壊れてそして | ナノ
■ 文化祭2日目

「つまり運試しだよ」
「成る程な」

文化祭は二日目に入った。
約束通り、黒尾と春瀬は2人で回っていた。お互い顔が広い為校内を歩けば友人達に寄っていけと迫られ中々にそれを交わすことに苦戦していた。寄りたくないわけではないのだが、流石にそれぞれ違う3クラスからたこ焼きを買えと言われれば選択肢は逃げる、のみである。そしてようやくといったように海の所に辿り着く。彼のクラスでは生徒が考えた様々なゲームが開催されていて、それにクリアすれば景品が貰えるというものだ。2人とも来てくれたのかと嬉しそうに笑う海の手元には何本もの歯がある口を開いたワニのオモチャ。一体何のオモチャで何のゲームだと尋ねると、このワニの歯を海と交互にランダムで押していき、どこか一つの歯がトラップになっていてソレを押してしまえばワニの口が勢いよく閉じるというオモチャらしい。
「これ噛まれたら痛いのか?」
「いや全然」
「要するに挑戦者が噛まれれば失格で、海ぴが噛まれたら挑戦者の勝ちで景品ってことだよね?」
「そうそう。まぁ景品といっても軽いお菓子だけどね」
「お菓子舐めてんの?」
「貴田の怒りの沸点」
「面白そうだなやろうぜ」
こういう単純で分かりやすいゲームが案外燃えたりもするのだ。先に黒尾がやるようで彼はシャツの袖を捲っていた。
「有難う。じゃあ2人には特別に」
ニコニコと優しげな笑みを携えながら、海が持っていたワニのオモチャを下に下ろす。何をしているのだとその行動を黙って見つめていれば、
「まてまてまて」
「突然鬼畜系男子海ぴ」
「これはね、友達が来たらさせようってふざけて作った俺の改造ワニ」
「悪意の塊じゃねぇか」
「海ぴこわ……こわぁ…」
代わりに出てきたワニは一見何も変わらない見た目だったがよくみれば歯が上も下も鋭利になっているではないか。聞けば試しにやると、地味に痛かったらしい。
「血は出ないから大丈夫。」
「大丈夫じゃねーよこえぇよ馬鹿かよ!」
「黒ぴふぁいっ!!私はやらないことにしたけどね!!」
「裏切り者!!」
さっきの余裕は何処へやらギャアギャア喚き出す黒尾の背中を無理やり押し、春瀬はその背後から様子を見ることにしたようである
「俺だって痛い思いするかもしれないんだから。なっ。」
「海クン昔はそんな事求めるような男じゃなかったっ……!」
「やめてくれないかな俺が黒尾の元彼みたいな言い草」
ジャンケンをして先攻か後攻か決め、最初は黒尾になった。一発目に噛まれるような空気読めない男になるなよっと春瀬に肩をポンポン叩かれる。やり辛くなるような事を言う女である。恐る恐ると指で歯を押してみる。微動だにせず。
「待って?尖ってるせいでこれ指で押すのさえも痛ぇよ」
「そこは盲点だったよね」
「海パイセンまじおいしっかり」
その後2人で交互に押していく。空気読めよという春瀬の言いつけを守るかのように頑なに口が閉まる様子がないワニ。変な緊迫感がその周りを包み、気付けばほんの少しだけ人だかりが出来ていた。そして、

ワニの口が勢いよく閉まり、叫び声が教室に響いた。

「んなッーーつ!!!!!」

敗者はラスト二つの歯まで残した空気が読める男、黒尾鉄朗であった。ガシャンッという音と共に勢いよく仕舞った口に手を挟まれ上から下まで棘地獄である。
「ほんと地味!!地味過ぎない!?痛い!!」
「黒ぴ……うそ……指が…!」
「ハル……俺の指どうなってる…?」
「いち、…に、…さん、し、………ご……そんなっ……!1本足りない…!」
「十分だわ!!」
「元気だね二人共」
結果、ゲームに負けたも関わらず無事お菓子を貰えた。何故かというと二人が騒いだおかげで何だ何だと入ってくるお客が増え、集客率が上がったからである。海や他のクラスメイトからも負けてくれてありがとう盛り上がったと言われ、いやなんでやねんと二人して声を揃えた。


