それでは、また明日 | ナノ
 煤けむり

 

「やはり気にかかるか?」

立ち寄った茶屋で、もう幾度目か店の入り口を振り返る永倉へ向け、土方は問いかけた。

「心配し過ぎだ。もう目の離せぬ歳でもないだろう?」
「………」

少ない口数をさらに減らし、永倉は口を開かぬまま土方を見やる。

「すっかり父親の顔だな。牛山、行ってやれ」

声に、やれやれといった様子で牛山が席を立つ。山のような背が暖簾を潜って出てゆくと、永倉は冷めた茶を一口含み、ようやくぽつりと声を発する。

「……あれでも、大事な娘です」
「そう思うのなら偶には本人に言ってやればいい」
「………」

娘が言うところのしかめっ面で応えた永倉を目の端に、土方は先刻から黙々と団子を噛んでいた家永へ水を向けた。

「聞いていたか家永。下手なつまみ食いならやめておくことだ」
「――つまり、本気ならば許されると」
「……そうは言っとらん」

苦い顔をした永倉がまた何か言いたげにこちらを見たが、そしらぬ振りで土方もぬるくなった茶を啜った。





**********





忽然と姿を消した軍服の男と、それを追って行った書生の様な格好をした娘。その両方を探し、牛山も土方等から離れ夕張の町を歩いていた。町の者に訪ねて回るが、そうこうするうち、見つけるよりも早く娘の方が牛山の前に現れた。
姿を見つけるなり、名を呼び真っ直ぐ駆け寄ってくる。

「戻らんから探しに来たんだ」
「すまない。手間をかけた」
「見つからなかったのか」

近くに尾形の影がないことを見て声をかければ、娘は「見つけるには見つけたんだが、」と目を泳がせ、言い難そうに頬を掻いた。

「目を離した隙に逃げられた」
「…何やってんだ」

言えばぐっと言葉に詰まる。

「まぁいい。さっさと連れて戻るぞ」

どの辺りで見失ったのかと娘が言う地点まで戻り、再び尾形の足取りを追った。
度々女と話し込み足を止める牛山を、時折見かねた娘が苦い顔で連れ戻しにやってくる。そんな事を続ける内、娘からあっと声が上がった。どうやら違ったらしいが、娘は身振りを混じえ尾形よりも背の低い軍服の男が急いた様子で走って行ったと語った。

「第七師団絡みなら尾形もいるかもしれん。行ってみるか」

振り返った牛山に娘が大きく頷く。こっちだ、と先導し軽い音をたて駆けてゆく後を追う。
だが開けた場所に出たと言うのに今度は娘を見失った。

またどこへ行ったもんか。
牛山が辺りを見回したその時、側の線路を過ぎ去ってゆくものがあった。尋常ではないのが一目で知れる速度で駆け抜けたのは一台のトロッコだ。なぜか中に白い獣の姿を見たように思い、見間違いかと目を擦った牛山の脇をもう一台が抜けていく。そこに知った男達の後姿を認め、牛山の中に確信が生まれた。

あっちか。

行き先を定め足を向けたその背後から呼び声がかかる。

「牛山!?今尾形が何か、何だ!?走る箱のような物に乗ってたぞ!?」

まろびでるようにして、不可思議なものを見た顔で娘が走ってくる。

「トロッコだ。俺も知った顔をみかけた。あれに乗ってたんなら行先は炭鉱だな」
「……そうか、炭鉱か…!」

何を思ったか、その顔に隠しきれない喜色が浮かんだのを見て、やれやれと牛山は息を吐く。
若いやつはどいつもこいつも。





********





山が揺れた。
地を震わせた重い地響きに、そこかしこから集まってきた人々が、大非常だと口々にさざめき立てる。
地震ではないのか。今の揺れが何だったのか、この地に住む者には容易に知れるらしい。
佐久楽は息を呑み、急に柔くなったように感じた地面がきちんと固いことを確かめると、「急ごう牛山」と声をかけ地を蹴った。

板を抱え走ってゆく男達に紛れ辿りついた坑道は、その口から朦々と煤けた煙を吐き出していた。
嫌な臭いが鼻をつく。辺りには担ぎ出されてきた者や、命からがら逃げだしてきたといった様子の者がたくさんいた。

