壊れてそして | ナノ
■ 黒尾鉄朗は、B

ハルが、ほとんど学校に来なくなった。

今まで教師に反抗したり喧嘩をしたりと色々な噂を聞いてはきたが辛うじて登校はしていた、けれど2年生に上がった頃には学校で顔を見ることがほとんどなくなってしまったのだ。登校しない日が連日続いた時にはハルの担任が申し訳なさそうに俺に連絡をお願いしたりプリントを渡して欲しい等と頼んできた。正直教員としてどうなんだと呆れたが、どうやら本人に電話や直接訪問しても一切音沙汰なしで出てこないらしく、唯一俺が出向けば出てくるからということらしい。実際その通りで、彼女の部屋のインターホンを押すと以前と変わらぬ様子で笑いながら部屋から出てきた。その度にお前が滅多に学校来ないから会えねぇだろ登校しろと本気半分冗談半分で丸めたプリント等で頭を叩いて怒った。連絡&プリントを渡すだけの用事だったが毎度の事ながら話が弾み、終いには玄関で二人座りこんで話をするという流れが習慣になっていた。話といっても何故あまり登校しないのか、何故教師と会おうとしないのか、何故喧嘩ばかりしてるのかなんて内容ではない。ただの馬鹿話。なんら以前と変わらない本当に下らない話。詮索されたくないハルの感情を察していたし、いつか彼女から話をしてくれると信じいたから。だから部活が終わって毎日、足蹴無く彼女のアパートに通っていた。 今から行くとメールを送り、インターホンを押せばハルは笑って出てきた。


季節が秋から冬に移りかけた時、俺は恒例の如く部活を終えてバスに乗り込む際にメールを送った。いつもであれば数分後に返信がきて、ゆるい返事と絵文字が返ってくる。
イヤフォンを携帯にさして音漏れしないよう気をつけながら音量を上げプレイリストを開く、今は穏やかな曲を聴きたい気分だ。バスに揺られながらゆったりしたお気に入りの歌手の曲を聴いていると、練習後の気だるい疲れもありそのまま寝入ってしまった。
目が覚めた時には降りるバス停に着く頃だったので慌てて停車ボタンを押した。片方の耳からずり落ちていたイヤフォンをはめ直して、そのまま流れている音楽を聴く。と、受信音が聞こえた。そういえばハルからの返事まだだったなと思いながら今日は随分遅い返事だとポケットに入れていた携帯を取り出す。
「…………………は?」


ごめん、会いたくない。


たったそれだけの文、絵文字も何もない。冗談かと一瞬思った。だけど冗談でこういう事を言う奴ではないし、理由もなしにこれだけを送ってくるという事は絶対に何かあったのだと思い直す。先程感じていた疲れなんて何処へやら、急いで向かわなければと俺は走った。今まで音楽を聴きながら欠伸をかいていた男子中学生が急に走り始めたものだから、周りにいた通行人達はさぞ驚いたことだろう。けれど今はそんな事関係ない、早く会いに行かなければならなかった。アパートへ行きさえすれば、インターホンを押せば、会いたくないって言ったじゃんなんて笑いながら出てくると思ってた。




ハルが部屋から出てこなくなって2週間が経った。毎日欠かさずメールや電話もしたし、部活後会いに行くという習慣も止めることなく俺は続けた。一応何かあったら困るのでハルの担任に俺が行っても出てこなくなってしまった旨を伝えたのだが、その瞬間物凄い顰め面を一瞬見せたのを俺は見逃さなかった。それでも大人かと思ってしまう。
後日聞けば、家にはちゃんといるらしかった。担任がしつこい程にノックとインターホンを押し続けると、ドアの内側から怒号と共に非難するような強い音が聞こえたらしい。ドアに向かって何か物を投げつけたのだと思うと言っていた。
「貴田さんのあの…叔母さん?には一応連絡はしてるんだけどね、先方も全く反応なしで困っちゃって。黒尾君も大変だよね……あとは先生達が何とかするから、もう行かなくていいからね」
「いや行くけど」
「え」
「……行きますよ。俺。今後も。」
「あ、…あぁ…そっか。ありがとう」
ありがとうと言われる事に心底腹が立った。感謝される覚えはない。俺があいつの家に毎日向かう理由は会いたかったからだ。ただ会いたかったからだ!