「そしてなんでやねん」
「ほんまやで」
その後いくつかのクラスを回った後、二人は2学年のお化け屋敷に並んでいた。流石というべきか、長蛇の列である。最初はお互い余裕っしょ学生クオリティっしょと舐め腐って並んでいたのだが、お客の顔が恐怖の色に染まって出口から出てくる事が余りにも多い。加えて中から聞こえる悲鳴が半端じゃない。
「ちょっと後悔してきた」
「やだー黒ぴもしかして怖いわけー」
「怖い」
「あっ正直…」
そして私も怖いと言えば顔を見合わせて、乾いた笑いを洩らす。そうしている間に自分達の番が回ってきてしまう。
「あっ」
「お?」
二人の姿を見て思わずというように受付係の女生徒が口を押さえる。黒尾の知り合いかと思えばそうでもないらしく、はたまた春瀬の知り合いというわけでもないらしい。
「あ、その、すみません、黒尾先輩と春瀬先輩だーって思わずビックリしちゃって…」
「黒尾先輩です」
「春瀬先輩です」
「えへへ」
よく廊下で二人で歩いてるの見かけるのでと照れたように笑う女生徒。可愛いじゃないかとほのぼのとしていると、急にその女生徒はカッと懐中電灯で自分の顔を下から照らした。
「それでは説明を始めさせていただきます…」
「えっ、ええ?」
「おっ、おお…」
「今この中は霊の巣窟となっております。聞こえるでしょうか……あの悲鳴が…」
キャーッ!という叫び声がどこからともなく聞こえ、黒尾と春瀬はピョイーンッとその場で跳ねた。あまりにもタイミングが良すぎる(後から聞けば受付時に毎度この叫び声が聞こえるよう仕込まれていたらしい)。
「除霊の方法はたった1つ…」
「せめて50は欲しい…」
「案外楽勝やんってなるやん…」
「バラバラになった人形の身体を集めることです」
「無理です。」
「ハル早い。」
つまり決められた場所に人形の両手、両足、胴体、顔が置かれた4地点あるそうだ。それを集めてゴールということらしい。
「黒ぴ1人で行ってきて…」
「おま」
「懐中電灯を一つ、お渡しいたします…」
それでは生きて帰ってくる事をお祈りしております…と神妙そうにお辞儀をする女生徒。あまりにも説明が上手すぎである。そして黒尾と春瀬はそのせいでまんまと怖がっていた。2人は恐る恐る入り口へと足を踏み入れた。薄暗く、チカチカと赤いランプが点滅している。
「暗いここにいる皆お願い電気つけよう」
「お化け屋敷とは」
「やだ怖い怖い怖い怖い」
「俺も怖いとっても怖い」
こういう時普通少女漫画であれば男がリードでもするものであるが、いかんせん2人して同レベルに怖がっていた為そのようなロマンチックなムードは皆無であった。黒尾が懐中電灯で照らしながら、春瀬はその後ろに付いていた。突然壁を叩く音がする
「怖い怖い怖い怖いむりむりむり」
「どうしよう俺尾てい骨痛くなってきた」
「なんで?」
スッと音が止み、ビクビクしながら角を曲がった先の光景を見て頭を抱える。真っ赤なワンピースを着た髪の長い女が倒れている。そしてその側で、例の拾ってくるべき人形の両手が落ちていた。
「あれ取れって言ってんのかしら?あまりにも罠じゃない?」
「あの女の人の手の側に落ちてるのが怪しすぎだろ絶対掴まれるじゃん」
怖いよ〜うえっうえっと怯えながらも、黒尾がちょっとこれ持っといてと春瀬に懐中電灯を渡す。春瀬が人形が落ちている所を照らし、黒尾が腰を低くしてゆっくりと近付いた。そして素早い動きで人形の両足を取って身構えたが、特に掴まれたりはしなかった。大丈夫なのかと後ろに下がろうとした途端その女生が突然立ち上がり叫び声を上げた、黒尾も春瀬も叫んだ。
「ワックス!!ワックスワックス!!!」
「馬鹿お前それポマードポマードポマードの間違いだろ!!!」
