十二季生誕歌
*如月『椿』*
なにも誕生日の日にまで家事に勤しまなくても、と思うのだが、『夕飯は贅沢させてもらうんだからこれぐらいは』と言って聞かない彼女は昼食の片付けをしている最中だった。
しめしめとばかりに帽子のつばに潜めた眼を細めて、喜助は上機嫌にエプロン姿の彼女に声を掛けた。
「風華サン♪」
「なぁに?ーーーきゃっ!!」
洗い物の最中に突然物を投げ渡されては、誰だって受け取れないだろう。
ましてや普段からおっとりした女性なら尚のこと。想定通りの彼女の反応に喜助は喉の奥をひっそりと震わせる。
「やだ、もう・・・!排水溝に落ちちゃったじゃない、」
流し台を覗き込んで眉を寄せる風華に、にこりと笑ってみせる。
「おやおや、これは大変!」
「貴方が突然、」
「アナタが排水溝に落としたのは、白の箱?それとも赤の箱?」
ぱちん、と指を鳴らした喜助の左右の掌の上に現れた小さな二つの小箱。
ぱちぱち、ぱちぱち。
長い睫毛を何度も何度も叩めかせ、風華はきょとんとした様子でしばらくそれを眺めた後に、状況が飲み込めたらしくくすくすと笑いだした。
「もう。意地悪なんだから」
「ちゃんと拾ってこの中に仕舞ってあげたのになんてこと言うんスか」
「だって、」
まだくすくすと口許を覆ったままの彼女に、その二つの箱をもう一度指し示す。風華は少し考えた後に片方の箱を選んだ。
「どうしてそれを?」
「ふふ、あのねーーー」
ふわりと微笑んだ風華の指先が、そっとそれに触れて、愛らしい唇が内緒話をするように囁く。
彼女らしい選び方だ、と得心してその小箱を彼女に渡す。
残った二つの箱は、ぽんという小気味良い音を立てて煙と共に消え去る。それを見ていた風華の唇が、「消えちゃった」と名残惜しそうに今度は音もなく呟いた。
「あっちも欲しかったの?欲張りサンっスねぇ」
肩を竦めた喜助を見咎めるように、その表情を一瞬険しくしかけたものの、彼女はまたも睫毛をぱちりぱちりとはためかせて見上げてくる。
「どうしたの?」
「いえ、・・・もしかして中身入ってなかったのかと思って」
「なんでそう思うの?」
「だって貴方が用意したものを、そのままにするとは思えないもの。だから元々片方にしか入ってなかったんじゃないかと思って」
違いますか?と首を傾げる彼女の問いには答えずに、「それより、開けてごらん」と促す。
返事がないことを肯定ととったのか、特にそれ以上は訝しむ様子もなく、風華は促されるままにその箱を開く。
ころり、と彼女の掌の上に転がりでたのは陶器製の小さな帯飾り。
「帯留め・・・椿ですか?」
「そ。たまにはお着物でお出掛けもどうかなって」
風華はぱっと顔を輝かせて、「すぐ支度してくるわ」と踵を返す。すれ違い様に仄かに香った花の香りを吸い込んで、それから胸に詰めていた溜め息を吐き出す。
「あーあ、残念だなァ」
愛しい人の後姿が廊下の奥へと消えて暫くして、喜助はそうぼやいた。
「さすがに、もうこれぐらいじゃ騙されてくれないか」
部屋に戻った彼女が、残ったもう一つの小箱を見付けて幸せそうに、それでいて『ほらやっぱり』と得意気に微笑む様を思い浮かべながら、喜助は帽子を被り直してくつくつと笑うのだった。
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椿(赤)
控えめな素晴らしさ、気取らない優美さ
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椿(白)
最高の愛らしさ、理想的な愛情
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