道外れの機械人形

店先に置いてあったスケッチブックの冊数も残り少ない。
出掛けるついでに新しいものを買い足しておくべきだろう、と風華は切り取った買い物メモに追記する。

今のところ、それが唯一、少女の意思を確認出来る手段なのだから。


ーーーーあの日、長い、とても長い話を終えた喜助の表情には疲労と、それから後悔の念がありありと浮かんでいた。かといって、風華にはそれを宥める手段も術もなかった。
ただ、彼の話を聴くことしか出来ない。
しかし、彼女がそれに思い悩んでいる時間はなかった。

目覚めた少女の口から、名前を聞くことすら、出来なかったからだ。

『ーーー失声症?』

『・・・ええ、おそらく』

恐らくは虚に襲われたときのショックだろう。
精神的なものであることは間違いなく、故にどの程度で回復するかなど皆目検討もつかない。

『どうされますか、店長?』

『どうもこうも。あの義骸を使ってしまった以上、彼女はもうアレと同化してしまって、抜け出すことも出来ない。ここに居てもらうしかないでしょう。例え、彼女が"嫌だ"と言ってもね』

喜助は吐き捨てるようにそう告げて、『悪いけどボクは先に休むよ』と部屋を後にした。
本当は彼が最も堪えていることは知っている。
また救えなかった、と。
そう悔やんでいることには、風華も鉄裁も気付いていた。
気付いていたからこそ、声を掛けることもせず、追い掛けることもせず、ただ黙したまま座っていた。

かた、と小さな音がして、振り返れば隣室で休ませていたはずの少女がおずおずと顔を出している。
そうだ。今最も不安を感じているのは誰でもないこの少女だ。

『大丈夫よ、こっちにいらっしゃい』

戸口に立ったまましばらく風華と鉄裁の顔を交互に眺めていたが、風華が手招くと、少女が近寄ってきて隣に座った。
座るなり、風華の掌に指を滑らせて、何やら文字を書き示す。それが、名前だと気付いたのは、指が三度同じ軌道を辿ったときだった。

『ウルル殿、これをどうぞ』

そのやり取りを静かに眺めていた鉄裁がその時に差し出したくれたそれは、店先でうっすらと埃を被り始めていた画材用具だった。

以来、雨とのやり取りはこうしてスケッチブックを使っての筆談となった。
最初こそ、時間と手間のかかるやり取りに思えたが、慣れてしまえばそれほど苦を感じるものではなくなっていた。

一日足らずで使いきってしまうそれは、先日まとめて発注をかけたばかりだが、もう使いきってしまうようだ。
それは雨が少しずつ家に居場所を作り始めたということである。

しばらくして戻ってきた雨は、肩から斜めに鞄を掛けていた。
風華は「今お茶を用意してるから少し待ってね」と水筒に冷えたお茶を移す。少女は鞄のたすき部分をぎゅっと握り締めてこくこくと頷く。
そのとき、がらがらと引き戸が開かれる音がした。

「風華ー!邪魔すんでー!」

「ひよ里ちゃんだわ。どうしたのかしら」

「・・・?」

雨と顔を見合わせて首を捻りつつ、二人揃って玄関へ向かう。

「なんや、今日休みかいな」

「ええ、そうなの」

『臨時休業』の貼り紙に今さら気付いたらしいひよ里の「いつも休みみたいなモンやろ」という悪態は聞き流す。

「どうしたの?喜助さんに用事?だったら、朝、平子さんと出掛けたきり、まだ戻ってきてないわ」

途端に彼女は眉を寄せてあからさまな顰めっ面を作る。

「ここにも居らんのかいな、あのハゲ」

「何か伝えておくことある?」

「え?あー、ちゃうねん。ウチが探しとるのは真子のハゲや!アイツ人にモノ頼んどいて自分はどっか行くてどーゆーことやねん!」

地団駄を踏み出したひよ里に、びくりとした雨が風華の背中にしがみつく。

「きっと平子さんも忙しいのよ。それよりひよ里ちゃん。このあと暇?」

「は?なんで?・・・なんや、二人してどっか行くんかいな?」

鞄を持った二人の様子にようやく目をとめたひよ里が、はたとその動きを止める。

「ええ。ちょっと隣町の書店まで。良かったら一緒に行ってくれないかしら」

何かと賑やかな友人が居てくれると場も和むだろう。
それに帰宅した彼に、"雨を連れて二人だけで出掛けた"と報告するのも少々気が引ける。

「ええで。どーせ暇やしな」

「ふふ、ありがと」

暇潰しと言わんばかりとは裏腹に楽しげに口許を緩めている友人を眺めて、風華はくすくすと笑っていた。




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