壊れてそして | ナノ
■ どうか消えないで

カラン、カランと下駄の音が地面を鳴らす。昼間とは違い夜は幾分か涼しさはあるもののやはり暑いものは暑く、家から持ち出した基本料0円!≠ニいう広告がでかでかと書かれた団扇ではたはた扇いだ。まさか街頭で無料配布されていたものがこんな所で役に立つとはと春瀬は笑う。
アパートの階段を降り切って向かいの黒尾の家に向かう。いつもより多い人通り。その人々、主に男性が彼女の姿に釘付けとなっているのを本人は気付かない。黒尾家のインターホンを押すとはいはい〜と女性の声が聞こえ、パタパタと足音を立てて玄関のドアが開いた。幼馴染によく似た雰囲気と目付きの女性が出てきて、春瀬の姿を見ると一瞬目を見開きそして嬉しそうに破顔する
「よく似合ってる、てか、似合い過ぎね!」
「やった」
あ、忘れてたママさんこんばんはと頭を下げると向こうもはいこんばんはと春瀬の肩を叩く。挨拶を後にするなんて順番がおかしいと二人で笑い合う。少しそこで待っててと言うと、黒尾母は家の中に戻り己の息子に春瀬が来たことを伝えた。扇ぎながら後ろを振り向けば、先程よりも増えている人の群れ。小さな子供達が、焼き鳥!りんご飴!綿あめ!なんて各々食べたい物を叫びながら猛ダッシュしている姿が何とも微笑ましい。
(いいなぁこの雰囲気。好きだなぁ)
そう思って見つめていると、ハル、とよく聞き慣れたあだ名で呼ぶ声が聞こえて振り返る。
ーーーそして思わず固まってしまう。
目の前で立っているのは日頃見慣れた制服でもジャージでも私服でもなく、深い紺色の浴衣を纏う自分の幼馴染。187という高身長の所為もあるのだろうか、 はたまた単純に彼が浴衣という着衣を着こなす事が出来る性質なのか。ともかく先程の黒尾母の言葉を借りれば、似合い過ぎる≠セった。一方春瀬の姿を見た黒尾もまた、自然に上がる口角を抑える事が出来ずに己の手で口元を隠した。長い金髪は綺麗に編み込み細かい模様が施されている簪で纏め、白地に赤と白の椿の柄が施された浴衣は紺の帯で締められていた。髪の色と肌の白さも相まって春瀬によく似合っている。
お互い暫し身動き出来ずにいると、黒尾母が笑いながら息子の背中を叩いた。
「なにぽけっとしてんのよ」
「……あー」
「あんた春瀬ちゃんにかける言葉ないの?こんな可愛いのに!」
「動揺するとかける言葉が旅に出る」
「春瀬ちゃんは?」
「それでは聞いて下さい。小田和正で、言葉にできない=v
「ハルさんの歌声近所迷惑になるから是非やめて」
「てめ」
中身はいつも通りだと黒尾の腹にグーパンチをお見舞いする。ぐぇと声を上げるもその表情は愉快げだ。
「それじゃ二人とも楽しんでおいで、でもくれぐれもはしゃぎ過ぎないように。迷子になったらあの人だかりの中で探し出すのは困難だと思うからその時は相手のことは捨てて静かに各自家に帰りなさい」
「母さんは文明の利器スマホたんの存在知ってる?」
「ママさんってほんと黒ぴ生んだ感あるよね」
「どういう意味?言っとくけど俺ここまでザックリしてねぇよ?」
「はいはいこんなとこで時間食ってないでサッサと行く!」
「あんたの発言に驚いて行けなかったんだけど!?」
「今あんたっつった?」
「さ、行こうぜハル」
「れりごー」
般若になりかけた自分の母親から直ぐに目を逸らし、春瀬の手を引いて黒尾は歩き出す。手を繋ぐなんて珍しい事でもないのだが、普段とは違う姿にやはり少し、双方の心はドキドキしていた。

