「………………」
「…………成る程。何故言わなかったのか、とは浅はかでした。責めたように聞いてしまってすみません。」
「………でもやっぱり、すみませんでした。」
「謝らないで下さい。………例の他校生が彼女の名を口に出したので、私達としても本人から話を聞きたいのですが。生憎今日は欠席のようでして。」
この場にいる教師の誰も口にはしないが、このタイミングの欠席がより一層怪しさを深めたらしい。皆複雑な顔をしている。

春瀬は腕を組んで暫し思考を巡らせた後、口を開いた。

「……坂木さんが犯人だってことも、もう広まってるの?」
「え?いや。彼女…他校生にその話をされた時は既にこの応接室に居たので、他の音駒生達は分からないと思います」
「……」
「貴田?」
「この話、ここで終わったらダメですか。」
「え?」

ダメに決まってるだろうと久保は口を開いた、だが春瀬の表情を見て言うのを躊躇してしまう。彼女はいつになく真剣だった。何やら考えがあるようである。

「ここで終わる…というのは」
「元はといえば私と坂木さんの間での揉め事ですよね。財布が見つからないならともかく、財布自体も本人の元に戻ってきて、かつそれを仕組んだのも本人だったのなら、一応の解決はしているじゃないですか」
「解決…はしていませんよ。貴田さん、君の気持ちはどうなる」
「多分欠席したって事は、その他校の子にもうバラすからとかなんとか言われたんじゃないでしょーか。それでビビって登校してないんでしょ多分。あ、金銭の受け渡しはあったんでしたっけ」
「…打ち明けると決めた手前、貰っていないと聞きました。」
「出た、たまに発揮するヤンキーの謎仁義」
「なんだそれ」
「まぁ要するに、決闘っすよ」
「は?」
「私直接坂木さんと話ししてきます。2人で解決します。タイマンや!!」


「…………」
「…………」
「…………」
「ぶふっ」


ぽかんと口を開ける校長
キョトンと目を丸くする教頭
呆れたとばかりにため息をつく生徒指導
笑いを堪え切れず吹き出す担任


そして、各々の反応にニコニコ笑いながら、やるぞーっえいっえいっえーいっ!と拳を振り上げた生徒がいた。

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