壊れてそして | ナノ
■ カウントダウンは静かに始まる

音駒高校の正門前で、少しだけ緊張する胸をゆっくり呼吸することで落ち着かせる。いつもより多少身なりも整えて長い髪はシニヨンにして纏めた。暑さを感じるとこの長髪が鬱陶しい時もある。が、長いとヘアアレンジのレパートリーが増える上に結んでしまえばうなじを出せて涼しいことを知っているものだからショートにする気にはなかなかなれない。もう少しで着くかなと時計を見ようとすると、春瀬ちゃん、と名を呼ばれた。声がした方向を見てその姿を確認し、春瀬は微笑む。
「叔母さん、お久しぶりです」
軽くお辞儀をして、玄関へと案内する。大きくなったわねと言われて、毎年身長伸びるんですよ私〜と笑えば、あらそうと返された。


先日春瀬が起こしてしまったミスで三者面談の日は今日に変更された。怯えながら彼女の担任である久保に謝罪の電話をすると、怒鳴られるわけではなく、ただ静かに、それはもう低い声で「20回以上も電話して1回も取らねぇとはいい度胸だなオイ…」と耳元で言われた。あの瞬間恐怖で携帯をぶん投げてしまいそうになったものである。幸運にも春瀬は叔母にも面談があることを伝えていなかった為(本当にド忘れしていたようだ)、日程に関して彼女にまで迷惑をかけることはなかった。
場所は変わって、3-6の教室内。春瀬と彼女の叔母、久保が2対1になって向かい合う。机の上には春瀬の成績表や出欠状況等の紙が置かれていた。
「えぇー、春瀬さんは普段の学校生活は怠惰であったり積極的であったりと波の激しい生徒ですね」
「そ、そうですか」
「そこが個性的で素晴らしいって続けてよヤーさん」
「そこが素晴らしくない」
「あっ潔い」
ギロリと凶悪な眼力で春瀬を睨むと彼女ではなく叔母が縮み上がる。すみませんと久保は続ける。
「まぁ問題児はワンサカいるので春瀬さんは可愛いもんです。むしろ大きな問題は起こさないアホなのでこちらとしては危害はありません」
「はぁ」
「すごい言われようで春瀬ちゃんビックリだぜ」
「では進路の件に移りますが春瀬さんは進学ではなく就職ということで、」
「あの、」
久保が成績表と共に進路調査書を取り出し説明を始めようとすると、春瀬の叔母がそれを遮る。はい、と久保が続きを促す。
「何か印鑑を押す書類があったり、私が聞かなきゃいけない説明があればそちらから話してくれませんか?実は私これから仕事があってすぐに戻らないといけないんです」
「………………彼女の進路の話は是非聞いていただきたい件なのですが、」
「あら、春瀬ちゃんの好きなようにしていいのよ」
そう言って隣にいる春瀬を一瞥する。
「何をするにしてもこの子にはお金は沢山ありますし、それに子供は自分の好きなように人生を歩むものでしょう?私の意見は必要ありませんよ」
「ですが」
「ヤーさん、私もそれで大丈夫。」
「……………」
ピクリと片眉を上げて春瀬を見るも、本当に平気だというようににこやかな顔をしている彼女。その表情を見ると何とも言えなくなって、口をつぐむ。恐らくこの叔母が隣にいる限り腹を割って話すことはないだろうと直ぐに判断し心の中で溜め息を吐いて、では、と保護者が目を通すべき書類を出す。その間、春瀬は静かに二人の様を見ていた。

