2015/12月

その日は朝から驚かされてばかりで、風華は目眩を覚えるほどだった。

朝のしんと冷えた空気にゆるゆると意識が呼び起こされる。
重い瞼を開けるとまだ部屋の中は薄暗い。
夜明け前だろうか。
棘のように尖った冷気に身震いして彼女はまた瞼を閉じる。
布団に潜り込もうと顔まで布団を引き上げようとしたところで、はたと気付く。
喜助が隣にいない。
急激に意識が覚醒し、眼を開く。

「まだ夜明け前だよ、風華」

「喜助さん、」

ふと響いた声に顔を上げると、文机に向かっていた喜助がこちらを振り返っていた。

「・・・こんな朝早くに、何してるの?」

「ん、ちょっと準備をね」

「準備、ですか?」

「そ。風華はまだもう少し寝てなさいな」

「でも、もう目が覚めたわ・・・。私も起きます」

そう言って蒲団から起き上がろうとした風華の体をやんわりと押し戻すと、そのまま覆い被さってきた。
見上げた彼の瞳は幼子を宥めるような色を称えていた。

「それはちょっと困るんだ」

「喜助さん?」

「だから、まだ眠っててもらわないと」

何か困らせるようなことをしてしまったのか、と彼女が問い掛ける前に喜助はその薄い唇を重ねてきた。

「んっ、んん、ぁ、」

昨日も抱き合って眠っていたせいか、それだけで中心が熱くなる。
互いの舌を絡めて、まだ湿ったままの下の唇にも指を這わされると、自然に腰が跳ねる。

「ふぁ、んっ、あァーーーっ!!」

敏感な芽を擂り潰されるように親指と人差し指で磨られ、中指と薬指で中を掻き乱される。
只でさえ感度の良い風華の寝起きの体には、その刺激は強すぎた。あっという間に達してしまい、その余韻でまた睡魔に身を委ねてしまう。

「ごめんね、続きはまた後で」

眠りにつく寸前にそんな言葉が聞こえた気がした。


次に風華が目を覚ましたのは、軽やかな小鳥の鳴き声が響き渡る時間だった。閉じた瞼ごしにも差し込む光の眩しさが分かるほど。
うっすらと瞼を開くと、まず鍛えられた胸板が視界に入る。
首を動かすと、喜助が頬杖をついてこちらを見ていた。
どうやら彼女が起きるのを待っていてくれたらしい。

「おはよう、風華」

「もう・・・、起こしてくれたら良かったのに」

しゅるりと髪を鋤かれる心地よさにまた瞼が重くなる。寝起きのせいかやけに体が怠い。
ああ、そうか。
そう言えば先程無理矢理に自身だけ追いやられたのだと思い出した。

「なぁに?体が疼くって?」

風華の緩慢な動きから察したのか、主犯の男は「お望みとあらば今からでも」と背中に廻してくる。

「もうっ!誰もそんなこと言ってません!」

彼女は敷いていた枕を掴んで、そのにやけ顔に思いきりぶつけてやる。
けれど、「おっと、」とあっさり受け止められてしまう。
腹立たしいことこの上ない。
この人はいつまで経ってもこれだ。
最近は刺もなくなったせいで、ますますこういう戯れが増えた気がする。喜ばしいことなのだけれど、たまには穏やかな朝を迎えたいと願う風華にしてみれば、この戯れはどうにかしたいところだった。

「ごめんごめん、冗談だって」

「知りません」

「機嫌直してくださいよ、ね?せっかくのクリスマスなんだから、」

「・・・?」

クリスマスだから、とはどういう意味だろう。
今年は家で過ごすのではなかったか。
子供たちが昼間に黒崎家に呼ばれているのは昼間で、夜は皆家にいるはずだ。

「ボクとデートに行ってくれませんか、お嬢様」

ぐっと引き寄せられて額に口付けを一つ。
デート、だなんて。
夫婦になって久しいというのに、随分と可愛らしい誘い方をするものだ。
ぱちぱちと瞬かせてから、風華は破顔する。

「はい、喜んで」

彼女が頷いたのを確認してから、彼は「とびきり綺麗にしてきてくださいね」とだけ言い残して先に布団から出ていった。
もう彼の中ではどこへ行くか決まっているらしい。
いつの間に考えていたのやら。
しかも当日にならないと言い出さないところが彼らしい。
いつも急なんだから、とくすりと笑って彼女も脱ぎ散らかされていた寝間着を羽織って部屋へ戻る。衣装部屋兼書庫と化している自室の扉を開けたところで、思わず脚を止めた。

小さなローテーブルの上に広げられていたのは見たことのない綺麗な孔雀色のカクテルドレス。
それに合わせたショールやブレスレット、鞄に至るまで一式揃えて並べられていて、嘆息した。

「本当に、いつ用意したの、あの人・・・」

最早驚きを通り越して呆れてしまう。
当然ながらサイズも申し分ない。苦笑しつつ着替え終えて化粧品に手を伸ばす。あまり派手なメイクは好みではないのだけれど、さすがにこの格好ではいつものような薄化粧も不釣り合いだ。
唇にローズレッドの紅を引いたところで、ノック音。このノックの仕方は鉄裁だ。喜助の準備が出来たことを伝えにきたのか、はたまた夕飯の準備に関することか。
風華が「どうぞ」と声を掛けるとゆっくりと鉄裁が扉を開ける。

