鈍色の歯車
はあ、と肩を落としながら喜助は首を仰向けに転がった。
目深に被っていた帽子が、畳の上にぱさりと転がる。
買い物袋を提げて居間に上がる大男を見上げる。
「鉄裁サーン、なーんで邪魔するんスか」
「はて、何のお話ですかな?」
「しらばっくれるんスか」
喜助が思いきり眉根を寄せると彼は口髭を蓄えた口許を弛めた。
「夜一殿より『風華があまり喜助を甘やかしすぎぬよう、頼むぞ』と仰せつかっております故」
「鉄裁サンはボクと夜一サンのどっちの味方なんスか」
「さて、どうでしょうな。強いていうなら風華殿ですかな」
意外な答えに驚いて、まじまじと見返してしまう。
彼は当然といった風に喜助を見下ろして笑う。
「何か問題でもありますかな?」
「いえ、別に。・・・風華の味方だっていうなら、今のは邪魔するところじゃないんじゃないですか?」
「風華殿は近頃、どなたかのせいで、お疲れのようですから」
「ちぇー」
"どなたか"の部分をあからさまに強調し、くいっと片眉をあげて口髭を撫でる男に思わず顔をしかめてしまう。
わざとらしく口を尖らせてみても通じる相手ではない。
喜助は畳の上に転がっていた帽子を拾い上げて、指先に引っ掻けてくるくると回した。緑と白の縞模様が混ざりあって妙な渦を描く円盤になる。
腹筋に力を入れて身を起こすと、そのまま下駄を引っ掛けて戸口へ向かう。
「どちらへ?」
「ちょっと仕事のアフターサービスにね」
「了解です。・・・行ってらっしゃいませ、"店長"」
「うん」
深々と腰を折る大男に片手をあげて答える。
彼が喜助のことを役職で呼ぶときは、これ以上口を出さないときだ。
からんと下駄を鳴らして、箒を持ったままぼうっとしている風華を引き寄せる。
「きゃっ、」
急に抱き寄せられて身を固くする彼女の顔を覗きこむ。
まだ頬が赤く染まっていて、熱が引ききらないらしい。
まったく、本当に愛らしいことこの上ない。
「お散歩、行きましょ?」
笑いかければ、すぐに柔らかな笑顔でもって風華は頷いてくれる。
するりと喜助の腕の中から抜け出した彼女は、少し高いヒールに履き替えてから、彼の手に指先を絡める。
「ちょっと散歩するだけっスよ?」
「いいんです、これで」
華奢なパンプスに履き替えた彼女にそう声を掛けてみたが、風華は取り合わない。
元々頭一つ分違う身長差がある上に、更に喜助が下駄を履くと、傍目にはよりアンバランスに映る。それを誤魔化す為に風華が慣れないながらも、喜助と歩くときはハイヒールを履いてくれているらしい。
そんなもの気にする必要もないのだが、喜助に合わせようとしてくれる彼女が可愛らしく、ついそのままにしている。下駄を止めればいいのだろうが、自身はこれに慣れてしまっていて、今さらこの格好を変える気もない。
からん、ころんと下駄を鳴らしながら風華と連れ立って歩く。
目的地は訊かれなかった。喜助が『散歩に行こう』と言い出したところで既に察していたのだろう。曲がり角でさえ足並みが乱れることはなく、同じ速度で歩く。
陽光が角度を落とし、橙色の強さを増してゆく。
暮れなずむ陽の光に比例して、並んで歩く影が、太く長く伸びて地表を這う。
何を話すでもなく、ただゆっくりと手を繋いで夕陽が落ちて行く河川敷を練り歩く。
季節はもうじき、春から夏に移り変わって行く。それを示すように、河川敷の緑は色濃く背丈を伸ばしている。
「あ、」
「・・・喜助さん?」
「あれ見て、風華」
路面沿いに開かれた小さな花屋。
その花屋の立て看板に喜助が足を止めると、手を繋いでいた風華も自然に足を止めた。
「・・・綺麗、」
その店先に並んだ花は鈴蘭。
彼女の持つ刀と同じ名前を持った花。
その脇に置かれた立て看板に書かれていたのは『鈴蘭の日』という言葉。『今日はスズランの日!"幸せの再来"を意味する花、スズランを贈る日です♪あなたも大切な人に贈ってみてはいかが?』と書かれている。
「あとで買ってあげる」
「そんな、いいです」
「遠慮しないで。ボクがあげたいだけだから。ね?」
「・・・もう、」
言い出したら譲らないんだから、と呟く彼女には気付かない振りをして、一旦店を後にする。先に雑用を済ませなければならない。
「風華サンは本当お花好きっスよね、」
「そう、でしょうか」
「うん。あとあげるとかなり喜んでくれるしね」
「それは、だって・・・、お花をもらって喜ぶのは普通じゃないですか?」
問われて考えてみる。
いつも風華に、それ以前にも女性に贈るばかりだったから分からない。だが、皆一様に喜んでくれていたとは思う。
「んー、ボクはもらったことがないから」
「なら、私が差し上げます。嫌ですか?」
「風華サンから?」
彼女から花を受け取る様子を想像してみる。
花など利用価値もないものだ。
だが、悪くはない。
「ね?悪くないでしょう?」
押し黙ったままの喜助を、隣を歩く風華が下から覗き込んでくる。
「まだ何も言ってませんよ?」
「でも、貴方は、喜んでくれるはずです。私が差し上げたものですから」
ふふ、と微笑む彼女の様子に、喜助は思わず息を飲んでいた。
それは確かに今彼が考えた通りの理由だった。
きっと、それはいつも彼女が感じていることなのだろう。
毎年毎年、代わり映えもしない薔薇の花を受け取ってくれる彼女は、それでもいつもほんのりと目尻を染めて笑うのだ。そう。ちょうど今のように。
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