愛を教えて、
「でも良かった」
「何がですか」
「風華サンがちゃんと着替えてくれてて」
「はい?」
「ちょっとイイお店なんで、さすがにアレで行くのはね」
着替えてなければ待つだけの話だけど、と言いながら手を離す様子もなく、前をいく喜助の背中に溜め息をついた。
仮にも隊長がいく店なのだ。
しかも話ぶりから察するに贔屓にしているところだ。
そんなところに雑な格好では立ち入れまい。
特に女性の扱いになれたこの人のこと。
それこそ、相応の格好が求められるというものだ。
そうして暫く歩いて、着いた店は小さな割烹料理屋だった。
喜助が暖簾をくぐると、穏やかなに微笑んだ女将が奥の座敷へ案内してくれた。
酒も料理もお任せらしく、厚みのある座布団の上に座ったあとすぐに熱燗と先付けが出された。
秋らしく銀杏と松茸を炙ったものだ。鮮やかに赤く染まった紅葉の葉も一枚、漆器の中に彩りとして添えられている。
どちらも軽く火を通すことで、より薫りが引き立っている。
手を加えすぎていないからこそ、素材の良さがよく分かるというものだ。
「・・・美味しい」
「そりゃ良かったっス」
口に含んだ酒もまた良いものだ。
上品で優しい口当たりだが、鼻を抜ける米の香りは強く、少し酸味がある。
「新薬開発お疲れ会なんで、好きに食べて下さいね」と言って、彼も好き勝手に食べているようだった。
時折、料理を運んできた女将と世間話をしては、酒を追加している。
次々運ばれてくる料理に舌鼓をうっていると、喜助がじっとこちらを見ていることに気付いて端が止まる。
丁度、銅板焼きの鴨肉がいい色に焼けたところだった。
岩塩か、焼き葱入りの出汁か。どちらで食べるかを真剣に悩んでいた風華は、そう言えば先程から食べることに集中してしまっていた。
気を悪くしてしまっただろうか。
「ねえ風華サン、何かボクに隠してることないですか」
「え、」
予想外の一言だった。
まさか昼間のことを気付かれてしまったのだろうか。
「いえ、何も」
「本当に?」
「はい」
「本当の本当に?」
「はい」
「本当の本当の本当に?」
「本当ですって。よく言うでしょう、女心と秋の空、って。本当にただの気紛れです」
彼にしては珍しく食い下がってこられて風華は焦っていた。
これ以上、その話を掘り下げられても困る。
何か話をすり替えた方が得策かもしれない。
「ふーん。でもボクも言いませんでしたっけ?甘えて下さいって」
「それは、」
言われた。
あの日、確かに言われた。
甘えていい、と。
小指を絡めて、小さく指切りをして。
未だに思い返すだけで胸の内がちりちりと焦がれるように熱を宿すほどに。
けれど、あれは言った本人がもう忘れていると思っていた。
「ね、風華サン」
ひたりと見据えられて、優しい声で名前を呼ばれて。
本当に、甘えてしまいたい、と思った。
けれど、きっと、彼にとっては、他隊の部下の一人で、新薬開発の協力者にすぎないはずだ。
ただ、縁があってこんなことを言ってくれているだけ。きっと昼間の彼女達や、他の、風華の知らない女にも同じように振る舞っているに違いない。
もし、仮に本心で気遣ってくれているとすれば、それはきっと同情だろう。家の話など、調べればすぐに分かることだ。
だが、一度甘えてしまえば、風華はそうもいかない。
一度でもそんなことをしてしまえば、より強く求めてしまうに決まっている。
彼に溺れてしまうに決まっている。
だから、この境界線を越えてしまう訳にはいかないのだ。
風華は観念したように、大袈裟に息を吐き出してから、喜助を見据えた。
「浦原さん、実は私、貴方にお伝えしたいことがあるんです」
「はい、」
普段のへらりとしただらしない様子はなりを潜めて、喜助も表情を引き締めて、彼女を見返す。
風華は心の中だけで、喜助に謝罪した。
胸の内で、いつも呼ぶようにして。
ごめんね、喜助さん、と。
「実は冷酒の方が好きなんです」
「・・・・・・・はい?」
「ですから、熱燗より冷酒が好きなんです」
十数秒は固まっていただろうか。
今日は珍しい彼がよく見られる日だ。
「え、だって夜一サンと呑んだときも、美味しそうに熱燗呑んでたじゃないっスか!」
「わざわざ四楓院隊長が用意して下さったのに、無下に出来ないじゃないですか」
「・・用意したのはボクなんですけど」
「あら、そうでしたか。ありがとうございました」
喜助はがくりと肩を落としてから女将を呼びつけると、冷酒を頼んでくれた。
それで騙されてくれた訳ではないのだろうけれど、話す気がないことは伝わったようで、その日それ以上聞かれることはなかった。
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