鈍色の歯車

「喜助さん、落ち着いて!」

彼女が羽織を強く引くが、それでも男の上から退くことができない。

「店長!?何をなさっておいでですか!?」

騒ぎを聞き付けた鉄裁が居間に来るなり、血相を変えて、喜助の腕を引き剥がそうとする。だが、これでも、元隊長を担っていたのだ。力比べでそうそう負けるはずもない。
腕を振ってそれを払い、男の首に体重を載せる。

「見れば分かるだろう、この男の命を奪おうとしてるだけだ」

「・・・がっ、ぅあッ!」

男が泡を吹き出した。
このまま力を込め続ければ息の根を止めることが出来る。

「何を馬鹿なことを!喜助殿!気は確かか!!?」

ぎりぎりと締め上げるように喉元に力を込める。

「アン、タが、・・・っ、」

「・・・?まだ、喋れるんスか。しぶといな」

「そん、な、・・・から、・・・ほし、い、も、・・・の、・・・とつ、も、いえず、に、・・・だろ、」

「余程、死にたいらしいな」

何が欲しいもの、だ。まるで自身の方が彼女を理解しているような言葉をぬけぬけと。こんな汚ならしい口はすぐに閉ざさなければならない。

「店長!」

「喜助さん!止めて!!もういいからっ!これ以上、」


ーーーー貴方を、責めないでーーーー


ぽたり、と畳を打つ音が、聞こえた気がした。
それは静かに胸の内に響き渡っていった。


「・・・、」

ゆっくりと喜助が体を起こすと、背中からぎゅっと抱き着かれる。
床に転がったままの男が、げほげほと激しく噎せ返っている。鉄裁が男の体を必死に揺すっている。どうにか息を繋いだようで、「桑折殿!ご無事かッ!?」と叫ぶ鉄裁に片手をあげて答えている。まだ喉を抑えたまま呼吸をするのに忙しいようだった。
しばらく酸素を取り入れていて、そのまま放心したようにこちらを見上げていたが、鉄裁に引き起こされて、はたと我に返ったらしく、がばりと身を起こす。

「申し訳ないっ!!」

畳に擦り付けるようにして、彼は頭を深く下げた。
だが、喜助は彼が体を起こす前に、背中を向けていた。とてもまともに見られないという自信があった。そちらに、向き直ることも出来ずに喜助は背中を向けたまま聴いていた。

「桑折殿、」

「俺の勝手な勘違いで、興味本意で、ご両人を傷付けたことを、誠心誠意詫びる。本当に、悪かった」

そのまま身じろぎひとつせず、彼はじっとしていた。
おそらく、顔をあげていい、と言われるまでそうしているつもりなのだろう。だが、今の喜助には彼のことを気遣う余裕など在りはしなかった。
しん、と静まり返ったまま、誰も口を聞かずにいた。
かち、こち、と秒針の触れる音だけが響く。

「・・・彼女は、」

何かを言うつもりはなかった。
ただ、急激に冷えた頭はまだ回路が定まらないままで、言葉だけが滑り落ちてゆく。

「彼女は、ボクのすべてだ」

どうして、そんなことを口にしてしまったのかは分からない。ただ、滑り落ちた言葉が、鼓膜に届いて、改めて理解した。
風華が、どこか手の届かないところへ逝ってしまうことを、何よりも恐れているのだ、と。

「・・・悪かった」

「風華さんにとっても、浦原さんがすべてなんだろうな」と、そう語った男が動いた気配はない。頭を擦り付けたままのようだ。
風華は返事をしなかったが、喜助を抱き寄せる腕の力を僅かに強めていた。彼にとっては、それは何よりの肯定だった。


一悶着の末、「あとはお二人でお話しください」と気を利かせたのか腹いせなのか、鉄裁が風華を連れて席をたった。
先程あんなことをしたばかりだというのに、何を話せばいいのやら。
気を紛らすように、煙管を噴かす。
すっかり日の落ちた闇の中を、白い煙がさ迷う。

「・・・なぁ、浦原さん」

「んー?」

煙管を噴かしはじめた喜助を見て、そろそろ声を掛けてもいいと判断したらしい。本当に人の機微に聡いことだ。

「それだけ互いの存在を大事にしてんのに、どうして風華さんとちゃんと籍入れてやらねぇの?向こうでの失敗が原因か?それとも現世だとやりづらいもんか?」

不服そうに呟く彼は、人相に似合わずどうやら根っからの世話焼きらしい。もともと他人の機微に聡い性格で、さらに風華の様子からも気になって仕方なかったのだろう。
答えずにいれば話は終わるかと思ったが、彼は気にした様子もなく、「思ったんだけどな、」と独り言のように続ける。

「俺が勝手に勘違いしてたけどさ、彼女の『恋しい』や『寂しい』ってのは、待ってるからだろう?アンタからの言葉を」

違うか?とひたりと見据えてくる、漆黒の瞳が鬱陶しい。
こんな直向きさを、疎ましくなるほどの昔に、無くしてしまったせいだろうか。

「・・・さぁ、どうでしょうね」

どう答えていいか、分からなかった。
彼の言う通り、風華が待っていてくれていることは理解している。指輪のことにしたってそうだ。口にはしないが、彼女が望んでいることなど、誰が考えてもすぐに分かることだ。
仮初めでもなんでも、あげればいいのかもしれない。
けれど、そんな不義理はしたくないと思う。すべてを捨てても側に居ると応えてくれた、ただ一人の女性に対して、中途半端なことはしたくないのだ。
それが、嘘や方便であるのなら、尚更。

「意外に不器用なんだな、アンタ」

見計らったようなタイミングで告げられた言葉に、はっとして振り返る。だが、当の本人は、手酌で盃を重ねているところだった。そこで初めて酒が用意されていたことを知った。
同居人に随分と気を遣わせてしまったのだと知る。
まったく、何をやっているのやら。

「生憎と、初めて本気で惚れた相手なモンでね」

彼がもう一方の盃を手渡して、徳利を掲げた。
それを受け取り、注がれた酒を飲み干す。
いやに苦く感じてしまったのは、不健康は心理状態のせいなのか。
指先でくるくると盃を廻して呟く。

「・・・・・・笑いますか?」

「いや」

それだけ言って彼は押し黙った。
また一口含んだ煙を吐き出す。
晩秋の夜の空気の冷たさに、吐く息で一層白い煙が靡いて消えた。

「・・・まだ、時期じゃないんスよ」

「時期?」

「そう。ただ、それだけのことっスよ」

「・・・そうか」


今の答えのどこに満足したのか、彼は「これ以上はまた、アンタの逆鱗に触れそうだから、止めておくよ」と盃を空けた。
彼が帰ってからも、しばらくその場を動けずに、喜助は闇に消える煙の行く先をただ眺めていた。




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