それでは、また明日 | ナノ
 春日和



高く、天を目指すように飛びゆく雲雀の姿に、あぁもう春なのだと思った。

おそらくこの地は既に冬に別れを告げたのだ
随分長く仕舞われずにいた火鉢は、物置へ押し込められるその間際まで尾形が渋っていたと聞いた。
牛山は一人で修練に出ている時間が延び、時折表の方から女と吠える太い声が聞こえてくる。暖かくなってきたせいか先生は腰が痛むとボヤいているが、家永や夏太郎達は概ねいつも通りだ。
土方さんは、空を見上げていることが増えたように思う。

真似るように見上げた空は、裾を僅かにけぶらせ、天辺に向け段々と青を濃くしていた。
日差しはもう次の季節が訪れたことを告げている。


一通りの家事を終え、手すきになった佐久楽は刀と小さな木箱を手に廊下を行く。陽の光で温められた床板を踏みしめる度、足元から伝わる柔らかな熱に気分までがふわふわと浮足立つようだ。
頬にかかる髪を揺らした風はまだ花の香をのせてはいなかったが、ひんやりとして気持ちが良かった。
向かう先は土方のいる、庭に面した廊下だ。

今日は土方さんが一日家にいるのだと、それだけで佐久楽の胸の内にも春風が吹く。
外に出かけるときにお供するのももちろんだが、のんびりと過ごすその傍で同じ空気を共有していられるこの時がいっとう好きだ。

窺うように後ろから覗き込んだ佐久楽に気づき、土方は新聞をなぞっていた目を上げた。
目礼した佐久楽に向け土方が小さく頷く。
その椅子の足元、いつもの定位置へつこうとして初めて、そこに尾形の姿もあったことに気づいた。
影に隠れて見えていなかった。俯く顔を見てみれば、目を閉じ眠っている風である。胡坐をかき背を丸めたその隣で、音をたてぬようにそろそろと足を畳んだ。

微睡んで居ただけだったのだろうか。気配を感じてかうっすら目が開く。ゆるり、と動いた目は佐久楽の膝辺りまでを確認しただけですぐに閉じてしまった。
珍しいなと伏せた瞼を視線がなぞる。闇を映した丸い瞳は、常ならば用心深く周囲の動向を探っていて、これほど気を緩めている姿などそうそう見れるものではない。
これもこの陽気が運んできたのか。腿の隣へ置く刀の手入れ道具をしまった小箱を開けかけた佐久楽だったが、そこで確かになと一つ欠伸を漏らした。

陽の当たる廊下はぬくぬくとしていて、座っているだけで眠気を誘う。
ふと視線を感じて振り向けば、一対の目がこちらを見ていた。刃のような鋭さを持ち合わせたその目の奥が、今は少し緩み柔らかに佐久楽の姿を映していた。

訳もなくどぎまぎしながら、佐久楽はその少しばかり色の薄い光彩へ視線を返す。
と、その目がすいと佐久楽の手元へ向いて、意を汲んだ佐久楽は刀を鞘ごと差し出した。
受け取った土方がすらりとそれを抜く。高く翳せば、刀身が陽を浴びてチカリと眩しい光を弾いた。
口元へ薄い笑みを浮かべ、内に静かな火を灯した目はゆっくりと刃文をなぞる。

永倉から譲り受けたその刀は、驚くほど綺麗な直刃で、きっちり境界を決め線を引いたかのようなそれが佐久楽は気に入っているのだが、こうもまじまじ見られるのは落ち着かない。
何かおかしなところがあっただろうか。声を発しかけたその時、土方は高く短い音を立て刀を鞘に納めると、何を口にするでもなくそれを佐久楽の手へ戻した。

何だったのかと顔に浮かんだ戸惑いの色を見透かしたようにその目が柔らかく笑んで、妙な気恥ずかしさと嬉しさと、ない交ぜになった思いに頬が熱くなる。
土方がまた新聞の方へ戻ってしまったので、ぱたぱたと顔に籠る熱を手団扇で逃がし、佐久楽は刀の手入れに戻ろうと小箱を開けたが、そこでふと気づいて右を見やれば、これまた真意の分らぬ目が佐久楽を見つめていた。

呆れていたのかそれとも単に眠たいだけなのか、半分がた開いた目と目が合ったと思ったが、あちらはどうという事も無く、何も映していないかのようなぼんやりした瞳でしばし佐久楽を眺めた後にまた瞼を伏せる。

……何だというんだ。

やはり寝ていたわけではないのか。そうも思ったが、それきり隣の男は微動だにしない。それどころか段々と無表情が緩んできた。

そもそも、寝るのか。尾形も。

当たり前だろうが、こうも隙だらけな姿など初めてだ。眺める横顔はどこかあどけなく、幼子のそれと遜色ないことが酷く意外だ。難しい顔をして眠りそうな男なのにな、と佐久楽は手元へと視線を落とす。
融通など下らぬと突っぱねそうな程真っ直ぐに伸びた刀の刃文に沿って視線を流し、一つ息を吐くと今度こそ手入れに取り掛かった。

だがいくらも経たぬうちに、布団に包まれている心地になってくる。
暖かい。暖かい。暖かい。眠たい。
唇を真一文字に結び、船だけは漕ぐまいと手早く粉をはたいてゆく。仕上げに丁子油を引いた刀を鞘へと収めて、ようやく肩に入っていた力が抜けた。
そんな佐久楽の葛藤など知る由もなく、縁側を取り巻く陽気は締まりもなくふわふわと漂い続ける。

―――あぁ。…平和だ。とてもなだらかだ。
なんだか本当に現かと疑いたくなる。
そんなことを考えた時、ふと目の前を横切ったものに佐久楽は視線を上げた。

蝶だった。
一匹のカラスアゲハが、ひらり、ひらりと、濡れ羽色の羽を青緑に煌めかせ、波を描いて飛んでゆく。

そのままどこぞへ飛び去るかに思えた蝶は、何を思ったかくるりと身を返すと、ある一点に舞い降りた。

尾形の頭だ。

目を皿のようにしてその一部始終を見つめていた佐久楽は、不意打ちのようなそれに、思わずふはっと息の塊を吐き出した。
肩が震える。こみ上げる笑いを堪えつつ、髪飾りのようになってしまった蝶を指し土方を振り返るが、そこで佐久楽の目は再び丸くなった。

見上げた先では、土方までが気持ち良さそうに目を閉じていた。開いたままの新聞を乗せたその胸がゆっくりと上下するのに、くすりと笑みが零れる。
深呼吸でもするように羽を動かしていた蝶は、やがてふわりと飛び上がると、気ままな風に乗って行ってしまった。

むずがゆいような胸の暖かさと凪いだ日和に改めて目を細めた時、廊下の奥からやってくる足音があった。
振り返れば、丁度永倉が同じように春の庭に目元を緩めていた。けれどすぐに常にはない廊下の様子に気づき、点々と並ぶ三人へ順繰りに視線を落としていく。そんな永倉を手招いた佐久楽は、屈むよう着物を引いて、下りてきた耳に顔を寄せた。

“今日はとても良い日です”

内緒話をするように、口元にあてた手の陰に声をひそめて告げる。
こちらを向いた永倉に目を合わせ、佐久楽はいたずらっぽく歯を見せて笑った。



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