愛を教えて、

あれから、一週間経った。

からりと晴れて清々しい朝だ。
早朝は浴衣では肌寒く、肩に羽織を掛けてから、縁側に降りる。

「おはよう、紅姫。今日もいい天気ね」

半年前に買ってから、この朝の挨拶、もとい水やりが風華の日課に加わった。
花に向かって話すのもおかしい気がしたが、隊舎とは少し離れた屋敷に一人暮らしだ。
誰に咎められる訳でもない。

大事に手入れしてやっているせいか、今のところ紅姫は枯れる気配をみせない。
しかし、もう少し寒くなってきたら、家の中に移した方がいいだろうか。
朝晩の冷えで、葉に霜が降りないとも限らない。
細い茎は霜に強いだろうか。薔薇など育てたことがないので分からない。本格的に寒くなる前にまたあの花屋へ行ってみようか。

如雨露を手に取って、鉢植えの側に屈みこんで水をかける。
葉が痛んでしまわないように、如雨露の先を根本に近付けてぐるりと一週回しかける。
最初は水の量が分からず、地面がかなり濡れてしまった。根腐れもせず、よく育ってくれたものだ。

「喜助さん、今日も元気にしてるかしら?どう思う?」

こうして水やりをしていると、いつも思考が喜助へと向かう。

喜助とはあの夜以来接触を避けている。

食事を御馳走してもらったのだから、礼にでも伺うべきだとは思うが、次に会ったときも、今までと同じように、顔見知りとして振る舞える自信がなかった。
ともすれば、側にいて、と縋ってしまいそうで。

うん、と背伸びをして空を見上げる。
秋らしく空が高い。
遠くに一羽の鳥が見えた。
鷲、いや鷹だろうか。鳥類には詳しくないから分からない。

もう一羽飛んできて、旋回すると連れ立って飛びさっていった。つがいだったのだろか。
風華にはそれがひどく羨ましく見えた。
あんな風に、あれたら。
好きです、と一言告げてしまえたら。

頭を降って思考を散らす。
叶わない願いなど思うだけ無駄だと、気持ちを切り替えて風華は舎に向かった。





『来て早々申し訳ないのですが、救護要請がありましたので、行っていただけますか?』


そう卯の花に言われて風華が四番隊を出立したのは半刻ほど前のこと。
救護要請のみだと聞いていたから油断していた。
こんなことになるなんて。
悔やんだところで後の祭り。
風華は内心舌打ちしながら、傍らの少年の体を突き飛ばして刀を振り払う。

「ねーちゃん!」

少年が振り返るのと、彼女の体が襤褸切れのように転がるのと、果たしてどちらが早かったのだろうか。
起き上がろうとした腕は、しかし支えきれずに地に伏す。と同時に口からごぽりと赤黒い液体が撒き散らされた。内蔵をやられたらしい。救護班なんてやってるから、自身が今どういう状況かなんてよく理解している。

「ねーちゃん!」

また少年の呼ぶ声がした。
そちらを向いたつもりだが、視界が霞んで把握しきれない。

「イテェェヨォ!!ヨクモ!ヨクモ!!」

凪ぎ払われる瞬間に片足を切られた虚が激昂している。痛いのはこちらの方だ、と風華の頭はどこか冷静に突っ込んでいた。

「・・・・いき、なさい・!」

「で、でもよ!」

「いいから・・!」

痛みと怒りで周りが見えていないのか、虚は雄叫びをあげて「ドコダァ!!」とまだ自分たちを探しているようだ。有り難いことに、幸いにも知能は高くないようだ。
今のうちに逃げろと、荒い呼吸のまま告げるのだが、少年はまだ立ち去ろうとしない。

「・・・行けぇッッ!!」

怒鳴り付けるような声を張り上げると、彼はびくりと体を震わせてから走り出した。
良かった、これであの子が巻き込まれることはない。
無理矢理声を出したせいでまた血を吐いてしまった。

「ミツケタゾ!!」

張り上げた声は敵にも居場所を明らかにしたらしい。
構わない。
先程援護要請も出した。
もう暫くすれば、もっと席次のある人物が討伐にきてくれる。
少年は助かる。


ーーー私が、ここで、死んでも。


まだ死にたくはなかった。
だが抗おうにも、手元に相棒がいない。悲鳴をあげる体に鞭を打って、精一杯首を前方へ向けた。
いた。霞む視界の先に、こんなときでさえも美しく煌めく白い刀。
ごめんね、と謝って悲鳴をあげる腕をただ前に伸ばした。届かない。爪先まで伸ばしても、空しく砂を掻きよせただけだった。悔しさに涙が滲む。
こんなところで終わりなのか。
四肢を裂かれるような激しい痛み。これは背骨もやられているだろう。這って逃げようとも、もはや動けない自身が助かる見込みはない。

突然体が中に浮いて、地面が遠ざかる。
虚が片足を掴んで風華の体を持ち上げたのだ。
逆転し、霞む視界の先に口を開けてニタァと厭らしく嘲笑う奴の顔が写る。

「ウマソウナニオイダァ!マルノミニシテヤルゾ」

そうして更に彼女の体を持ち上げた腕を高くあげたときだった。

「こっちだ、バケモノ!食らえ!!」

逃げたはずの少年の声が聞こえて、はっとして風華は首を捻る。
そこには虚の足元で棒切れを振り回す少年がいた。
いけない。彼まで喰われてしまうだけだ。
しかし、もう彼女にはどうすることも出来なかった。
誰でもいい。お願い、誰かーーー

「オ、ソンナトコニイタノカ。オマエモアトデクッテヤルカラナ。トリアエズコノウマソウナヤツヲアジワッテカラダ」

ぎゅっと眼を瞑る。
誰かと、呼びながら、浮かんだのは只一人。
焦がれて止まない愛しい人。
こんなことになるなら、無駄だと分かっていても伝えておけばよかった。
今にも四肢を焼き付くさんばかりの痛みよりも、ずっと熱く、内側から身を焼切ってしまいそうなほど胸に燻っているこの想いを。
自然と唇はここにいない彼の名を呼んでいた。

ーー喜助さん

虚がぱっと、指を離して、彼女の体はそのまま重力に従い、奴の口に向かって落下する。
少年が必死に止めようとして、叫んでいる声が遠くに聞こえた。
ごめんね、助けてあげられなくて。


風華が死を受け入れたときだった。


「啼け、紅姫」


紅い光。
肉を裂く鈍い音。
耳障りな断末魔。
体が何かで包まれる感覚。
人の気配。
駆け寄ってくる足音。
そして、


「無事ですか、風華サン!?」


最期に一目会いたいと願った、恋しい人の声。


「・・・き、すけ、さん・・?」

夢かと思った。
夢ならもう、このまま覚めなくてもいいと思った。


『まだだめだよ、生きなきゃ』


朦朧とする意識の中で、懐かしい声がした。
 



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