十二季生誕歌

*弥生『白木蓮』*

「寒くはないっスか?」

「ええ、平気です」

肩に掛けたストールを手繰り寄せながら、風華はふわりと微笑んだ。

朝靄の立ち込める春先の冷えた空気の中を闊歩する。
一回り小さい風華の手をとってふらりふらりと練り歩く。
住宅街の早朝は、ひどく静かで人の気配もない。
まるで、彼等以外、誰も居なくなってしまったかのように。

「静かですね」

「そりゃ、こんな時間だからね」

からん、ころん、と地面を擦る下駄の音が朝靄の中に谺した。
「春を探しに行こう」だなんて、こんな早朝から連れ出されたというのに、風華は嫌な顔ひとつせず、どころか「喜んで」と変わらず春の陽光のような柔らかな微笑みを浮かべた。

「ふふ、」

「どうかした?」

くすりと、空いた手で口許を抑える彼女を一瞥する。

「いいえ。ただ、嬉しくて」

「"嬉しくて"?」

繋いだ指先に、僅かに力が隠る。
あてどもなく歩いているようで、目的地はある。
彼女の速度に合わせて歩いても、すぐに辿り着ける。
けれど、目的を達成して、すぐに帰ってしまうのも、なぜだか勿体無い気がしていた。

「ええ。だって、誰も通らないから」

「はぁ、まァ、こんな時間ですし」

春先は皆惰眠を貪りたがるもので、それでなくても、人々は年度末だなんだと忙しなくしている時期だ。
そんな中で、わざわざ平日の早朝に出歩こうという者も少ないのだろう。

「だからかしら。なんだか世界に二人だけ取り残されちゃったみたいで」

「!・・・それって、"寂しい"の間違いじゃないっスか」

「それもそうですね」

たった今。
同じことを思い描いていただなんて。
喜助は帽子に手をかけて目深に被り直す。
繋いだ指先から、またくすくすと彼女が笑った気配が伝わってくる。

「着きましたよ」

気恥ずかしさに逸らすべき話題を探す間もなく、ちょうど目的の場所に辿り着いた。

「白木蓮・・・!綺麗ですね」

「うん。春になったなァ、て思って」

これを見せたかったんです、と話す喜助の言葉など聴こえていないのか、風華の視線は既にそれに釘付けで、喜助はひっそりと笑いを喉の奥に押し留めた。

しっとりと瑞々しく艶やかに白く大きな花弁を開かせ始めたその花は、咲いたと思えば、僅か数日で色褪せる。
花が好きな彼女に早く見せたくて、わざわざ今日の、しかも早朝という時間帯を選んだ甲斐がある。
肉厚の白い花弁に、マンションの合間からのろのろと顔を見せ始めた陽光が透けて目映い程に白く輝いている。
家を出るときは、屋根の上から弱々しく窺うように覗き込んでいた光は、今は街のすべてを覆うようにその白い手を伸ばし始めていた。

たった一本のその樹は天に向かっていくつもの枝を伸ばし、葉のないその枝の先からは無数の白い花が咲き乱れている。
陽光に照らされた花弁は白く透けて、燭台に白い灯りをいくつも点したようだ。
何者にもけ穢されることのない、真白き灯火。
それは何を祈る灯火なのだろうか。

「風華、」

「なに?」

燦々と降り注ぐ白い光を浴びて、食い入るように花を眺めていた彼女が漸くそれから視線を外してくれた。
振り返ったその瞳は、陽光色に染まり宝石のように輝いている。
喜助はそうっと風華の白い頬に指を滑らせた。
瑞々しくしっとりとしたその肌は、光を点したその花弁のようだ。
擽るように顎先に指を滑らせて、自身のそれよりも厚みのある桜色をした唇を食む。
薄く開いた唇から、舌を差し入れれば、湿った音が響いた。

「誕生日、おめでとう」

「ふふ、有り難うございます」

離したそれがまだ触れ合いそうなほどの近さで、秘密の言葉を交わすように告げれば、彼女は眩げに眼を細めて。
ふわりと幸せそうに微笑む風華を花の光が照らす。
その真白き灯火は、彼女の生まれたこの日を照らす、祝福の灯りにも見えた。


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『白木蓮』
自然への愛、崇高、慈悲、恩恵
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