説明を終えると叔母は久保に礼を言ってすぐに席を立つ。
「じゃあ春瀬ちゃん、頑張ってね。私は仕事に戻るから」
「すみません〜わざわざ有り難う御座いました」
「先生、私これで失礼しますね」
「はい。…………あの、しつこいかもしれませんが本当に進路の件は春瀬さん御自身の決断で大丈夫ですか?」
「勿論ですよ!この子は小さい頃から色々自分で自分のこと決めてきたんですから。そこら辺の高校生よりはずっとしっかりしてますよ。」
ねぇと春瀬に笑いかけると、彼女も微笑みながらピースする。
「………そうですか。今日はお暑い中有り難う御座いました」
久保が深々とお辞儀をすると、叔母は軽く会釈して直ぐにドアを閉めた。カツカツとヒールの音が遠くなっていくのを確認して、春瀬は漸く緊張が解れたのを感じる。
別に、あの叔母の事は嫌ってはいない。寧ろ保護者という位置に立ってくれた事に感謝しているくらいだ。しかし滅多に会うことはない為仲は良い悪い以前にほぼ他人のようなものだった。中学の頃は春瀬が荒れていたのを知っていた為一切関わろうとはしてこなかったが、高校に上がると落ち着いた為今日のように呼ばれれば来てくれる。それだけで、春瀬にとっては十分であった。二人になった途端、春瀬はネクタイを緩める。
「ふげーードキドキしたー」
「さて、お前三者面談忘れたこと忘れてないだろうな。」
「ごめんなさい」
目の前で腕を組んで金剛力士像の如く睨みをきかせてくる己の担任に、ゴンッと頭を机にぶつけて謝罪をする。叔母という保護者である人物が居なくなった途端この圧力である。
「次あんなことあったら真面目にその髪全部剃るからな。生徒指導室にバリカンあるの知ってるだろお前なら」
「そんな、ほぼ生徒指導室毎日行ってるから分かるよね〜みたいに言わんといて下さい……行ってるけど。てかいつも思うけど、ヤーさん私の身なりとかの注意は全然しないよね。なんで?」
「それは山平先生の仕事だ。俺は諦めてる」
「ぎゃふーん」
ちゃんと座らんかと諌められれば、はぁいと椅子を引いて座り直す。恐らくこの学校では唯一、春瀬が言うことを聞く教師である。全て聞くわけではないだろうが。
「で、お前就職するんだよな?就活ちゃんとしてるのか」
春瀬の進路調査書を見ながら、首を左右に傾かせゴキリと骨を鳴らす。だいぶ疲れが溜まっているようでよく見れば目の下に隈が出来ていることに春瀬は気付いた。もし自分がこの言葉を口にしたらもっと疲れさせちゃうだろうなぁと申し訳なくなりつつも
「ヤーさん」
「あ?」
「私、大学行きたいです」
背筋をピンと伸ばして、久保にそう告げた。
「…………………」
迫力のある目が見開かれ、ジッと視線を刺してくる。そうやって暫し睨まれた後、久保は手を口に当て何やら考え始めた。てっきり直ぐにふざけるなと怒号が返ってくるものだと思っていた為、その反応に春瀬は意外だと少し驚く。すると、彼は何やらファイルから紙を数枚取り出した。それを春瀬に見えるように、順番ずつ横に並べる。何だろうかと見てみるとどうやら今まで受けてきた模試の結果のようだ。そして腕を組み、春瀬を睨み付けた。
「大学受験甘く見てんじゃねぇ」
「………………はい」
「行きたいからすぐ行けるなんてそんな簡単なもんじゃない。今から勉強するにしてもどれだけ差がつけられてると思ってる」
「………………」
「………と、言いたいところだが」
並べられている紙を、久保は広げていく。国数英理社全ての模試の成績がグラフ化されている。
「これは一年の時の模試。このギッザギザのグラフは職員室で一時期話題になった。」
「まじで」
「お前は真面目に授業受けて勉強してる所は9割とってるが受けてねえところは3割以下だった。だからグラフの上がり下がりが狂気的なことになってる」
「狂気的」
「2年も同じで相変わらずやったところとやってないところが丸分かりな結果だ。で、これが3年の奴。……珍しいっつーか、お前は1、2年の時に9割とれてた所が相変わらず今でも9割とれている」
その言葉に春瀬は首を傾げた。
「珍しいの?」
「大抵、そうだな特に1年の頃習った事は3年になるとやり方を忘れてたりするものだ。だからまた勉強して思い出す。でもお前は忘れてない。答えはひとつだ。春瀬、お前今まで自分が勉強してきた事の復習は欠かさずやってきてるだろう」
その言葉に春瀬はおお〜と感嘆の声を上げて拍手をする。真面目に答えろと頭を叩かれた。
「復習っていうか、家で何もすることなくて暇な時とか昔のノート見たりする」
「…………見てるだけか?」
「あ、数学は好きだからよく解くよ。他もぼちぼち」
「だから数学だけ異常に成績良いのかお前…」
度々貴田春瀬という名は職員室であがる。その中でもやれば出来る子だ≠ニいう話題もよく出てくるものだ。元々頭の出来は良いし、先程言っていたように学んだ事はしっかりと頭にインプットされている。特に数学はかなり上位に位置していたりするのだ。
「現代文は死んでる癖に漢文と古文は9割。なんでだよ」
「人の気持ちなんて紙面で汲み取れませんわ」
「国語教員の前でよくそんなこと言えたなぁオイ」
「ごめんなさい」
この担任は見た目に似合わず教えている教科は国語である。
「とにかく、お前は今から出来てない所を徹底的にやっていけ。出来てる所は応用問題も解けてるくらいだからもうあまり触らなくて大丈夫なはずだ。あと過去問だな。塾はどうする」
「なるべくお金かけたくないから自分で頑張る」
「分からん所があれば絶対聞けよ」
「うん。…………無理だろとは言わないんだねヤーさん。」
「そりゃあやる気ねぇ奴がテキトーに思いつきで言ってきたら相手にしねぇけど。お前そうなのか?」
「ううん」
「……色々考えて、大学行こうって決めたんだろ」
「うん」
「じゃあ無理なんて言う権利は俺にはない。生徒がやる気出そうとしてんのにハナから否定すんのはただの鳥の糞だ」
「とりのふん…」
普段から教師とは思えぬ過激な発言は幾度となく発しているが、その言葉の真意にはいつだって生徒への愛がある。春瀬はふふふ〜と背中を椅子に凭れ掛ける。
「私中学ん時はせんせーって種族嫌いだったけど、音駒のせんせー達は好き。一部嫌いだけど。」
「俺の前でそれを言うかお前は」
「ヤーさんは大好きだもーん怖いけど。特に顔」
「殺すぞ」
「その顔だよ!」
蛇に睨まれた蛙状態って奴だ〜と足をバタつかせていると、行きたい大学は絞ったのかと聞かれる。その言葉に動きを止めて、春瀬はヘニャリと笑った。
「都外のね、」