今度の日曜の夜、祭りに行かねぇ?
そう言ってきたのは黒尾の方だった。突然の誘いにキョトンとしているともう一度同じ言葉をかけられて漸く何の事か理解した。どうやらバレー部の皆で行くという話が出たので春瀬も誘われたようだ。自分が行ったら邪魔じゃないかと尋ねればペシリと頭を叩かれて強制決定をされた。そして前日の夜に、浴衣着て行こうぜとLINEが来たものだから箪笥の奥に閉まっていた浴衣を随分と久しぶりに引っ張り出してきたのである。そう。黒尾の話ではバレー部の皆と、祭りの筈だった。
「………今の状況を説明してもらおうか黒ぴ」
「俺と二人で祭りに来てまーす」
「だからその状況を説明して?!」
「バレー部の皆さんとは昨日行きました。どーん」
「ええ……」
研磨の家に寄らないのを見て彼がこういう催しに参加するタイプではないと知っていた為、あぁ研磨ぴっぴは行かないんだな〜なんて呑気に歩いていたのだが、いつまで経っても誰も来ない。どこで皆と集まるのだと聞くと、黒尾はそれはもう楽しそうにしながら笑みを浮かべた、
からの先程の会話だ。
「うそつき。キツツキ。餅つき。」
「嘘です。トントントン。ぺったんぺったん。」
「昨日皆と行ったんだったら何で昨日誘わなかったのさ」
口を尖らせながら自分よりも20センチ以上の差がある黒尾を見上げる。そうすれば自然と上目遣いになることに気付き、やべぇ私あざとくねと言うと笑われた。
「それを自分で言うか」
「女としては0点〜。ていうかキツツキってトントントンって木ぃ突くの?」
「今更そこ拾わないで」
脳が遅れて受信してきたわと団扇で黒尾を扇ぐ彼女。最初から気付いていたが、家に出てから時折何も言わずとも風を送ってくれる。
並ぶ露店が見えてきて、いよいよ周りも賑やかになってくる。自分達以外にも浴衣を着ている人達が沢山いて祭りの雰囲気を一層際立たせる。黒尾がポツリと呟いた。
「………二人で行きたかったんだよ」
その言葉に、春瀬は思わず再度彼の顔を見上げた。黒尾も彼女を見下ろした。
「ハルと二人で行きたかった」
離れていた手がまた握られる。何で繋ぐの、と尋ねれば迷子予防と返されて。迷子になんかならないよと言いたいのに、嬉しそうな表情を見てしまったら言えなくなる
(二人って知ってたら、行かなかった)
それでも手の平に伝わってくる熱が、どうしようもないくらい嬉しかった。