「そうだった!!」
「しかもそれ口裂け女撃退するやつ!!」
「詳しい!!怖い春瀬は逃げます!!」
「懐中電灯持ってる奴が俺を置いて先に行くんじゃありません!!!」
一刻も早くその場を立ち去りたい2人は赤いワンピースの女に目もくれず(というか見たくない為)先へと進む。すると、今度は沢山のぬいぐるみが積まれているその側で胴体が落ちていた。
「何でぬいぐるみ積まれてんの…1個サービスで貰えんのかな…私ぺかちゅー貰っていこうかな…」
「なんて気前のいいお化け屋敷」
次私行くわと黒尾に懐中電灯を押し付ける春瀬。全部自分が回収するつもりだったらしい黒尾は驚くも、彼女が真顔で親指を立てて頷いたので、黒尾もまた頷いた。何の映画シーンだと突っ込みたくなる。怖い怖い怖いと心の中で叫びながら春瀬が屈むと
「ぽまっ!!!!!」
「ぅわっ!!!!」
ぬいぐるみが崩れ落ちて無数の腕が飛び出してきて、また叫んでしまう。屈むどころかそのままへなへなと座り込む春瀬。飛び出してきた手はその後特に何をするわけでもなくユラユラと揺れている。
「だ、大丈夫か……」
「なんとか……」
「つーかお前ポマードって言おうとしてなかったか…」
「してた…」
「………ワックスから成長したじゃん…偉いぜ…」
「ありがと…」
深い溜息を吐きながら胴体を拾う。そしてササッと黒尾の横に戻ってきた。
「私の心臓今すっごい太鼓の達人してるんだけど」
「俺もフルコンボしそう」
トンネルのような所を潜ればまた壁から叩きつける音が聞こえ、叫ぶ。
「やばい私なんかもう無理このまま走って出口行きたい」
「頑張ろうぜあと足と頭拾えば終わりだ」
「大丈夫だって私達の後の番の人達が残り拾ってくれるって」
「そしたら後の人達は手と胴体どこにもあらへんがなって困っちゃうでしょうが」
「そして永遠に探し続けここから出られなくなる的な……?なんということだ…ちゃんと全部探そう…」
「お前の発想がなんということだ」
そんな会話を交わしていれば、少し広いところに出た。そこには三つの箱が置かれており、通る道にはゾンビメイクをした男が呻きながら立ち塞がっている。どうやらこの箱を開けねば通れないようだ。
「………この三つの箱の内どれかに足か頭が入っているのかしら」
「俺的もういっそのこといっぺんに二つとも入ってて欲しいけど」
「現実そんな甘くないでしょうね……ていうか1箱足か頭入ってるとして残り2箱何が……入ってると思いますかはい黒尾さんどうぞ」
「夢と希望」
「んふっ……ちょっと笑ったありがとう。よっしゃ開けてやろうぜ夢と希望!!」
「そうだそうだ!……っていやいや、速やかに頭か足回収させて終わらせようぜ」
2人で開けようと黒尾は左端、春瀬は右端の箱に手をかけた。
「いっせーのっ」
覚悟を決めお互いバッと蓋を取る。
「…………」
「…………」
何もない。
「てことは……真ん中…?」
ジーッと真ん中の箱を見つめ、黒尾が手を伸ばす。そして思いっきり箱を開けた。
「…………」
「…………」
「…………」
「………えぇ」
何もない。
どういう事だと2人顔を上げれば
「ヴォァァーーッッッ!!!!」
「「ぎゃー!!!!!」」
いつの間に立っていたのか黒尾と春瀬の背後にルートを塞いでいたあの男が立っており、発狂。のけ反った二人が倒れれば、その男はまた発狂しながら何処かへと走って行った、ーー何かをコロリと落として。
「…………」
「…………」
あまりに突然の出来事に暫し2人は固まっていたが、男が落とした物が何だったのか気付いて黒尾は思わず大声でツッコミをいれた
「ってお前が持ってたんかい!!!」
「えっなにが!」
人形の両足がドーンと、落ちていた。

