それでは、また明日 | ナノ
 宵張月

 

「出るぞ。全員だ」

遅い春を迎え、草木が若葉を青々と繁らせる頃、徐に土方が切り出した。
告げる声に佐久楽はぐるりと部屋を見渡す。居並ぶ面々はこの幾月ですっかり馴染んでしまったものだった。


靴紐をきつく結び直し立ち上がる。この旅はどれほどの長さになるものか。
必要な物だけを纏め上げた少ない旅の荷を背負った所で、珍しく直々の呼び出しを受けたらしい亀蔵と夏太郎が、揃って廊下の奥から顔を見せた。

「行くのか?」
「あぁ。お前たちは留守番だったな」

そうだと頷いて上がり框に立った夏太郎が佐久楽を見下ろす。

「こっちのことは心配すんな」
「気をつけてな」

落ち着いた声音で告げるのは亀蔵だ。
お前たちこそと言った佐久楽に、任せろよと夏太郎は胸を張ってみせた。



夕張。一昨日、夕餉の折に土方が皆を集め告げた地名は佐久楽も耳にしたことが有るものだった。
牛山が言うにはそこは炭鉱の町らしい。炭鉱、と聞いてもいまいちピンとこないが、要は石炭が採れるということのようだ。海で漁師が鰊を揚げるように、炭鉱でもそれを生業にする者が石炭を採っているのだろう。
中は迷路のように入り組んでいるのだと牛山は語る。

「ここ何年かで急成長した町だな。その近辺に囚人の情報は無かったと思ったが」
「第七師団に動きがあった。それほど多くは無いが、数人の兵が頻繁に出入りしている場所があるそうだ。こそこそ何をしているものか、一度確かめておく必要がある」

先を行く土方の隣に、いつも最後尾を歩いている筈の尾形の背があった。常なら永倉が占めている特等席だ。そうして佐久楽には喉から手が出る程の位置でもある。
漏れ聞こえる会話に聞き耳を立てつつ、並ぶ背を見やっては、そこに在るのが自分の背であればいいのにと重い溜め息を吐く。
それにしても、だ。

「……尾形のやつ、土方さん相手にはよく喋るな…」

他の誰を相手にする時よりも格段に口数が増えるのではないだろうか。まさかあいつも土方さんを…と思い、無いなと首を振る。そうならまずあんな呼ばわり方などしないだろう。あげく佐久楽が土方の話を始めれば、大概興味が無いだの面倒くさいだのとその顔に墨でも入れたかと思う程はっきり書いてある。嫉妬、という線も考え、佐久楽は改めて無いなと首を振った。


旅は退屈とは無縁だった。永倉とはまた違う知識を蓄えた土方や牛山等の話は耳に新しく、道中それに聞き入っていればあっという間に時が過ぎ、驚くほど早く日が暮れた。そうしてこの夜、佐久楽たちが火を囲んだのは、掘立小屋か馬小屋かという簡素な建屋だった。

簡単な食事で腹を膨らませ、明日に備えようと横になったが、いくらも眠らぬうちに目が覚めた。寝直そうにも中々寝付けず、佐久楽はそっと幾度目かになる寝返りを打った。と、不意にぽかりと空いた空間が目に入る。
のろのろと動く頭であそこには何があったのだったかとしばらく考えていたが、尾形の姿がないのだと気付きいっぺんに目が冴えた。
あの場所、確か土方の隣では尾形が眠っていた筈だ。

音をたてぬよう、刀を手に外へ出れば、空には一面の星が瞬いていた。月は明るく、若い木の葉がその明かりを受け淡く光っているように見える。反対に葉が茂るその下は暗い陰に沈んでいた。

―――人ひとり見つけられるのか、こんな…いや、見つけねば。

夜中にふらりと姿を消す理由などそう幾つもないだろう。
小屋からは少し離れた場所で、さてどこをどう探したものかと辺りを見回す。
側の下生えが微かに音をたて、兎でもいたかと葉をかき分けると、家永がいた。
身を屈めた家永と目が合ってしまい、喉の奥でどうにか押し留めた悲鳴を唾と共にごくりと呑み込む。