「クソっ!!」

帰宅して、自分の部屋にあるクッションをベットに投げつける。物に八つ当たりするなんて最低な行為だと理解はしているがこのイライラをどうにかしたくてしょうがなかった。ハルが教師に会いたがらない理由がなんとなく、ジワジワと分かってきて。だけどどうして自分とまで会わなくなってしまったのだろう。髪をグシャグシャにかき混ぜて、投げたクッションを拾って荒っぽくどっかりと椅子に座り込んだ。

突然空手を辞めたのも分からなかった
突然髪を染めたのも分からなかった
突然学校に行かなくなったのも分からなかった
突然、会ってくれなくなったのも

「言ってくれないとわかんねぇっつーの。むかつく。……」
ギィギィ音を立てて背凭れに寄りかかったり、クッションを抱きしめながらグルグル椅子を回してみたり、椅子に付いてるキャスターで部屋を移動したりと落ち着かない俺の気持ちが顕著に行動に現れる。だがそこではた、と気が付いた。
「………そもそも俺だって聞かなかった」
ハルが聞かないで欲しそうにしていたから今まで聞かなかった、それは確かにその通りなのだが、もし聞いてしまえば今まで築き上げてきた彼女との関係にヒビが入るのではと恐れていたのも事実で。自分だって今までずっと一歩引いていた癖にハルだけを責めるのもどうなのか。俺だって何も言わなかったのに。
髪をかき混ぜながら立ち上がりアー!と悲鳴に近い雄叫びを上げていると、ノック音が聞こえる。あ?とその音の方を向くと、ドアは既に開いていて、呆れたように凭れかかる母の姿があった。
「何っ回もノックしたのに返事がないしその代わり部屋の中からあんたのトチ狂った声が聞こえてくるからどうしたのって開けたら百面相してるしどうしたの」
「すげぇノンブレスに言い切ったね」
「噛まなかった自分自身にちょっとビックリよ」
あーあーこんなに散らかしてと地面に転がってる物を拾っては俺の方に投げてくる。いやそのままにしておいてくれよ後で片すからと言ってみるが、あんたの後ではいつよと返されてグゥの音も出ない。

よいしょとベッドに腰掛けた母が何やら真面目な表情になっているのを見て、ようやく何か話をしにきたのだろうと気が付いた。
「………春瀬ちゃんの事で悩んでるの?」
十中八九その事だろうなと思っていたが、やはりそうだったらしい。うんと俺は小さく頷く。親代わりといえば親代わりだが、戸籍上ハルの母親は叔母だ。だから何かあっても学校側が連絡するのは叔母なのだ、それは当たり前の事だと理解はしている。でも過ごしてきた時間を振り返れば、あの叔母なんかより母さんの方がハルを見てきた。小学4年頃のあの葬儀の夜、トイレに行きたいと目が覚め、廊下を歩いていた際に盗み聞きしてしまった父さんと母さんが二人リビングで話していた内容を思い出す。
私はあの子の母親になりたい
涙交じりに確かにそう言っていたのを今でも覚えている。
「春瀬ちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」
「…わかんね。…何も喋ってない」
「…………そう。」
母さんが小さく溜息をついて、膝に置いていた手を握り締めた。

俺はあの葬儀の日から母さんにも聞きたかった事があった、でも子どもながらにこれは聞いちゃいけない事なんだと感じていて。


けれど聞くなら今しかないと思って


「母さん、」
「んー?」
「ハルの父親ってどこにいんの」
「………」


今まで一度も、話題にも出したことのない、俺の中の禁句。言って何故か全身の毛穴が開いたようにブワッと身体中鳥肌が立った。自分から口にした癖に、ハルが居ない所で勝手に彼女のテリトリーを踏んでしまった気がした。
目の前にベッドに腰掛けている母さんがハッと息を飲んだのを感じる。それはと言いかけたのが聞こえたが、その言葉に続きはなく、どうしたのかと俺は顔を上げた。何故、そんなに目を真ん丸にしているのか。
「鉄、…」
「え、何………」
「………………」
「………………」
「あんた、何で……なに、どうしたの。なんで泣いてるの」
「は?」
「いや、顔触ってみなさい」
「は!?」

言われた通り片手で頬を触ってみるとジットリ濡れていて、ほんとだ何で俺泣いてんの、と驚いて指で拭う。知らない内に泣いてるとか漫画や小説とかだけの話じゃなかったのか。堰を切ったようにポロポロ流れ出てくる涙にいよいよ焦って、なんだこれと叫んでしまった。
俺の様子を見てしばし固まっていた母さんが、プッと小さく吹き出して眉を八の字にして笑った。苦笑に近い笑い方だったけど、嬉しいみたいでもあった。ティッシュの箱で俺の頭を軽く叩いて、そのままその箱を俺の手に渡してくれた。

「あんた、ほんとに春瀬ちゃんの事が好きなのね。」

母さんも、涙声だった。






父親は初めの頃は真面目な人で、3人とも普通の家族だった。3人で祭りに行ったのよーなんて、春瀬ちゃんのお母さんーー由紀枝は言ってて、すっごい幸せそうで。由紀枝とは大学の頃から仲良くなって、すごく気が合ってね。親友だった。 事が終わって由紀枝から全部聞いたんだけど、父親が勤めていた会社が倒産してクビになって、就活しても歳を食ってるからダメだって理由で全部落とされたみたいで。そこからそのストレスを解消するように家でずっと毎日毎日、お酒を飲んで、……アルコール依存症っていうやつ、授業とかで聞いたことある?……うん、そうなっちゃったみたい。 由紀枝は必死で止めたみたいなんだけど、全く聞いてくれないって。元々酔い方も酷かった人だったみたいだから飲んでる時も…次第は飲んでない時もずっと怒鳴り散らかして暴れてたって言ってた、暴力も、あったみたい。だけど春瀬ちゃんには絶対手出しさせないように、由紀枝はずっと庇ってたって。ある時二人で喧嘩になって、いい加減私達の気持ちも考えてよって由紀枝が怒鳴ったら頬を叩かれて、その拍子で由紀枝が倒れ込んじゃった時に春瀬ちゃんがお父さん止めてって、…前に出てきちゃったみたいで。うるさいってその時持ってたビール瓶で頭を………。 電話がきたのよ、私に。どうしようって泣きながら混乱してる由紀枝の声、覚えてる。春瀬がずっと目を瞑ってるの血が止まらないどうしようってずっと言ってて、救急車呼びなさいすぐ行くからって伝えて私も家から飛び出した。着いた時には春瀬ちゃん担架に乗せられてて、横に呆然としてる由紀枝がいるの。でもどこにもいないのよ、父親は。どこか出てったきり、どこにも。警察に届け出して、ニュースにもなった。小さく新聞にも載ったの。 けれど未だに見つからない、春瀬ちゃんのお父さん。幸か不幸か…幸の方なのかな…春瀬ちゃんは……その時の記憶がないみたい。 その後、私は大丈夫だからって由紀枝笑ってた。でもやっぱり放っとけるわけないじゃない?だからと思って連絡はしょっちゅうしてたんだけど、いつの間にか連絡先変わって、家にいっても引っ越したみたいでその引っ越し先も分かんなくて、音信不通になっちゃったの。……その数年後、由紀枝が亡くなったって訃報を聞いた。 お葬式の時にね、春瀬ちゃん一度も泣かなかったの。……覚えてる?そう。声をかけてもね、人形みたいに目に光なんかなくて。感情を前に出すことなくて、ずっと大人の指示通りに動いてた。

だけどね、鉄朗。あんたよ。






ずっと無言で聞いていたハルの話に、急に俺の名前が出てきたことに驚いた。俺?と顔を上げれば母さんは優しく、ゆっくり頷く。

「鉄朗と一緒にいて少しずつ、春瀬ちゃん笑顔が多くなった。そしてどんどん可愛くなって、冗談を言って人を笑わせて和ませてくれる、素敵な女の子になった。」
「………あいつが持ってる元々の性格だろ」
「でも引き出したのはあんたよ」
「どうかな」
「頑固ねー…知ってる?春瀬ちゃん、他の人と話してる時のお顔とテツと一緒に居る時のお顔、全然違うんだから。」
あんたと一緒にいたから今の春瀬ちゃんがいる、母さんはそう続けた。

「だから今のあの子に寄り添えるのもきっと、あんただけなのよ」






気持ち的には何年ぶりだなんて思ってしまうくらいに久しぶりに見たハルの姿は、随分とボロボロだった。元々細身だった身体は一段と細くなっていてロクな食事を摂っていないのが目に見えて分かったし、口の端からは血が出ていた上あちこちに擦り傷。喧嘩してきたのかと頭が理解するのに時間はかからなかった。自分を痛めつけるその行為が許せなくて、頭に血がのぼった俺は咄嗟に彼女の手にあった鍵を奪い取ってもう片方の手を強く握った。冷たい手だ、何でこんなに冷えるまで外にいたんだ。押し込めるようにハルを部屋の中にいれると、彼女の頭が随分俺の目線下にあることに気付く。こいつ小さくなってないか、ーー俺が大きくなったのか。

誰かに守られたいなんてハルはきっと微塵も思ってない。自分の事を守る時間があるなら他の人を気にかけた方がいいよと笑って離れようとするだろう。知ってる。自分に興味がないこと、自分が嫌いなこと、お前の側にいてお前を見続けてきたからこそ、知ってる。
でも俺は貴田春瀬が好きだよ。お前がお前自身の事が嫌いなら、その倍、俺はお前を好きになる。
俺の願いは昔から変わらない、ずっと、


「大事な奴に対して身内とか他人とか、そんなくくり必要ねぇよ」


ずっとハルと一緒に居たい。

それだけだった。

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