その後も様々な仕掛けに叫びに叫びまくった2人はいよいよ出口の近くまで来た。しかしその出口に行くまでの通り道には何人もの人が倒れていて、今にも動き出しそうな予感しかしない。ちなみに人形の頭は、出口の直ぐ前に置かれている。
「どうしようあそこに行くまでにコンニャクとかがペチンって飛んできたら。私今それだけでも叫ぶ自信がある」
「飛んできたら食べてやれ」
「んな無茶な。てゆーかこの人達出口に行くまでに絶対動くでしょどうしよう」
「食べてやれ」
「そんなんしたら一番ホラーなの私だわ」
2人は縦になって進もうと決めたようで、黒尾が前で懐中電灯を持ち、春瀬はその背中にピッタリとくっついていた。2人共少しずつ進んでいく。出口に近付く度に足元で寝転んでいる人達がピクピク動く
「はっはっはっさいっこーにこえー!!」
「黒ぴのテンション!ぎゃっ掴まれた!!あー!!あー!!」
「懐中電灯で殴るか!!ダメか!!」
「ダメでしょうね!!てかお化けクオリティ高いな!!これ私達絶対後から笑われるパターン!!黒尾先輩と春瀬先輩うるさかったって笑われるパターン!!」
「怖いもんは怖いからしゃーない!!凄いな2年!!舐めてたわごめんな!!」
ゾロゾロと足元に集まってくるお化け役の2年次に最早声をかける始末である。黒尾がバッと人形の頭を拾えば後ろで春瀬が今日一番の叫び声を上げた。振り向くとそこには、入ってきてから今まで出会った分のお化け達全員が凄まじい形相で追いかけてきており、2人は飛び出すように出口を潜った。