「鉄裁、さん・・・?」

またも風華は瞬きを繰り返して呆然としてしまった。
それもそのはず。鉄裁は燕尾服を着ていたからだ。なんなのだ、今日は。

「僭越ながら私、お嬢様の御髪を整えに参りました。宜しいですかな?」

彼は二の句を告げずにいる風華に、執事よろしく非常に丁寧に腰を折って返事も聞かずに背後に座った。
慌てて風華は前を向く。櫛を通し、ヘアアイロンで丁寧に伸ばしていく。彼女のふわふわとよく跳ねる髪が真っ直ぐに伸ばされてゆくのを鏡越しに見ながら、風華は眉尻を下げた。

「あの人の遊びに、無理に付き合わなくてもいいんですよ?」

「何を仰いますやら」

真っ直ぐに伸ばし、艶を出した髪を、今度は毛先だけくるりと巻き直す。美容院でやるより余程綺麗にしてもらっている気がする。本当にこの人は出来ないことがないのだろうか。

「・・・懐かしいな」

「如何されましたかな?」

「いいえ・・昔、本当に小さい頃ですけど、出掛けるときは使用人の方によくこうして髪を手入れしてもらっていたのを思い出して、懐かしいなぁって」

幼い頃から手先はそう器用ではなくて。外出前には必ず数名の使用人に囲まれてあれやこれやとされるがままで。
あまりに出てくるのが遅いと母が呼びに来て、一喝していたものだ。『この子で遊ぶんじゃない!』と。
毎日騒がしくて、慌ただしくて。でも、とても楽しくて。
ひどく、懐かしい記憶に僅かに目を伏せていると、黙って耳を傾けていた鉄裁が笑ったのがわかった。

「この程度でしたらいつでもさせていただきますぞ、奥方」

「ふふ、有り難うございます」

太い指先に似つかわしくない程に繊細な編み込みを組み合わせながらハーフアップにすると、彼は満足げに頷いた。

「これで如何ですかな、お嬢様」

「十分過ぎるぐらいだわ。これならどんなお呼ばれにも出掛けられそうね」

「恐縮でございます」

鉄裁に改めて礼を告げて、扉を開けたところで、今度は可愛らしいピンクのワンピースをきた雨が出迎えてくれた。

「・・・お嬢様、階下まで、・・・お荷物を、お持ちします」

「・・・雨ちゃんまで・・・有り難う、じゃあこれお願いできるかしら?」

雨の小さな手に小ぶりな鞄を預ける。
彼女は嬉しそうに頬を染めて先に階段を降り始める。
鉄裁と三人で一緒に階下に降りつつ、風華はこれはもうあと一人もそうくるだろうと考えていた。
案の定、玄関先では、これまた小さな執事宜しくタキシードをきた少年が詰襟を弛めようと格闘しているところだった。少年はこちらを見るなり顔を真っ赤にして、びしりと直立する。
次いでヒールを玄関先に並べた。いや、並べた、というよりは投げ捨てた、に近い。

「・・・っ!お嬢様、靴をお持ち致しました!」

「ふふ、並べるならもっと丁寧に並べなきゃ駄目よ、小さな執事さん」

「うっ・・・」

風華は自身でシャンパンゴールドのヒールを手元に並べ直して脚を入れる。奇跡的に倒れてはいないから、大丈夫だろう。ヒールも汚れてはいないようだ。

「ジン太くん、照れてる・・・」

「るせぇっ!」

「今日のお嬢様は格別美しいですからな」

「もう、皆やめて」

さすがに恥ずかしくなって俯いた風華の爪先に、見慣れない男物の靴の爪先が見えた。

「迎えにきましたよ、お姫様」

顔をあげると、薄色の髪の男が優しく微笑んでいて、唖然としたままの風華の掌をそっと取る。その手に促されるままに彼女も立ち上がる。長い前髪を後ろに流していて、見慣れない格好に風華は思わず固まってしまっていた。

「喜助さん、よね?」

「おや、他の誰に見えるって言うんスか。・・・それにしても、ボクの見立て通りだね。よく似合ってるよ」

風華の髪にいつかのように、しゃらりと簪が飾られる。
そう言えば、枕元においてあったはずの簪が何故かなくなっていたのだと今さら思い至る。

「あ、ありがと・・・っ、!?」

「綺麗だ、とても」

突然、その手を取られたまま、彼の胸元に飛び込むように抱き抱えられて、耳元で囁かれる。
昔、そう、ずっと昔に、彼とまだ付き合う前に、食事に行ったときのように。
横目にかち合った視線。
ああ、やはり。
本当に、意地悪なヒト。

「・・・貴方は、すぐ、そう言うことを言うから、信じられないわ」

記憶を手繰り寄せて風華がいつかの言葉を準えると、喜助は満足したようににやりと嗤う。

「本心なのに、酷いなァ・・・。まぁ、いいや、行きましょうか。ボクのお姫様」

片目を瞑った彼に呆れつつも、風華はするりと、その差し出された彼の腕に手を回した。




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