賽は投げられた

部屋に戻ると、風華が焦点の定まらない薄茶の瞳をこちらに向けてくる。
潤んだ瞳が熱の高さを告げている。

「風華、お水持ってきたよ?飲める?」

「・・・ごめんなさい、」

「いいって、そんなの」

風華が胸元を押さえながらゆっくりと体を起こす。背中に腕を回し、それを助けてやりながら、脱いでいた彼女の服を反対の腕で手繰り寄せる。
さすがにいつまでもこのままにしておく訳にもいかない。

より体が冷えてしまう前に暖かくしておかなければ。ただでさえ冷え込む時期だというのに。

彼女の喉の奥へと水が滑り落ちていく様子を見届けてから、寝間着にしているワンピースを着せてやる。
袖に腕を通し、ボタンに手を掛けていく彼女の細い指先は、いつも以上に白く血の気が感じられない。まるで蝋人形のようにさえ見えてしまって、背筋をうすら寒いものが駆け抜けた。


ーーーカチコチ、カチコチ。

振り子時計がいつもと変わらずに規則正しく振れていく。

その振り子の振れる合間に、控えめな呼気と衣擦れの音が不規則に乱れて響く。

抑えられてはいるものの、風華の息は情事を思わせる程に熱っぽく荒い。

痛みのせいか、はたまた熱のせいか。
頭が重いようで、彼女はふらふらと半身を揺らしていて、今にも倒れてしまいそうだ。
視界が定まらないだけではなく、まともに思考能力も働いていないようで、覚束無い手つきでボタンを嵌めていく様子はもどかしくて仕方がない。

はぁはぁと熱をあげた吐息を漏らしながら、風華の手が行ったり来たりしている。
上まで進み掛けていた手がまた下へ向かっていて、
どうやら掛け違えてしまったよう。
止めたばかりのボタンをまた一つ一つと外していく。
それに合わせて、日に焼けていない、雪のように白い柔肌が晒されていく。

「風華サン、大丈夫っスか?」

「・・・ん、平気、です」

手伝ってやろうかとも思うのだが、また少しずつ隠されていく柔肌を逆に暴きたくなってしまいそうで、手を伸ばすことが躊躇われた。

合間からちらちらと覗く乳房が目に毒で、喜助は視線を逸らす。
数時間前にも熱を分け合っていたはずなのだが、既に彼女の姿に中心が疼く。こんな状況でもなければ、もう一度押し倒してしまいたいぐらいだ。

「水、もう一杯持ってきますね」

このまま此処にいない方がいい。
一旦席を経つべきだ、と腰を上げた。
だが、すぐに風華に呼び止められた。

「喜助さん、待って、」

「どうしたんスか?」

あまり彼女の肢体が視界に入らないように意識しながら、喜助は少しだけ振り返る。

「・・・鉄裁さんは?」

「ん?ああ、今お粥を頼んできたよ」

「わざわざ、そんな・・・」

おずおずと問う彼女の質問の意味を察して答える。
風華は途端に表情を曇らせる。

「こんなときまで無理しないで」

「でも、私も」

「それより、食欲はある?食べられそう?」

「・・・少し、でしたら、」

「そう、良かった」

まだ言い募ろうとしていた風華の言葉を遮って会話の流れを無理矢理変える。

朝食の支度を手伝うつもりだったのだろうけれど、何も今そんな検討違いな心配をする必要はあるまい。
それよりも自身の身だけを案じてくれていればいいのだ。


再度台所と部屋を往復してきた頃には風華も無事に着替え終えていた。
口惜しさ半分、安堵半分に喜助は腰を下ろし、風華の肩に自身の羽織を羽織らせる。体格差から、風華の体はすっぽりとその羽織に包まれる。

暫くすると、鉄裁が粥を運んできた。

「風華殿、ご無理はなさいますな」

「鉄裁さん、ありがとう」

「礼には及びませぬぞ」

眼鏡の奥の瞳を柔らかくさせて鉄裁が笑う。
風華はその後も何度も礼を述べながら、かなり時間はかかったものの、粥を完食した。

途中席を外し、喜助は研究室から薬を持ち出してきた。多少苦味は強いが特製の丸薬で、義骸のままでも効果がある。

「ん・・・変な味、」

「我慢して下さい」

「はい、・・・ぅ、ん」

ごくりと喉をならして半ば無理矢理呑み込んだ風華は、その瞳を濡らしている。

「良薬口に苦しと言いますからな」

鉄裁が大きく頷いてから、粥と一緒に盆に乗せてきた湯呑みを差し出した。

「風華殿。口直しというわけではありませぬが、良ければこちらも。体が暖まりますぞ」

「・・・卵酒、ですか」

「へぇ。そりゃいいっスね」

ふうふうと息を吹き掛けて冷ましながら、風華が飲み終えるのを待った。

体が弱っているときは、精神的にも弱くなるものだ。いつも以上に彼女が寂しさを感じてしまわないよう、三人でたわいもない話を繰り広げた。
鉄裁と共通で風華に語ってやれる話といえば、夜一の邸でのことで。

「あのときも、夜一サンがあんなこと言い出すからボクまでとばっちり喰らう嵌めになって」

「そう言いながらもいつも上手く逃れておりましたな、お二人は」

「いやあ、それほどでも」

「褒めてはおりませぬぞ」 

「ありゃ。でもボクのしたことなんて、夜一サンに比べたら可愛いモンっスよ」

「はあ・・・夜一殿も昔から変わらず破天荒な方でしたなぁ」

「ふふ、夜一さんらしいですね」

思えばこんな風に過ごすのは初めてかもしれなかった。

「そういえば、あの後、どうなったんですかね?」

「どうなった、ですと?あの後は邸中大騒ぎになって後始末に追われた私の身にも・・・おや」

「ん?」

湯呑みを置いて、体を横たえて可笑しそうに話を聞いていた彼女が寝息を立てていた。
その顔色は起き抜けよりも既にいくらか快調へ向かっているようにみえた。

「ゆっくりお休み、風華」

そっと囁いて、首もとまで布団をかけ直してから、男二人は視線を合わせて、その部屋を後にしたのだった。



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