道外れの機械人形

それは、何よりも忘れたい声で。
けれど、あの日から何度も夢に見て、忘れられない声だった。
風華だけではなく、雨にとっても。
だからこそ、二人は、弾かれたように走り出していた。


『カワイイカワイイ、オレノ小兔チャーン、ドコニイッタンデチュカー?ゲヒャ、ゲヒャヒャ!』

下卑た不快な声が、空高く空間を軋ませる。
心配なんか要らない、だなんてよく思えたものだ。
数時間前の自身の頬を張り倒してやりたい、と風華は少女の手を引いてひた走りながら八つ当たり気味に罵っていた。

「はぁ、はぁ、・・・大丈夫、雨ちゃん?」

小声で問い掛けると、抱き寄せた少女は小さく頷いた。
路地裏に逃げ込んで、二人、呼吸を整える。虚相手に路地裏に潜り込んだところで意味はない。
死霊相手に人工の壁など何の意味があろうか。
だが、相手はこちらをじわじわと追い込むことを愉しんでいるようで、あえて壁にすり抜けることなく一つ一つの道を虱潰しに探している。
喜助特製の義骸に気付くだけでも充分に厄介な存在だというのに、その上愉快犯ときた。
まったく、昔から性質の悪い輩に好かれてばかりだ、
本当に、嫌になる。
風華は壁に背を預けたまま、細く息を吐き出した。
このまま逃げ切るのは、さすがに難しいだろう。

しゃらん、と涼やかな鈴の音が谺した。

ーーー呼んでーーー
ーーー私を呼んでーーー

路地裏を逃げ惑う振りをして、刀を奮えば、奴の神経を犯しじわじわと死に至らしめる。

視神経を奪い、
聴覚を犯し、
嗅覚を麻痺させ、
筋肉を壊死させ、
脳神経を喰い散らし、
心の臓を突き破り、
あとにはただ、白い花弁が残るのみ。

代償がないではないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
風華は意を決して簪に手を伸ばした。

そのとき、ぎゅっと、震える手が、風華の薄灰色のコートの裾を握りしめていた。
はっとしてそちらに一瞥をくれた風華の脳裏で、聞き慣れた声が、そっと彼女の手を後ろに引いた。



『あの義骸は、周囲の力に影響される可能性がある』



ーーー彼女は、躊躇した。


細い糸のように、或いは強固な鎖のように、その言葉は彼女の枷となり、判断を鈍らせた。
それはほんの一瞬。
瞬きをする間にも満たなかった。

だが、その一瞬が、彼女の仇となる。

ーーー ミ ツ ケ タ ゾ ーーー

ざわり、と首筋が総毛立つ。
振り返る時間などなかった。

「雨ちゃん、逃げてーーッッ!!」

少女を力の限りに突き飛ばした。
痛かっただろう。
だが、それを気にかけている余裕などなく、頭上から何かが降り下ろされ、みしみしと骨が軋む。
衝撃も痛みも遅れて知覚されて、気付けばコンクリートの壁に叩き付けられていた。
かしゃん、と簪が手から転げ落ちた。

「・・・うぁッ!あぁっ!!」

「イイゾ、イイゾォ!モット泣ケ!喚ケ!」

地面に屑折れた体を転がされ、腹部をじわじわと押し潰される。嬌声にも似た、掠れ声が漏れる。
霞む視界の向こうで、それがにたにたと気味の悪い微笑みを浮かべる。

「・・・っ、!!」

一つの気配が遠ざかっていく。
どうやら雨が逃げてくれたらしい。

「ヒヒッ、ニゲヤガッタ。アイツハ後デ遊ンデヤルカ。今ハコッチデ楽シメソウダシナァ・・・!!」

肺を潰され、呼吸に喘ぐ風華を嘲笑うように見下ろしながら、それは細長い青紫色の舌先から、どろりと涎を垂らしていた。

「あ、が・・・っ!」

「クルシイカ?クルシイダロウ!?イノチゴイデモシテミルカ!ナァ!?」

「ぁ・・・っ、ぅ、あァ、」

金色の光が視界の端で煌めき、朦朧とする意識の中、そちらへと腕を伸ばす。

「イイネェイイネェ!ソソル声出スジャネェカ・・・!」

「ぁ、あぁっ!ぐ、ぁ、」

あと少しなのに、それに手が届かない。
ずっと昔にもこんなことがあった気がした。

ーーーあのときは、どうしたんだったっけ。

意識が遠くなる。徐々に痛覚も消えていく。

ーーーごめんなさい、

誰にともなく謝った。
最早彼女自身、誰に、何のことを謝罪しているのかさえ分かっていなかった。

「泣ケ!モット喚ケ!!オレヲ愉シマセテクレヨオ!!」

「ぐぁ、あ、・・・っ」

このまま、逝くのか。風華がそう覚悟したときだった。
ふと、体に圧しかかるものがなくなった。

「・・・ッッ!!?イテェ!!オレノ指ガァアア!!」

「・・・っ、は、・・・ぁっ、?」

「風華殿、動かれるな!すぐに治療を」

「てっ、・・・い、さん・・・どう・・・て?」

呼吸が徐々に楽になっていく。
彼女の焦点が、自身を捕らえたことを確認してから、鉄裁は視線を前方へ向けた。
風華も、促されるままに辛うじて首を回して、そちらを一瞥する。

「選べ」

からん、と音を立てる下駄。
ひらり、と靡く羽織。
ちゃき、と鍔を鳴らす刀。

「次は、何処がいい?」

その羽織に、"十二"の文字が見えたのは、幻覚だったのだろうか。




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