賽は投げられた
ぼうっと物思いに耽りながら、髪を何度か鋤いているうちに、随分と障子の向こうが明るくなってきた。
思えば、何か思考に流されるときはいつもこうして彼女の髪に触れていた気がする。

いまだ彼女は夢の中をさ迷っているようだ。

幼い頃の経験からか、付き合い始めの頃は彼女はよく夢見が悪いと夜中に寝覚めていた。
けれど、それも以前の話。
今はそういったこともなく、深く深く眠りについている。

今朝はまた一段とよく眠っているようだ。

たまにはこんな風に深い眠りにつく彼女を好きに休ませてやるのもいい。
もう少ししたら起こしてやろう。
いつも起こされてばかりだから。

そうして彼女の栗色の髪をくるくると指先に絡めては離す。
環を作っていた毛先がしゅるりとほどけて滑り落ちる。


障子の向こうから射し込む淡い冬の陽光に照らされて、波打つ髪が艶やかな光沢を称えている。
小鳥の囀りも一段と賑やかになり、襖が開く音、ついで忍ぶ足音が聞こえてきた。
おそらく鉄裁が朝食の準備に起き出したのだろう。

朝食の準備が整うまではまだ幾らかの時間がある。
けれど、そんな間際の時間まで眠りこけていたとなれば、風華は今日一日恐縮しきりで過ごすことになるだろう。
今日は喜助自身もゆっくりするつもりでいる。何もそんな日に、風華が小さくなっている様を見る必要もない。

喜助はふ、と一人口角を緩く持ち上げて、眠り姫を起こすために風華の前髪を掻き分けた。


だが、喜助はそこで違和感を覚えた。


「風華サン、朝っスよ・・・?」

「ん、・・・っ、」

風華は僅かに身動いだものの、眉根を寄せて息を詰めている。

「風華、もしかして具合悪い?」

彼女の額にそっと指先を這わせながら、布団にくるまろうとする風華の顔を覗きこむ。
淡く白く照らす陽光の元、彼女の頬は薄紅色に染まっている。
そして、額に這わせた指先から、あらぬ熱が伝わってきて驚いて指を離す。


ーーーーーーー熱い。


なぜ直ぐ様思い付かなかったのか、今となっては不可解なほどに、風華を見遣れば、浅い呼吸を繰り返し、あからさまに肩で息をしている。

「風華サン、大丈夫?」

「・・・み、ず」

「お水?」

喉が痛むのか、彼女は普段の鈴を転がしたような愛らしい声ではなく、いくらか嗄れた声を吐き出しながら、こくこくと頻りに頷いている。

「分かりました、すぐ持ってきます」

布団から這い出ると、周りに脱ぎ散らかされていた衣服を手早く身に纏うなり立ち上がる。



喜助が台所を覗きこむと、予想通り、鉄裁が朝食の準備に精を出していた。
菜箸でしゃかしゃかと卵を溶きながら、側に油を用意しているから、おそらく、だし巻き卵でも作るのだろう。
「鉄裁さんのだし巻き卵には、どうやっても勝てそうにない」と風華がよく嘆きながらもついつい箸を延ばしてしまうぐらいに絶品だ。


「これはこれは喜助殿。今朝は随分と早いお目覚めですな」

「おはようございます、鉄裁サン」


いつ起き出してくるかが分からない喜助の、珍しく早朝の登場に、鉄裁は眼鏡の奥の瞳を丸くしてから
「それとも、お休み前ですかな」と茶化される。
「今回は『おはよう』であってますよ」と適当にかわしながら戸棚からガラスの細長いグラスと盆を取り出す。


「すみません、お粥もお願い出来ますか?」

「む、食欲がありませぬか?」


グラスになみなみと水を注ぎながら、「風華が体調崩しちゃったみたいで、」と事情を説明する。

「なんと。すぐに用意しましょう」

「お願いします」

「他にも何か用意しましょうか」

「そうですね、何か体が温まりそうなものを」

「承知しましたぞ」

深々と頷く鉄裁に、後のことは任せて、喜助はまた部屋へと踵を返す。



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