十二季生誕歌
*一月『春蘭』*

夕方頃までしんしんと音もなく降り積もった雪は、同じく音もなくするりと屋根から滑り落ちた。
喜助は玄関先に落ちたそれを避けて引き戸に手を掛ける。

「ただいま帰りましたよン」

普段なら、からからと軽い音を立てる戸は、雪のせいか、がたがたと引っ掛かった音を奏でる。呼吸をする度に、底冷えする店先に白い息が浮かんでは消えてゆく。

「お帰りなさい、喜助さん。年明け早々にお疲れ様でした」

「本当っスよ。昨日と今日は家でゆっくりするつもりだったのに。ホラ見て風華、足が霜焼けになっちゃった」

「それは貴方がそんな格好してるからでしょう?」

「風華サンが冷たい!雪より冷たい!!」

「そうね、冬生まれだからじゃありませんか?」

笑顔で出迎えてくれたものの、風華は途端に眉間を寄せて呆れた溜め息をついた。「すぐお茶を入れますから、居間で休んでて?」と台所へ踵を返した風華の背中を見送る。
正式に籍を入れてから数年、年々あしらい方が上手くなっているというか雑になっているというか。まるで喜助の無二の親友や同居人のような反応に少々、いやかなり泣けてくるのだが、やはりこれは己のせいなのだろうか。
ボクも冬生まれなんスけど、という言葉は飲み込んですごすごと居間にあがると、暫くして風華が茶を用意してきてくれた。
湯呑みに手を添えると、指先からじんわりと温かさが広がる。悴んだ指先でも持ちやすいようにだろうか、いつもの湯呑みではなく、その茶は口の厚い湯呑みに淹れられていた。
喜助はそれを一口啜って湯呑みから手を離す。

「風華、手を出して?」

「?はい、どうぞ」

パチン、と指を鳴らすと彼女の掌の上に小さなスノードームが現れる。風華は眼を丸くして突然現れたそれと喜助を見比べる。

「綺麗・・・シンビジウムですか?」

試験管のような細長い筒上のガラスドームの中に、枯れることのない西洋蘭が一輪、艶やかに咲き誇っていた。

「そ。誕生日のお祝いに、ね。用事の次いでに作ってみたんです。如何でしょ?」

本来なら昨日からずっと彼女と共に居るつもりだったのだが、どうにも自身が赴くより他なく、急遽仕事の片手間に拵えたものだった。祝いの言葉だけは日付が変わると同時に通信器で告げてはいたし、勿論ちゃんと贈り物だって用意していて明日は一日妻の為だけに費やすつもりだ。けれど、それでは喜助の気が済まなかったのだ。

「有難うございます。本当に、綺麗・・・」

白い蘭の、花弁に、葉先にとゆらゆらと白い粉が静かに舞い落ちて積もっていく。積もり積もったそれが花の根本を覆い隠していく。いくつもの彼女への想いが、しんしんと降り積もっていくかのように。
それを愛しげに眺める風華へと、また新たな想いを募らせる。

彼女がそれをゆっくりと半回転させると、その白い粉がまたゆらゆらと天に戻り、もう半回転させると、また花へと降り積もっていく。

ずず、と茶を啜りながら、瞬きも忘れたように無心にそれを見つめ続ける風華の横顔を盗み見る。
透き通った琥珀の瞳を一層輝かせて花を見詰める彼女は、草原を裸足で駆ける何も知らない娘のようにも、窓辺で愛しき人を憂いて待つ女のようにも見える。

ーーー嗚呼、本当に。
ーーーなんて綺麗な人なんだろう。

彼女のこめかみにそっと唇を触れさせる。はっとして振り返った彼女の唇に触れるーーーきっといつもならそうしていた。
けれど、今はそれを抑えてただ静かに、隣に座る愛しい人を抱き寄せた。

「おめでとう、風華」

何度も何度も、繰り返し同じ動作を繰り返していた妻は、その手を止めて喜助の肩にその体を預けてきた。

その瞬間に、ふわり、と花の香りがした。
一足早い春を告げるかのような、甘く艶やかな、花の香りがーーーーー。



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『春蘭(シンビジウム)』
高貴な美人/素朴/飾らない心
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