職員室、自分のデスクの前でマグを片手に思いに耽る。机に散らばっている先程面談を終えたばかりの女生徒の資料。たまに見せる集中力や、それを継続させる力の高さは普通の人より秀でてる。それを知っていた為久保自身、彼女の進路調査書に大学進学と書かれていなかった時は少し残念に思っていた。しかしそれが今日ひっくり返された。
「久保先生、お疲れ様です。」
いつの間にいたのかと久保は驚く。生徒指導の山平が隣にいたことに全く気づかない程、ボーッとしていたのか。
「今日貴田の面談って言ってましたよね。どうでした?」
「あー……あいつ、大学受験頑張るそうです」
「は!?本当ですか……!」
こりゃまた、と山平が腕を組む。
「どういう心境の変化だか…。まぁ、貴田だったら乗り越える気もしますが、とにかく頑張って欲しいですなぁ。……で、何で久保先生はそんな不機嫌なんですか?」
「は?」
思わず自分の顔を手で触ると、大分眉間に皺寄ってますよと笑われる。考えていた事が顔に出ていたようだと久保は少し反省する。
「……面談、貴田の叔母が来たんですけどね」
「あぁ、あの少し化粧が濃い」
「ははっ。………春瀬の進路は自分には関係ないと言われましてね」
そうして先程の面談の話を山平にすると、彼もまた複雑そうな顔を見せた。別にあの叔母が悪い人物だとは思っていないが、
「高3なんてまだガキですよ。それを、小さい頃から自分一人でやってきただろうから全部任せる、というだけで片付けられちゃあね」
「そうですね」
「………それにあいつはしっかり者というよりは、しっかりせざる得ない♀ツ境で暮らしてきた筈です。弱さを持ってないわけがないのに、それを考えずにアッサリと大丈夫だと口にした。それが少し、引っかかってるって感じですかね」
無糖のコーヒーを、一口含む。その渋さがまるで今の自分の心の中のようで、はぁと深い溜息を吐く。叔母にああ言われても笑って有難うという春瀬を見ていると、何とも言えない気持ちになってしまう。
「今俺と久保先生の二人だけしかいないから言えることですけど、ぶっちゃけ彼女の叔母より黒尾を来させた方が面談スムーズに進めたんじゃないですかね」
「ほんとそれですよ。」
春瀬に関しては教師達の間でも、黒尾はとても大きな存在だった。小さな頃から彼女を支えてきたであろう彼は、恐らく春瀬の精神安定剤だ。
ーーーそう、思っていたのに、
「…………ところで山平先生、黒尾は確か都内の大学志望でしたよね」
「そうですよ。推薦メンバーの一人だったと思います」
「……ですよね」
しかし春瀬は都内ではなく、都外と言った。思わず黒尾はそのことを知っているのかと言いそうになったが、それは教師が口出しすべきところではないだろうと思いとどまって、聞かなかった。
(………大丈夫なのか、あいつ)
教員として生徒にどこまで関わるべきなのか、見極めが難しい。もやもやとした心を飲み込むように久保はコーヒーを一気に飲んだ。


「色々と、頑張らなきゃなあ」
廊下の窓からグラウンドを眺めながら春瀬は呟く。バイトもシフトを調整して、勉強時間も考えて1日何をどれだかやるか計画を立てねばならない。ふと、外周を終えたバレー部集団が戻ってきたのが目に入る。その中には勿論黒尾の姿もあって。夜久と何やら話をして、ふは、と手を口で抑えて笑っていた。その笑顔は普段とは違う人懐っこそうな雰囲気を纏っていて春瀬も思わず微笑んだ。皆が体育館に入っていき、その最後に黒尾がいて、彼女は窓を開けて、息を吸った。
そして、
「くーーーーろーーーーぴっっ」
大きな声で、彼の名前を呼んだ。肩をびくりと震わせて、キョトンとした顔で春瀬の方を見上げる黒尾。その表情に笑いながら、身を乗り出して続けて叫ぶ。
「面談終わったーっ待ってるから一緒帰ろーっっ」
ブンブン手を振ってそう告げると、黒尾は目を細めて微笑みながら、手で丸を作った。そして、後でなというようにプラプラ手を振り返し、彼もまた体育館の中へ入っていく。その後ろ姿が見えなくなっても、春瀬は彼が立っていた場所を見つめていた。

(あと何回、一緒に帰れるかな。)

(……まだまだいっぱい、帰れるか。)

指を折って、残りの高校生活の月を数えてみる。半年もないんだなと気付いて、あーあと口に出してみた。
沢山馬鹿みたいなお話をして、お腹がはち切れそうになるくらいいっぱいいっぱい笑って、そしてバイバイ出来るといい。
ズルズルその場でしゃがみ込んで、壁に背を凭れかけさせ足を伸ばした。


「黒ぴー、だいすき」

誰もいない廊下だからこそ、言えた言葉だった。
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