パシャンッと水が跳ねる音が聞こえる。それと同時に男の子がゲエッと顔をしかめて隣で見ていた友人に下手くそぉと笑われていた。
「お前だってさっき失敗してたじゃんか!!」
「うっ!でも俺は惜しかったし!」
「くそ〜〜せめて1匹は取りてー!」
祭りの代名詞の一つともいえよう金魚掬いをしている子供等。そんな会話を尻目に、春瀬と黒尾はお互い銃を片手に仁王立ちをしていた。勿論銃は本物ではない、コルク栓式だ。
「私はあのクマくん狙うわ」
「じゃあ俺あっこのウサギちゃん」
「先に落とした方が焼きそば奢りね」
「おっけー負かす」
「泣かす」
「喧嘩腰のレベルが違うな?」
何をしようとしているのかは一目瞭然、射的である。双方のその真剣な表情たるや、さながらサングラスと葉巻でも咥えたハンターといったところか。ジャンケンをして勝った方から先方ということで春瀬がまず最初に銃を構える。先程の発言からも伺えるように自信はあるようだが、実は射的初体験だという事実があるのはここだけの話だ。目を細めて狙いを定める。隣で見ている黒尾も真剣な顔つきで景品が並んでいる棚を見つめた。数秒間が空いた後、パン!と発射音が聞こえた。
「げっ外れた」
「はい5発中1発目失敗〜」
「やばいこれ案外難しいかもしれない」
「タダ焼きそば楽しみ」
「えぇいやかましい!」
その後も春瀬はクマの人形を狙ってコルクを発射させていく。耳や端などに当たりはするものの微動のみで中々落ちないクマが憎らしく見えてくるが、それ以上に隣でニヤニヤしている黒尾の方が憎らしい。えぇいままよと気合で当てようとするも、パン!と最後の一発が鳴ってもその景品が落ちる事はなかった。
「はいどんまーい」
「パン!」
「肩パンすんなや」
「パンパンパンッパンツ!パンダ!パンパンパンッ!」
「その悔しさの発散方法どうかと思うわ」
次は俺だなと腕捲りして黒尾が銃を構える。その構え方が無駄に様になっていて、打つ瞬間カンチョーしてやろうか、擽ってやろうかなんて小学生のような事を春瀬は考えていた。まさか直ぐに当てる訳ないだろうと思っていた為このようなバカな思考に耽っていたのだが、一度発射音が聞こえると何かが落下する音も耳に入ってきて、は?とその聞こえた方角に顔を向ける。地面には陳列していた景品の一つだったウサギのぬいぐるみが横たわっており、カランカランと鈴を鳴らしおめでとう〜と祝福の声を上げる射的のおじさんの姿。嘘やんと黒尾を見ると、
「うわ、近年稀に見る黒ぴのドヤ顔」
「ごめんなハル?俺1発で当てちゃってごめんな?」
「はい煩いですよーちょっと言語機能停止して下さーい」
「ハルが5発頑張って打っても落ちなかったのに俺がカッコよく余裕で1発目で命中させちゃってごめんな?」
「おじさん、この銃って人に向けたらダメな奴?」
「ダメな奴」
語尾に星マークやハートマークでも付いているかのようにごっめーんと笑う黒尾。ぎゅいむと頬を抓ればぶひゃひゃと笑われ、残念賞にこれやるよとウサギの人形を手に持たされた。
各々勝利と敗北の焼きそばを腹に入れると今度は甘い物が食べたくなり、綿飴が売られている出店をノロノロ歩きながら探す。日曜であることに加え世間は夏休みで、そりゃあ人が集まる筈だと道行く人達を見て納得する。しかしその人の群れの中に知った顔を見かけて、春瀬はキョロキョロ辺りを見渡した。
「あ。」
「ん?」
「黒ぴ私あれ買いたい」
「どれ」
「あれ。チョー可愛くてビックリする」
「…………あれ?」
「うん。わんわん」
「や、確かに可愛いけど………」
ちょいと待ってて〜と春瀬が小走りでその店に駆け寄る。お面屋さんだ。彼女が可愛いと言ったそのお面はヘニャリと笑う柴犬の面で、アニメのキャラクターよりも値段が安めに設定されていた。小銭を渡して面を受け取り、黒尾の元にテテテと戻ってくる。
「や、これをホントに買うお前にビックリする」
「まぁ見てなさい」
そう言うと大勢の人だかりの前で躊躇することなく春瀬はゴムを耳に掛けて面を着用する。そしてダブルピースをしながら上を向くと、黒尾がブッと吹き出した。
「浴衣着てる犬人間になってるぜ」
「がはは。ワンワンッ」
「おーおーワンちゃ〜ん」
「ワァン…ワン」
「バリトンボイスを出すな」
それにしても何故突然面など買おうと思ったのか尋ねると、どうやら中学時代によく喧嘩した他校の男子がいたらしく、バレるのが面倒だった為顔を隠す方法として手っ取り早いと思い付いたようだ。
「隣に歩いてるのが柴犬だと恥ずかしいと思うけどごめんね」
「本当恥ずかしいわあり得ねぇ。ちょっと俺も三毛猫面買ってくる」
「そういうノリの良いとこ最&高」
我が責務であると言うように黒尾もお面屋の前までスタスタ歩いて行く。こうして浴衣を着た柴犬と三毛猫がこの祭りを闊歩することになった。余計に注目されている辺りこの作戦は少し失敗のように思える。わんちゃんとねこちゃんだ!と女の子に指されて、春瀬がワンッと、黒尾が招き猫のようなポーズをするとその子はきゃっきゃっと喜んだ。