そのお化け屋敷のクラスは後に口を揃えて「黒尾先輩と春瀬先輩の会話に笑いを堪えるのが一番大変だった」「最後の皆の追い打ちで春瀬先輩が叫んだ時、直ぐに腕を引っ張って自分の前へ春瀬先輩を移動させた黒尾先輩がカッコ良すぎた」と感想を述べたという。



恐怖の時間を終え、精神的に疲れた2人は露店で焼きそばと飲み物を買って屋上に移動した。ドアを開ければ風が吹いて少し肌寒い。
「秋だねぇ」
「だな。」
春瀬がカーディガンに手を突っ込みながら座る。
「寒いならどこか他のとこで食うか?」
「んにゃ大丈夫。音楽流してもいい?」
「おう。」
「春瀬ちゃんセレクト、ゲームサントラ集」
「研磨の影響を受けまくっているハルさんなのであった」
「であった」
黒尾も隣に座り、袋から作り立ての焼きそばを取り出して春瀬に1つ手渡す。輪ゴムを取って開いてみれば、匂いがフワリと立ち上る。ジャカジャカと携帯から流れる音楽を聴きながら、2人はしばし無言で麺を啜った。
流れる音楽と、微かに聞こえる人の声。軽音部が野外ライブでもしてるのだろうか、音が少し外れてはいるものの力強い演奏も聞こえる。準備期間はそれなりに大変だったし、面倒臭くなかったといえば嘘になる。それでもやっぱり当日になれば楽しいし、楽しいからこそ2日間なんてあっという間だ。
「最終日かぁ」
「んー」
「最後の文化祭だね」
「んー」
少し寂しくなってきたなぁと、春瀬は買ってきたお茶に口を付ける。片付けさえも終わってしまえば本当の本当に、終了だ。
「まぁ大学になったらまた学科とかサークルでやるかもしんねーけどな」
「あ、そうだね。」
「でもそっか、ハルは最後になるのか」
ご馳走様でしたと手を合わせて蓋を閉める黒尾。自分はまだ半分しか食べ終わっていないのに早過ぎると告げれば腹減ってたんだよと返された。
「……………」
そういえば、言ってなかったなぁとぼんやり春瀬は空を見上げた。自分が就活するのではなく大学受験を決めた事、その大学も東京都内ではないという事。今が言う機会かもしれないと、口を開いた。
「黒ぴ」
「ん?」
「私ね、」
「ん」
「大学受ける事にした」
「………………………………へ」
もう一口、水分で喉を潤す。隣に目をやれば、瞳を真ん丸くして口が開いたままの彼の姿。
「わはは、変な顔」
「……………………いや、驚く、だろ…」
「だよね」
「……………………………」
口で手を抑えて、はー…と少し息を吐く黒尾。暫し沈黙した後、それで、と切り出す。
「どこの………大学志望?」
「…………福岡。」
「は?」
「とりあえず、東京からは出るよ」
「…………………………」
皆よりスタートが遅かったから今一生懸命勉強なうなんだよーとのほほんとした声色でそう言って、曲を変えようと携帯を手に取る。画面を指でタッチしてスライドさせようとすれば、その腕が掴まれた。
「わ、びっくりした」
「…………………」
「なんだね黒ぴ、ちょっと痛い」
「……………………」
「………どうしたの?」
「どうしたの?どうしたのって………」
お前、と呟いた黒尾の表情を見て春瀬は驚く。眉間に皺を寄せて彼女を睨むその感情は怒っているような、悲しんでるような、ーーーいや、両方か
「お前、」
「な、なに…」
「これからも俺と一緒に居たいとか、思わないわけ」
「……………」
掴まれる腕が痛い。少し身動げば、その力は僅かに緩められた。その代わりもう片方の腕も掴まれる。
「何でそんな大切なこと1人で勝手に決めてんだよ。俺に何の相談もなしかよ」
「……………」
「九州って、」
「相談は……」
「…………………なに?」
ポソリと溢した春瀬の言葉を黒尾は聞き逃さなかった。彼女は彼の目を見ることはせず、微笑んだ。
「私の進路だからクロに相談する必要、……ないじゃん。」
掴まれた腕の力が、フッと急になくなった。思わず顔を上げる。そして息を飲んだ。
「………………へぇ。」
冷めたような黒尾の目に、春瀬はギュウと心を掴まれた感覚に陥った。キリリとお腹辺りが痛む気がする。深い深い溜息を吐いて、黒尾が春瀬の腕から手を離した。
「ハルの事はハルだけの問題ってか。」
脱いでいたブレザーを手に取り、腕を通す。
「俺がいくらハルの事気にかけてても、自分の事だからって理由でお前は俺に何も言わないで俺の考えも必要ないってわけ?」
「…………」
「ふざけんなよ。………ふざけんな」
春瀬の顔を見ようともせず、黒尾は地面を睨む。
「こんな長い付き合いでも、俺は……幼馴染の進路の事さえ、たった少しも踏み込めないわけね。関係ないってよ。」
「クロ、」
「先に戻っとく」
黒尾がゴミ袋を持って、立ち上がる。一瞥もくれず背中を向けてぶっきらぼうにドアを開け、強い音を立てて閉められた。
「………………」
そのドアの方向を見つめたまま、春瀬は動かなかった。笑い声や歌声が微かに聞こえる。ドラムの音を最後に歌が止めば、ワッと歓声と拍手が上がる。耳から入る音はこんなにも楽しそうなのに、春瀬の心は全くの正反対だ。
「だって」
黒尾の言葉とあの表情が、ずっと思考の中にある。あんなにあった食欲も嘘みたいに何もない。寧ろ、気分が悪かった。

