愛を教えて、

風華は自身の詰所にも寄らず自室に戻ると、黒衣を脱ぎ捨て、着物を取り出す。

ざっと目を通して手にしたのは深い宵闇の色で染められた着物。
白百合の花が艶やかに描かれている。
帯は少し落ち着いた薄色。
どことなく、彼の髪を思わせる色だったせいか、気づけばそれを手にしていた。
さっさと身支度を終え、本題である髪を切りに行かねばならなかった。
短いところにあわせると、肩先にかかるぐらいの髪長さだ。癖の強い髪で良かったとこの時ばかりは思った。直毛で真っ直ぐ切り揃えていたら、髪の色こそ違うが、どこの呪いの人形かと言われそうだ。
短くなってしまったが、普段のように耳の上の髪を簪でまとめて結えた。後ろの髪は長さが足らなかったので、そのまま下ろした。
幾分幼くなったようにも見えて、落ち着いた着物の雰囲気とあわないかと思ったが、存外悪くない。

自室に戻り、唇に紅を引いたところで、鐘の音が聞こえてきた。
終業だ。

喜助は詰所に迎えに来ると言っていた。

一度戻った方がいいだろうか。
しかしこの格好で行くのもどうだろうか。
浮かれていることは誰の目にも明らかだし、途中から仕事を抜けてこんな格好をして詰所へ赴くのもいかがなものか。
どうしたものか、と首を捻ったところで、戸口に人の気配を感じて立ち上がる。

この霊圧を、風華が間違えるわけがなかった。


「風華サン、お迎えに上がりましたよん」

「今行きます、」

畳に放られていた鞄を手にして、扉を引くと。


そこに立っていたのは、見慣れた黒衣、ではなく、薄墨色の着物に濃紺の羽織を羽織った喜助だった。

「浦原、隊長、ですよね」

思わずついて出た言葉に、彼にしては珍しく面食らったような顔で「ボク以外の誰に見えるんですか」と言われて、風華は慌てて謝罪する。

「すみません、見慣れなくてつい」

「そこは見惚れちゃって、とか言うもんですよ」


口を軽く尖らせる喜助に、風華が笑う。


「ごめんなさい、私、浦原隊長みたいに口が上手くないもので」

「風華サンはそれでいいんスよ、代わりにボクが言うから」


何を、と問う間もなく。
くい、と腕を引かれて。


「綺麗だ、とても」


気づけば彼の腕の中にいて。
抱き締められるような体勢のまま、耳元で低く囁かれた。
息が、できない。


僅かに顔をそちらへ向けた風華の視線と、体を離す合間に色を含んだ喜助の視線とが、ほんの一瞬絡む。

しかし風華はすぐに眉を寄せる。
いつもの調子で、顔をしかめて正面から喜助を見上げる風華に嘆息した。

「本当にお上手ですね」

やれやれ、という風に息を吐き出してから、喜助はそっと彼女の髪を撫でる。


「その髪型も、似合ってますよ」

「そうやって、何人の女の子を泣かせてきたんですか」

「酷いなぁ、誉めてるのに」

「浦原隊長はすぐそういうことを口にするから、信用できません」


本心なのに、と拗ねたような口調ながらも喜助は喉の奥でくつくつと笑っている。
よく違う女性と連れだっているのを知らないとでも思っているのだろうか。


「それにしても、なんでまた髪を?」

「ただの気紛れです」


視線を外したまま、わずかに俯いて答える風華の様子を気に止める様子もなく、喜助は首を縦に振って「風華サンは美人だから、なんでも似合いますよ」などと語っている。

そうして喜助は「もう終業時刻過ぎてますからね」と役職呼びを訂正して、風華の手を引いて前を歩き出した。

「浦原さん、あの、手を」

「だってこうしてないと、アナタ、迷子になっちゃうかもしれないデショ?」


背を向けた喜助の表情は見えないが、明らかに笑っている。


「もうっ!さすがに子供じゃないんだから、見失ったりしません!」


「同じ角を何度も曲がるような人の言うことは、信用ならないっスよ」


「わかりました、私が悪かったです!どうぞ浦原さんの好きにしてください!!」


吐き捨てるように言って、そうして小声で、けれど聞こえよがしに「いい加減忘れてくださいよ」と非難してみたが、あはは、と笑うだけで喜助からはいい返事はもらえず風華はそれきり押し黙った。



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