あ、と黒尾が面を上にあげた。
「綿あめ屋あったわ」
「わーい、しかし私はお手洗い行きたい」
「すぐそこだな、俺買っとくから行ってこいよ。迷子になんなよ」
「迷子になったらそれぞれ帰宅だもんね」
「スマホ使って下さい」
すかさず返ってくるツッコミに笑いながら、じゃあ宜しくと春瀬はその場を離れる。手洗いの近くに警備員が立っているのを確認して、黒尾は綿あめを買う為に列に並んだ。並んでいる人達の殆どが女子であることに気付いて、そういえば男一人で綿あめを買っているのは少し滑稽だなと苦笑する。もし春瀬が帰ってきてこの光景を見れば、スイーツ系男子まじ草とケタケタ笑われそうだ。
「黒尾君……?」
すると何処かで聞いた覚えのある声が彼の名を呼んだ。その声の方向を見て、黒尾はあぁと笑う。
「坂木さんじゃん」
黒い髪の清純そうなその女子は、数ヶ月前黒尾に告白をしてきたクラスメイトだった。勿論想い人がいる手前断わったのだが、彼女は直ぐに春瀬が好きなのかと聞いてきたので少し動揺したのを覚えている。そしてその問いに答える前に
分かった、これからも友達でいてくれる?
と笑いながら言ってきた。その姿が妙に印象的だった。
「坂木さんも祭り来てたんだな」
「うん、友達と……。黒尾君、そのお面可愛いね」
「あぁ、」
上に上げて頭にかけていた猫面を下ろすと、ふふと坂木は笑う。
「さっきそこの面屋で買った。面白いだろ」
「とっても似合ってる。可愛い!」
「どーもね〜」
「黒尾君は誰と来たの?バレー部の皆と?」
「いや、……あー…春瀬と。」
一応好きだと言ってくれた人物な手前黒尾は言葉を濁しつつ、しかしここで嘘を吐くのもおかしいだろと思い直して正直にその名を口にした。すると坂木は笑う。
「気にしないで。私もう黒尾君の事諦めてるから。」
「そうは言ってもやっぱ気は遣うじゃん」
「ぜーんぜん。優しいなぁ。そっかぁ、貴田さんとかぁ………」
笑顔を絶やすことはなく、浴衣かっこいいねと黒尾を見上げる。あ、上目遣いだと冷静にそう呟く頭の中の自分がいた。気付けば順番が回ってきていて、黒尾は二つ注文する。一方坂木も友人と思われる数名の女子に名前を呼ばれた。
「じゃあね黒尾君、祭り楽しんで!」
「おう。坂木もな」
「ふふ、ありがと」
ニコニコ笑いながら黒尾に手を振る坂木。見た目も言動もまさに女の子≠セ。告白現場を偶然目撃した男友達からは優良物件を逃したなとからかわれたものである。
(優良物件ねぇ)
器用にクルクルと回して、棒に綿が絡められていく。それをボーッと見つめながら、黒尾は坂木の顔を思い浮かべた。
(確かに可愛いとは思うけど。)
はいよ兄ちゃん!快活な声が聞こえて我に帰る。礼と共にお金を渡し、出来上がった綿あめを受け取ると漸く列から抜ける事が出来た。すると丁度向こうから浴衣を着ている柴犬が近づいて来た。あいつまさかアレ取らないでトイレ行ったのかと考えると笑いが込み上げてくる
「ただーまー……って、何笑ってんの黒ぴ」
「おま、そのままで行ったのかよ、」
「………忘れてた。どーりで注目されてたわけだ」
「ぶはは!!!」
声を上げて笑うと、春瀬はうるせー!並んでくれてサンキューなこのヤロー!と面を上げ、綿あめを黒尾の手から強引に奪い取る。柴犬面を被った女子がお手洗いでウロウロしているのを想像しただけでツボに入ってしまったらしく、黒尾は膝を叩いて笑い続ける。
「チクショー笑うんじゃないよニャン尾ニャン郎」
「悪ぃ…んぶふっくっ……ぶっ」
「全然堪えきれてないよね」
「優良物件、優良物件」
「あー?」
「ん〜〜??」
何の話だと睨まれれば、猫面を下げてにゃんでもないよブフッとまた吹き出してしまった。なかなか収まらない黒尾の笑いに呆れていたが、あることを思い出して話を切り出す。
「そいやもう直ぐで花火だよ」
「はー……あぁもうそんな時間か」
「一番見れるとこ、もう人いっぱいしてるかな」
はむ、と綿あめを口に含んで人の流れを見ていると、皆考える事は同じで花火目当てに一箇所に集まっていく。私らも行こうかと見上げると、
「とりあえず出るか」
「そうだね出よ……出る?!」
ニヤリと笑って黒尾が春瀬の手を掴んで、人の流れに逆らって出口へと向かう。御乱心?!と戸惑いながらも春瀬はとりあえずされるがまま足を動かした。