たかが私の、

そう呟いても誰からも返事はない。焼きそばはいつの間にか冷めていた。



「第◯◯回の文化祭全日程が終了しました。皆さん、お疲れ様でした」
そう放送があって、パラパラと拍手が起こる。一般客も全て帰り、残す事は片付け・掃除だ。散々苦労して作った入り口に立っていたアーチも、各クラスに施された飾りも、通常の学校に戻す為に全て撤去される。それは何だか切ないものだ。
「何で片付け明日にしないのかねぇ」
「明日にしたらアレっしょ。ぜってー来ない奴とかがいるからっしょ。ウチらんクラスの奴とか」
「うっはっは確かにぃ。既に逃げてる奴いそうだしねぇ」
「まぁそこは春瀬実行委員長が軽く気合を1発〜」
「お?ボコるか?ボコるか?元ヤンの血が騒ぐか?」
「……………」
「ありゃ」
「??春瀬?」
「へっ……あぁ、ごめん、ボーッとしてた」
「………大丈夫?」
「うん」
ちょっと眠たくてと言えば、あんた何やかんや今回実行委員の仕事もあったし忙しかったもんねぇと笑われる。移動させられていた机を持ち、3人は自分達の教室へとそれを運んでいた。
すると、だ。
「…………?なんかあったのかね」
「ほんとだ」
ザワザワと何やら騒がしく、軽い人だかりが廊下で出来ている。3-4の前でだ。何か良いことがあっての騒めき、という感じではなかった。寧ろ悪い事が起こったような雰囲気だ。三井がその人だかりから抜けてきた友人に尋ねる。
「何かあったのぉ?」
「あーなんかね、4組の坂木さんいるじゃん」
「うん」
「坂木さんの財布がないんだって」
「…………無くしたってこと?」
「そ。それか盗まれたかのどっちか」
そりゃあ騒ぐ筈だと納得する。とりあえず机を中に入れようと3人はまた歩き出すと、突然シンと静まり返った。え?と顔を上げれば、生徒達が皆こちらを見ている。
「え…」
いや、春瀬≠見ていた。

生徒達の中から1人の男性教師、樋口が出てくる。
「貴田ちょっとこっちにこい」
「…………」
何が起こっているのか分からないがとりあえず春瀬は廊下の端に机を置く。群れの中に歩いていけば、自然と生徒達は彼女を避けて複雑そうな顔でチラチラと見てくる。そして樋口と、ーー坂木の2人の前に立った。
「………何ですか」
「今日の文化祭で坂木の財布が無くなった」
「らしいですね。先程聞きました。」
「今日の15時半までは確実にあったらしい」
「そうですか」
「お前、15時半以降何してた」
言わんとしてる事を察し、春瀬は苦笑した。
「私が盗んだと?」
瞬間周りが騒めく。大当たりかよと心の中で舌打ちをつく。
「15時半以降は私クラスの仮装喫茶、やってましたよ。1人担当してた子が体調悪いって保健室行ったので代わりに出てました」
「つまりあの衣装を着てたと」
「そうですね」
やだぁー先生私の仮装ちゃっかり見てたってわけぇというKY発言をしたい欲をどうにか抑える。すると樋口が腕を組んで春瀬を見下ろした。
「お前が坂木のロッカーを探ってそのまま教室を飛び出していったのを見たという生徒がいる」
は?と思わず声を洩らせば想像していたよりもずっと低い声が出てしまい、何だその態度はと樋口が睨んだ。
「鞄を見せろ」
「……私のですかね」
「お前以外の誰がいると言うんだ」
何こいつと苛々する自分、懐かしいなこの感じと思い出に浸る自分という2人の春瀬が彼女自身の頭の中にいた。とりあえず言われた通り自分の教室に戻り鞄を取って、それを開けもせず樋口に差し出した。入っている筈がないからだ。

その筈だった。

「……………これはお前のか?」

樋口が春瀬のスクールバックを受け取ってすぐチャックを開ける、そして直ぐにその中に手を突っ込み、ピンク色の財布を取り出した。見覚えのない財布に、何で、と春瀬は目を見開く。その時、坂木と目が合った。



(………………こいつか)



目が合った相手はほんの一瞬だけ、口角を上げた。
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