道外れの機械人形

「ん、このぐらいかしら。鉄裁さん、・・・は、出掛けてるんだったわね」

小皿に取り分けた獅子唐を一口齧り、鉄裁を呼ぼうとして彼女は一人肩を竦めた。
朝一番に、真子が現れて、喜助と鉄裁を連れ立って何処かへ出掛けていった。
鉄裁も伴っていたということは、仕事の話だろう。

彼が喜助だけを呼ぶときは呑みの誘いであることも多い。そういうときは、喜助がげんなりした顔をして仕方なく着替えているから、すぐに分かる。
以前に他のメンバーでは駄目なのかと訊ねたときは、真子は眉を思いきり寄せて、『アイツ等はアカン。長髪かグラサンか目付き悪いヤツやで?綺麗なオネェチャン寄ってけぇへんやん』と手をヒラヒラさせていた。

『その点、コイツやったら、へらへらしとるだけで警戒されへんし、狙っとる娘も盗られる心配もないやろ』

『盗られる・・・?』

風華が首を傾げると、真子は喜助の首に腕を回して、からからと笑う。

『このアホは風華しか見とらんっちゅーことや』

『・・・悪いんスか』

『なんで怒んねん。仲ええなァってゆーとるだけやろ』

『ていうか、分かってるなら止めてくださいよ。風華以外の女性からお酌されたって、全っ然、呑む気にならないんスけど』

『ほらな。風華以外の女はみーぃんなアウトオブ眼中やねんて』

『あら、嬉しい』

喜助がそう苦々しげに話してからは真子も控えてくれているようだが、それでも未だにお誘いはある。

もし夕刻になっても鉄裁しか戻らなかったときは、そういう可能性も考えておかなかればならない。
幸い、今夜の肴は茄子と獅子唐と苦瓜の煮浸しだ。丸二日ほど、甘めの汁に刻んだ唐辛子とともに漬け込まれたそれは、冷蔵庫で冷やしておくものだから、帰りが遅くなっても問題はない。彼の呑みに付き合わされた後は、『呑んだ気がしない』と必ず家で呑み直すからだ。

他にも火を通さずに済む肴をいくつか用意しておくべきか。
冷蔵庫を開けてみたものの、野菜も肉もちょうど切らしている。味噌が残っているので、これに挽き肉と混ぜ合わせて肉味噌にでもしようか。

空も高くなり、着々と秋を向かえているのだろうけれど、
まだまだ陽射しは厳しく、夜も涼しいと言い難い。
体を冷やす作用のある夏野菜の野菜スティックなら、多少食べていたとしても胃袋は受け付けてくれるだろう。
それにどうせ今日は八百屋に寄る予定なのだ。先日買いに行った際に「浦原さん、これはオマケしときますよ」とこっそりと八百屋の主人から譲り受けてしまったのだ。
お陰で大量に漬け込むことのできたその煮浸しの一部を、八百屋へ持っていこうと思っている。晩酌のお伴にでもしてもらえればいい。
浸るぐらいの汁と、野菜をある程度タッパーに取り分けて、保冷剤と共に風呂敷にくるむ。

「これでよし、と」

緑と白のストライプ地のエプロンを外していると、ぎし、と床板が軋む音がしてそちらを振り返る。

「あら、雨ちゃん。どうしたの?」

台所の戸口におずおずと黒髪の少女が顔を覗かせている。
風華が声を掛けると、彼女は手にしていたスケッチブックにつらつらと文字を書く。

『いそがしい?』

掲げられたその文字に目を走らせつつ、風華はふわりと微笑んで首を振る。

「いいえ、ちょうど手が空いたところよ」

彼女は頬を染めてから、さらにそこへ文字を書き連ねる。

『本のつづき、読みたい』

「あらあら、もう読んじゃったの?気に入ったのね」

風華がその黒髪を鋤くように撫でてやると、少女はスケッチブックをぎゅっと抱き寄せて恥ずかしそうに俯いた。

十二色のクレヨン達と一人の少女が織り成す色彩鮮やかなその物語は心が温まる作品なのだが、時に心踊らせる展開や手に汗握る展開もあり、はたまた呆れ返ってしまったりと、童心に還ったような楽しさがあり、店番の合間に少しずつ風華も読み進めている。
ついつい店先で熱心に読み耽っていて、背後から覗きこんだ喜助になかなか気付かなかった際に『アナタのそういうところ、嫌いじゃないですよ』とくつくつと笑われてしまったことは、一刻も早く忘れたい出来事だ。
そのシリーズは店に来る子どもにせがまれて少しずつ買い足してはいたのだが、まだ続きは置いていない。
児童文学なのだから、このぐらいの歳の娘が熱心に読むのは良いことだと思う。いや、児童文学に限らず、本に興味を持つことは大事だ。知識が増えるとか、漢字の勉強になるとか、そんな難しいことは考えなくてもいい。
ーーーー"想像力を養う"
ただ一言、これに尽きる。
子どものうちにたくさん読んで、自由に空想の羽根を広げればいい。
世界は狭いとか、壁がどうだとか、そんなことは大人になってから考えればいいのだ。

だから、雨がこうして本を読んでくれることが、風華にとっても喜ばしいことであった。
先日の辛いことを、一時でも忘れられるのなら尚のこと。
特に、彼女の" 傷"には時間が必要だ。

「でもね、今はその本の続きがないの」

「・・・、」

風華は、立て膝をついて雨と視線の高さを合わせる。
ここにない、と言われた少女は、途端に眉尻を下げて今にも泣きそうな顔になる。

「だから、お買い物、行きましょ?」

「・・・っ!・・・!!」

勢いよく顔を上げた少女は首を懸命に縦に振って、ぱたぱたと部屋へと戻っていった。

おそらくメモ帳を取りに行ったのだろう。
家では書きやすいように、大きなスケッチブックにしているが、出掛けるときは掌サイズのメモ帳で筆談を交わすようにしている。



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