「どうしたの?行こーよ」
「…………うん」
その姿を坂木がジッと見つめていたことに、二人は気付かない。



「……………よく覚えてたね」
「俺の記憶力舐めんな」
「では齧ってやろう」
「そういう問題じゃない」
祭りが行われていた場所から少し離れた、目立たない場所にある高台に二人は移動した。そこは初めて訪れた場所ではない。だからと言ってよく訪れる場所でもない。黒尾と春瀬が小学生の頃に見つけた、街を一望出来る場所だった。
「絶対花火よく見えるわ……。本当に忘れてたここ。」
「まぁ俺も最近思い出したからな。あんま人多いとこ好きじゃないだろお前」
「うほうほ、バレてら。」
「そう知ってるにも関わらず祭りに誘った鬼畜系男子、俺。」
「でもたまには良いなぁって思ったよ。露店の食べ物やっぱ美味いし」
「それが9割しめてそうだな」
「黒ぴが射的上手ってのも初めて知ったし。ドヤ顔ウザかったけど」
「ハルは下手くそだったな」
「うるせぃ。でもホントに楽しかったよ。……楽しかった」
カチリ、と時計が21時を回った瞬間。
「あ、」
ヒュウと聞こえたと思えば、黒に覆われていた空に大きな眩しい花が咲く。赤、青、緑、次々と打ち上げられる毎に腹にまで響いてくる音。おー、と二人は感嘆の声を上げた。花火をこうやってちゃんと見るのも随分と久しぶりだ、こんなに綺麗だったか、春瀬は自分の鼓動が速くなるのを感じた。
ーーーそういえば、初めて花火を見たのは、いつだったか。
頭の隅に埋まっていた記憶を掘り返すと、ぼんやりと浮かんだ小さな小さな自分の浴衣姿。どんな色の浴衣だったかは、覚えてはいないけれど。
(三人で、)
手を繋いだ気がする。右手には母の手、左手には父の手。それがいつ、どこで、どんな気持ちでいたのかは覚えていない。楽しかったのかも、何を話したのかも。思い出したのは手を繋いだ事と花火を見た事だけ。
忘れてしまったのか、思い出したくないだけなのか。目の前に広がる花火は次第に勢いを増してきて、上がっては消えていき、また新しく上がる。