消火だと叫ぶ声にぞわりと背を悪寒が這う。
出入り口であるはずの穴には速やかに板が打ち付けられ、僅かな隙間にも粘土が詰まり、見る見る内に塞がれていく。
そこから目を離せないまま、佐久楽は隣へ問いかけた。

「もう、中に人はいないのか…?」
「さぁな。いても関係ねぇんだろうぜ」
「それは………」

言葉を失くし、次いで顔色も失くして牛山を振り仰ぐ。

「尾形が、中にいるかもしれない…」

言って駆け出そうとした佐久楽の腕を牛山が掴む。重々たる貫禄が窺える顔は落ち着き払い、眉一つ動かない。

「離せ牛山」
「やめとけ。いた所でどうにもならん」
「……だが…」

今行っても死ぬだけだと言われ、隙間なく閉じられた坑口へ目を向けた佐久楽の顔が歪む。
煙でも吸い込んだだろうか、息がし辛い。

「どうした?」
「…いや……どうもしないが…」

牛山が怪訝な顔をするのに首を振る。
指先から血の気が引いてゆくようで、体中が冷たくなるのに合わせ冷汗が頬を伝うのを意識した時、後ろで声がした。

「俺ならここだ」

揃って振り返った二人に、また呆れとも疲れともつかない表情をして尾形が煤けた髪を撫でつけた。






*******





「尾形ッ!」

予想してはいたが、脱兎のごとく駆けて来た娘は、何のためらいもなく尾形の胸倉へ掴みかかった。
呆れるほど奥ゆかしさや慎ましさの類と無縁のその口から、矢継ぎ早に自分への叱責らしきものが繰り出される。九割程を聞き流していれば、聞いているかと娘が吠えた。

「お前は馬鹿か!下手したら死んでいたぞ!!」
「……だからなんだってんだ」

思ったことをそのまま口にすれば力いっぱい揺さぶられ、脳みそごと頭が揺れた。
何をそんなに怒ることがあるのかと冷やかに見返す尾形へ向け、青筋を浮かべた娘がまた何事かを喚く中、定まらない視界に遅れてやってきた牛山が映る。

「無事だったか」
「…まぁな」

他所見をすれば尖った視線が突き刺さる。揺さぶる手は止めたものの、詰め寄り睨み上げるその顔を押し返す尾形の腕に抗いながら、娘はまだ胸倉を締める手を緩めない。

「だからあれ程ふらふらするなと言ったろう!どうしていなくなったんだ尾形!」
「………噛まれたかった」

束の間考え答えた尾形に、娘が絶句した。次の文言のため開いた口を開け放したまま、またあれこれと頭の中を廻る考えが、その顔から透けて見えるようだ。

「っう、嘘をつけ…!」
「次に姿を消したら噛むと言ったのはアンタだろう」

青ざめ、娘は牛山を振り返る。

「聞いたか牛山!とんだ嗜好の持ち主だ!」
「…いや、お前ら何の話をしてんだ…」

ニヤつき「なんだ、やらねぇのか?」とその顔を覗き込んでやれば、「物の例えだ!」と娘はようやく尾形から手を離した。

「そうカリカリするなよ」
「これがカリカリせずにいられるか!!」

いつもに増して喧しく吠えたてる娘が、八つ当たりのような勢いで尾形の顔についた煤を袖で拭う。これだけ汚れてりゃ一緒だろうに。好きにさせながら、すっかり呆れた様子の牛山へと視線を投げる。

「杉元達はどうした」
「分からんが、坑道の中にはいた筈だ」

その時、蓋をされた坑口の方からどよめきが上がった。
板を打つ音が聞こえ、「中に誰かいるぞ!!」と叫ぶ声に引き寄せられるように牛山がそちらへ足を向ける。
猛牛さながら、頭から立ち塞がる板へ突っ込みぶち破った牛山は、その両腕に煤まみれの男二人を抱えて戻ってきた。

「流石だな…」

感じ入った様子で娘が呟く。
そこに担がれているのが杉元だと見るや、尾形は「行くぞ」と顎をしゃくり歩き出した。



/


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -