道外れの機械人形

その日、一人で歩いていたことを、彼女は深く後悔した。

数日前に、馴染みの商店から"新しい服のセールをするので如何ですか?"といった葉書が送られてきていて、それを目当てにひよ里を誘って出掛けた。
赤ジャージを着用しているひよ里にぎょっと目を見開いたものの、店員は愛想良くしながら風華に新作の衣服を進めてくる。今回はそれほど引かれるものもなく、「また来ますね」とだけ告げて店を後にした。

商店からまだ離れた公園に差し掛かったところで、足元から這い上がってくるような寒気を覚える。

よりによってひよ里と別れた後だなんて。

だが、風華はそれを無視した。
素通りすれば気付かれないはずだ。

「オマエ、ミエテルナ?」

だが、巨大な仮面がのそりと覗き込む。
低くおぞましい声が轟く瞬間に、風華は後方へ飛びすさる。

「ウマソウダナ・・・喰ワセロヨォ!」

ーーーー愉快犯か。
涎を垂れ流してクチャクチャと口許を歪めるそれに、忌々しげに一瞥を呉れて、彼女は簪を引き抜いた。

「謳え、君影!」

しゃらん、と鈴の音が軽やかに響き、簪は白い刀へと姿を変える。片膝を着き、その刀身を地面に突き立てて印を組む。

「残念だけど、あなたにあげられるものなんて、霊子一つないわ」

「ナンノ真似ダ・・・?」

辺りに白い花が咲き乱れ、薄靄が辺りに満ちてゆく。じわりじわりと染みてゆくその花の毒は、脳を麻痺させ、体の自由を奪う。
すっと刀を構える。
毒が回りきるまでの時間を持たせなければならない。
戦闘は不得手ではあるが、しばらく持たせれば、今の地区担当が現れるだろう。
それまで注意を引ければいい。
その後は、毒も回って弱った虚の討伐をその隊士に任せて彼女は撤退するだけだ。

「ゲヒャヒャヒャ!小細工シテモ無駄ダゾォ!?」

虚は耳障りな下卑た嗤い声を上げて、腰から伸びた尾っぽのような物を伸ばして叩き付けてくる。
彼女がそれを避わす度に、白い花弁が空気中に霧散する。
霧散したそれは、見えない毒となり、少しずつ虚の体を犯してゆく。
地面に倒され霧散した花が十を超えた頃。

「口を閉じなさい、・・・穢らわしい」

風華は叩き付けられたそれを避けずに刀身で強く弾いた。
ぐらり、と巨体が傾ぐ。
毒の回りは十分だ。
これなら、彼女一人でも始末出来る筈だ。

「・・・ナンダッ!?」

たん、と地を蹴って高く舞い上がる。

「お別れね」

耳の奥で、遠く刻まれた声が蘇る。

『滅するときは、必ず一息になさい。
それが、引いては貴女自身を護る術となるのです。』

両親亡き後、泣いている暇はないのだと、多忙な業務の合間を縫っては剣術を指南してくれた、今は会うことすら叶わぬ人。
ーーーー大丈夫です、烈姉様。
ーーーー貴女の教えを、忘れるはずもありません。

空中で旋回し、その脳天を叩き斬るべく刀を降り下ろす。
そのまま、一閃して、勝負は着くはずだった。
しかし。

「・・・て、」

何かが聞こえた。
微かな、小さな声が。

「ヒャハハッ!!コレデモ、キレルカ!?」

虚が口を開ける。
その中から、こちらに手を伸ばしている、血塗れの少女。

「ーーーーーッッ!?」

寸でのところで、刀の軌道を逸らす。
虚の仮面を斜めに削いだものの、それは致命傷には程遠いものだった。
虚は顔を覆いつつ、口に含んだ少女を吐き出す。
血みどろの体がべちゃり、と地面に吐き捨てられた。
風華が少女を抱き起こすと同時に、虚の姿がゆらりと霞む。

「ヒヒッ、オマエヲ喰ウノハ、マタ次回ダ・・・!」

「・・・っ、待てっ!!」

叫び声を上げるが既にそれは姿を消していた。
下唇を強く噛み締める。
あれを野放しにしてはいけないと、脳がけたたましく警鐘を鳴らす。
すぐにでも追跡する必要があった。
だが、それ以上に、今目の前で消え逝こうとしているこの命をどうにかすべきであった。
半身は既に食い千切られており、まともな転生が出来るとは思えない。かといって、見殺しになど出来よう筈もない。

「お願い、生きて・・・!」

焼け石に水と知りつつも、消えゆく命に抗うように彼女は鬼道を施す。
流れてゆく血は止まらない。
風華の白い衣がその血に染まり、紅の衣へと姿を変えてゆく。

ーーーーどうしたら、どうしたらいいの!?
ーーーー誰か、お願い、

「風華ッ!」

「喜助さん!?」

今まさに助けを求めようとしていた人物の声に、はっとして風華は顔を上げた。

「何があったんですか!?」

白いワンピースが血に染まっていたからだろう。
喜助は駆け寄るなり、風華の腹に手を当てて傷の具合を探ろうとする。
どうしてここに、という言葉を飲み込んで、風華は血に染まった少女の体を抱き抱える。

「私は平気!返り血よ!それより、この子を・・・!!」

「これは・・・」

風華の腕の中の少女の体に目を走らせるなり、喜助は渋面を浮かべた。
やはり助ける方法など在りはしないのか。
ぎり、と彼がその奥歯を噛み締めた音が響く。

「聞こえますか!?」

「・・・、ぁ・・・」

少女の眼は既に何も映さずに空をさ迷っている。
その眼の中に無理矢理自身を収めるように、喜助はその血塗れの頬に手を添える。

「アナタを助ける方法はある。けれど、アナタはこれから先、輪廻の環を外れて生きることになる」

その言葉に弾かれたように風華は顔を上げる。
今、彼は『輪廻を環を外れる』と告げたのか。
しかし喜助は、彼女の方を見向きもせずに少女の眼を覗き込んでいる。

「人としては、・・・もう、二度と生きられない。それでも、構いませんか?」

「・・・生き、た・・・」

諦めきれずに施し続けた風華の鬼道のお陰が、少女がか細い呼吸の中で、その意を示す。

「死、ぬの、は、・・・いや・・・!」

「・・・分かりました・・・」

瞬歩で店に戻ると、喜助はすぐに研究室へと籠る。
鉄裁が何度か呼ばれて、慌ただしく時間だけが過ぎてゆく。
風華に出来ることは、ただ、少女の無事を祈ることだけだった。
手を組んで、じっと、待っていた。

何時間、経過したのだろうか。

まだ長いはずの陽射しが、地平線の彼方へと姿を消し去った。
薄闇に虫の音が鳴り響き、彼等もひっそりと眠りについていった。
欠けた月が上空にぽっかりと浮かび上がり、また少しずつ地平線へ近付き始めた頃。
漸く、喜助が居間へとその姿を現せた。

「喜助さん、」

「・・・大丈夫ですよ」

そんなに心配しなくても、と風華の頭をぽんぽんと撫でつつ、喜助はどさりと腰を下ろした。

「すぐにお茶を用意しますね」

「うん。・・・出来れば多めに用意しといて」

「はい、」

「今夜の話は・・・長くなると思うから」

そう告げた彼の瞳が暗く陰っていて、風華はなんと声を掛けるべきか分からず、そのまま逃げるように台所へと身を翻した。
ーーーー私には、何も出来なかった。
そんな自身に、嫌悪感を抱きながら。



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