そんな春瀬の顔を、黒尾は横目で見る。花火を見ているというよりは、花火を通して何かを思い出しているようで。
「綺麗だねぇ」
「ん。」
こういう時、お前の方が綺麗だよなんてクサい台詞を本当に吐く奴はいるのだろうか。己が言う姿を想像したら可笑しくて堪らないと黒尾は苦笑した。少なくとも自分がその言葉を口にしてしまえば随分とチープになってしまう気がする。
「小っちゃい頃、」
「んー」
「多分、母さんと父さん三人でお祭り行ったことあるんだよねぇ」
基本的にあまり自分から家族の話はしない春瀬がそう口火を切った事に驚いた。その動揺を顔には出さずとも、その続きを促すように黒尾は頷く。
「多分その時初めて花火見たんだよ」
「そっか」
「あと多分、手繋いだ」
「いいじゃん」
「でもどんなに頑張ってもそれだけしか思い出せないなー」
春瀬が柴犬の面を下ろしてピースする。可愛い可愛いと頭を撫でるとクスクス笑う。花火はラストスパートなのだろう、黄金色の大きな物が何発も何発も連続して空を一斉に明るく飾っていき、手を叩いてそれを見上げる。
「忘れちゃうのかなぁ」
聞こえないように小さくそう呟いたつもりであったらしいが、黒尾の耳にはしっかり届いていて。彼は彼女の方を見た。

あの時、誰が祭りに行こうと言い出したのだろう
何を話したのだろう
初めて見た花火はどんなものだったのだろう
笑っていたのだろうか、
父も母も私も、笑っていたのだろうか

最後の大きな大きな、花火が上がった。それが目一杯に広がり、そして細かくなって静かに小さな火が落ちていく。あんなに強烈な美しさも、終わってしまえば何もなかったように夜の空に元通りだ。
(………ただ単純に、楽しい、綺麗だ、って真っさらな気持ちで見ればよかった)
面の下で苦笑する。どうして最初に見た時のことなんか思い出したのか、いちいち面倒臭い奴だなぁと春瀬は自分に対して呆れてしまう。気を取り直して、凄かったねと声をかけようとすれば
「っわ」
突然逞ましい片腕が春瀬の身体を引き寄せて、その腕は背中に回されそのまま黒尾の胸の中に収まる形になる。抵抗する間も無い急な行動に、春瀬は目を瞬かせた。
「柴犬を抱き締める美男子の図」
「ツッコミが追い付かない」
いくら辺りに人がいないからとは言えもしこの体制を誰かに見られれば恥ずかしさしかない、そう思って春瀬は笑いながら離せぇと身じろぐ。

(今キスしたら、どーなるかね)
緊張感のない柴犬の面を取って無理矢理にでも唇を重ねてしまおうか、なんて。そうすればどうなるか、逃げられるだろうなと冷静に頭を働かせて考えている自分はなんて理性的な事だろうと黒尾は笑う。
「俺と見たなぁハル」
「んー?」
「俺と二人で、花火見たな。」
モゾモゾと動いて腕から離れようとしていた春瀬が何の事かと動きを止める。
「その時誰と一緒に居たか、それを覚えてる事が一番大事だよ」
「………」
「初めて見た花火は家族と見て、そんで高3の夏は俺と二人。」
片腕だけじゃなく、両腕で彼女の身体を抱き締める。見下ろすと目に入る頭のてっぺんに鼻を埋めれば、石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。ポンポンと、あやすように背中を優しく叩く。
「時間が経ってお前が今日の事を忘れてたら、俺がその記憶を補えばいい。俺が忘れてたらハルが教えてくれればいい。二人して忘れてたら、お互い記憶力低下したなーっつって笑って、また一緒にお祭り行こーぜ。」
「……んっふふ」
黒尾の胸の中で笑い声が聞こえた。何笑ってんだと顎で頭をぐりぐりすれば、ごめんごめんと返される。
「凄い黒ぴらしい言葉。さんちゅ」
「どういたしましてちゅぅ」
「くろおー」
「てちゅぅ、ってこれ自分で言うの恥ずかし過ぎるんですけど」
「あっはっはっ」

そろそろ、帰るか。
腕の中にいた彼女を解放して、そのままやんわりと手を包む。
「いやいや、さすがにもう迷子にならないよ〜」
「なりますぅ」
「ええー?」
繋いだ手をブンブンと振り回す春瀬。問答無用と引っ張る様に腕を引けば、ケラケラ笑いながら小走りで黒尾の横に並んだ。


(なるよ)
(お前は直ぐ、迷子になる。)
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