道外れの機械人形

ーーーー気配が、した。
いつかの、禍々しい気配がした。

「店長、これは・・・」

「ああ。雨を襲った奴だ」

並の死神には荷が重かろう。
先日から追跡を続けていたが、巧みに逃げ回っていたのだ。
小賢しい。
本来なら放置してもいいのだが、雨だけではなく、あれは風華とも出会っている。あれが風華のことを覚えているならまたいつ付け狙ってこないとも限らない。
故に早々に処分しておく必要がある。
足取りが掴めずにいたのだが、一ところに留まっているところから察するに誰か獲物を見付けたのだろうか。
被害が増える前に、と腰を上げる。

「私めが」

鉄裁が処分を買って出るが、喜助はそれをひらひらと手を振ることで制した。

「いいよ、ボクが行ってくる」

そのとき、がたんと転げるようにして雨が家に帰ってきた。土足のまま居間に駆け戻り懸命に口を開いている。

「どうしたんスか、雨。落ち着いて、」

背中を撫でてやろうとした手を取って、ぐいぐいと店の外へ連れ出そうとする。

「・・・っ、」

口を開けて必死に音のない声で叫びながら、外を指差す。
ふと、あることに気付く。
彼女が、いない。
なぜ雨は一人で帰ってきている?

「・・・風華は?」

その呼び掛けに、雨は頬を涙で濡らして、叫んだ。

「・・・け、て」

「え、雨?」

「助けてッ!風華さんを助けて!」

初めて聞いた彼女の声に、喜びを分かち合う余裕などなく、最後まで聞かずに、杖を掴んで飛び出した。

ーーー嘘であってくれ。
ーーー気のせいであってくれ。

あれは彼女一人では荷が重い。
ましてや刀を抜かずに、など。


今にも地面に押し潰されそうなその肢体が視界に映るのと、腕を振るうのはどちらが早かったのか。

「・・・ッ!!?イテェ!!オレノ指ガァアアア!!」

風を切る音がした。
虚の五本の指がばらばらと散っていく。
喜助はそれを視界に留めることもなく、薙いだ右腕を正面に構える。

「選べ」

ちゃき、と鍔が鳴る。

「次はどこがいい?」

何処か遠くで自身の声を聴いていた。
こんな声だっただろうか。
こんなに冷えた声を出せたのかと、頭の片隅で他人事のように聴いていた。

「フ、フザケルナヨ!?ナンダオ前ハ!!?」

「"巫山戯るな"?それは此方の科白ですよ」

前方に刀を構えたまま、男は軽く鼻で嗤った。

「風華に手を出しておいて、すぐに逝けると思うなよ」

「ーーーーヒッ!!?」

彼が口を開いた途端、ぱきり、と細い枝が折れた。
木々がざわめく。
周囲の電柱が、壁が、アスファルトが、耐えかねるようにみしりみしりと悲鳴をあげていく。

「お前の減らず口に付き合うつもりはない。さっさと選べ。どこから斬られたい?」

これでも喜助は霊圧を抑えているつもりだ。
いや、抑えられているのだろうか。
口も体も、まるで自身のモノではないように勝手に動いている。誰か別の生き物に操作されているような感覚だ。

怒りに我を忘れることなど、あってはならない。
非常事態であればこそ、冷静であれ。
故に怒りに身を任せたがる心と、より冷静になろうとする思考が別々に体を動かそうとしている。
抑えろ。
今すべきことはなんだ。

喜助の霊圧に臆したように、それがじりじりと後退る。
一つ息をついた。
擦れあう葉が、軋んでいたアスファルトの動きが、ぴたりと止まる。

「答えない、か。ーーーテッサイ、風華の傷は?」

喜助は振り向くことなく、背後に問う。
荒い呼吸が次第に静かになっていくのが分かる。

「左腹部の損傷が深刻ですが、治療出来る範囲です。あとは右腕に複雑骨折、左足が押し潰された痕があります。しかしながらいずれも問題はありません。ご安心を」

「そうか」

ーーー右腕の複雑骨折に、左足圧迫、か。
逡巡した後に、喜助は一つ頷いて刀を一振りした。
すると、それの右腕が賽の目状に切り裂かれた。

「ーーーッッ!!?」

「次は、左足か。・・・参ったな。これだけ大きいと再現しづらい」

「ヤメロ、ヤメテクレェ!!」

「止める?笑えない冗談だな。言っただろう、風華に手を出したお前の末路は苦しみながら死ぬことだ」

新しい地区担当が力のない死神で良かった。
お陰でゆっくりと報復する時間が取れる。
死神時代にこんなことをしていたら、査問に掛けられただろうか。今はどうでもいい話だが。

からんころん、と場にそぐわない軽快な下駄の音を鳴らしながら、喜助はそれの彼の十数倍はありそうな太い左足に手を添える。
おそらく逃げようとしているのだろうが、無駄なこと。
既に周囲には結界を張り巡らせている。

「ガアア!!イテェ!!ヤメロォオオ!!」

「さて、どれだけやれば押し潰せるか。加減が分からないな」

そう言えば虚の肉体強度について研究したことはない。
元は人間なのだから、あまり強度も変わらないのだろうか。
虚化したときに弱くなるようでは問題だし、彼等の助けにもなるかもしれない。
だが、僅かに力を入れただけで、それはぐしゃり、と皮膚が裂けた。
ぼたぼたと赤黒い液体が飛散する。
彼は途端に眉を潜めて、煩わしげに返り血に濡れた手を振った。

「穢いな・・・帰ったらまず体を洗わないと」

「ハナセェェ!!グアァァアア!」

左足が何ヵ所も引き裂かれ、夥しい血が流れていく。
喜助はそれさえ平然と「うん、こんなものか」と一瞥し、無言で最も損傷の大きいと言われた左腹部を貫く。

「ヤメテクレェ・・・オレガ悪カッタ!モウソノ女ニハ手ヲ出サナイ!」

腹を貫かれた痛みと衝撃に、それは地面に這いつくばったまま、残った方の指のない掌を左右に振って諦め悪くまだ逃れようとしていた。

「・・・誓えるか?」

はぁ、と深く息を吐く。

「誓ウ!誓ウ!命ダケハ助ケテクレ・・・!!」

「そうか、」

喜助はくるりと背を向ける。
鉄裁が風華を横抱きして立ち上がり、結界を解いた。
その瞬間、虚が飛びかかる。

「啼け、紅姫」

「・・・ナ、ニ、・・・?」

「虚相手に、そんな口約束を信じる馬鹿が何処にいる」

血振りを終えると、刀が仕込み杖に姿を変える。

「風華に手を出した時点で、お前の死は確定していた。諦めろ」

ずしん、と事切れた巨体がその場に崩れ落ちた。



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