…いや、気のせいだろう。
頭を振り振り、両に開いた草葉をそっと戻してそこから一歩二歩と距離を取る。下生えから黒い洋装が現れ出ない事を確認し、何も見なかったことにして足早にその場を離れた。
近頃、気付けばあの目にじっと見つめられていたりする。している事は同じでも尾形とはまた視線のタチが違う。たまにこちらを凝視し涎を啜る音など立てられた日には、眠りが浅くなったりもするが、直接に何かをしようとしてくる事は無くなった。

度々振り返り背後を確認するが、家永が付いて来ている様子はなかった。
小屋から伸びる小道を行けば、その脇に探していた姿を見つけ佐久楽は足を止めた。古びた切株の上に尾形の背中があった。珍しく、声をかけずともその頭が自ずからこちらを向く。

「…こんな夜中にまで起き出して来るとはな」

見上げた根性だと言われても、褒められた気はちっともしなかった。






「何をしていたんだ?こんな所で」

問えば、口は開かぬまま尾形は天を指す。

「月か?」

示したのはおそらく頭上の満月だ。
そんな風情を楽しむような奴だとは思っていなかったが。

「丸いと面白いか?」
「………」

訊ねるも、薄く笑むばかりのその口が応えることはない。
何をしている訳でも無いのなら戻ろうかとも思ったが、束の間考えた末に佐久楽は尾形の座る切株の隣へ腰を落ち着けた。
木々の上、開けた濃紺の空をその周りだけ薄い藍色に染めた月は、冴え冴えとして丸かった。
並んで月を見上げながら互いに無言でいたが、先に沈黙を破ったのは尾形の方だった。

「ジイさんのいいつけか」

ちらりと目を向けてみるが、暗い目は夜空を見上げたままだ。

「…私の独断だ。またふらりと何処へ消えたものかと思った」

隣で髪を撫でつける気配。そういえば道中は尾形と一度も言葉を交わしていなかったなと、此処までの道のりを思い返す。
今日だけではない。近頃は丸一日口を利いていない日もザラにあった。尾形が姿を消してばかりだからだ。居間から火鉢が消えると、日がな一日その前に張り付いていた尾形までが揃って姿を消した。
元々さして多く語り合った覚えはないが、こんな風に腰を落ち着けて話すのも随分久しぶりだ。

「尻尾は掴めそうか?」
「どうだろうな」

お前さえ尻尾を出してくれれば話が早いがとぼやく佐久楽に、無いもんは出せねえなと尾形が嘯く。まだ冷たい春の夜風に撫でられ徐々に冷え出した膝を抱え、佐久楽は表情を変えぬその顔を見上げた。

「今日は珍しく喋るじゃないか」
「………」

そう言えば黙るのだ。そうしてこちらを見もしない。

「……お前は、そんなに私が嫌いか?」

呟きにも似た質問に、ハハッと尾形が乾いた声を上げた。

「…何がおかしい」
「だったら何が変わるもんかと思ってね」
「…訊いてみただけだ」

実際、嫌いだと言われた所で佐久楽は変わらず尾形を追うだろう。そこを踏まえた上で、一定でいられる距離を探る筈だ。
居所を、動きを知らせる鈴に。
その指示が覆らない限りは、佐久楽も唯与えられた役目をこなす。
堅苦しいだかつまらんだか、聞き取れない声で尾形が何か言った。

「…常々思っていたんだが、お前本当に軍人だったのか?組織には向かなさそうだが、それで良く軍隊なんて所に居たな」

規律だなんだと決まり事も山のようにあると聞く。それを守っている尾形と言うのにどうにも違和感を感じるが、案外黙々と従っていたのだろうか。

「……そこから疑うのか?」

窺うように小首を傾げたその口元に薄い笑みが乗る。

「これでも割合模範的な方だったぜ。バレねぇよう程々に息抜きもしてたが、それこそ団体行動向きじゃないヤツなんて掃いて捨てる程居たしな」

その口がすらすら言葉を紡ぎ、おおと思う。

「なるほど、ならお前が居たというのも納得だ」
「………」

大勢いたなら様々な人間がいただろう。従順な者も、そうでない者も。

「お前がいたその…何と言った」
「……第七師団か?」
「そう。そこにはどんなヤツがいたんだ」





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