001

願いが一つだけ叶うと言われたら、人は何を願うだろうか?
ありきたりなもので言えば富や名声だろうか。
だけど俺は、実際の所その2つは持っている。
じゃあ信頼のおける友人とかだろうか?
でもそういうものって、こういう他人に対して願って手に入れるものではないと思う。


俺は、願いがない。


思えば昔から、願いを口にする人間じゃあなかった気もする。父さんも「お前は昔から手のかからないやつで……」というも、その後に続くのは「良いやつだった」ではなく「張り合いのないやつだった」と残念そうにするのがお決まりだった。

そんな俺が、16歳の誕生日に、初めてなのではないだろうかとも思えるくらい、大きな大きな願いを口にした。
お陰で誕生日パーティは大賑わい。
それとともに大騒ぎの大事件になった。
それが今どうなったかというと…。





「ヴァルカ、こっちだこっち」

路地裏を走り抜け、表通りにいる巡回の騎士には見つからないように移動する。
背負う剣がカタカタと音を立てそうになるのを、抑えながら移動していたら、背中に向けてひっそりと声をかけられた。
名前を呼ばうその声には少し驚かされはするものの、聞き覚えのある声に安心が勝る。

「ユークリッド」

肩に置かれた手が知らせるものから誘導するものへと変わる。指先でついてくるように示され、ヴァルカは心を躍らせる。もうすでに『始まって』いるのだと。はぐれないように、ユークリッドの後へとついていく。もちろん、音は立てないように。
更に更にと狭くなっていく路地を器用にくぐり抜け、陰る場所が多くなってきたことから、街の外壁に当たる部分が近くなってきたとわかる。わかるだけ。ここまで来るのは初めてだった。
静かに音を立てる水路の前で、先導するユークリッドが振り返った。何時になく、真剣な眼差しで。こちらを値踏みするかのようだった。

「いいか、ここからは『外』だ。何もかもが初めてだろう、お前にはある程度俺の指示に従ってもらう。言われたら、素直に、行動できるな?」
「ああ、善処する」

途端に、ゴツンと痛い音がした。
じわりと頭に熱が集う。

「ってぇ……!」
「『善処』じゃねえ。必ず『そう』しろ。そのために俺がついてくることになったんだ。少しでも『問題』が起こったら、俺はお前を『連れ戻さ』なくちゃならないんだからな」
「わかってる。わかってるよ。お前の『立場』も。オレの『立場』も。でも、でも楽しみじゃんか。少しくらい、無理したりとか、無茶したりとかはアリだろ?」

熱を持った瞳で、じっと見ても、ユークリッドは白けた表情を崩さなかった。
しっ、しっ、と払うような仕草でヴァルカの顔を遠ざけさせる。

「いつものおねだりか?やめろやめろ。此処から先はそう甘くねえんだから。本当に命が関わってくるときには、何が何でも連れ戻すからな」
「…ちぇ、まあ、仕方ないけど……」

納得がいった様子が見られるヴァルカを未だ疑う姿勢を崩さずに、だが先を急ぐこともあり、ユークリッドは流れる水を気にする様子もなく水路に入り込み、はめ込まれていた鉄格子を外した。

「ここから先、一度は完全に潜らないと通れないところもあるが…まあ、無理はないレベルだ。行くぞ」
「それ『お前基準』じゃないよな?」
「ぬかせ!」

ヴァルカを先に進ませ、鉄格子を嵌め直してから、ユークリッドも続いた。
水路の中は薄暗い。エネルギーの結晶体である魔石に意識を注ぎ、魔力を込める。ほう、と穏やかな光が灯り、その足元を照らした。水は少し高く、膝下まであった。もうすでに入り込んだ水を靴の中から掻き出したい衝動に駆られるが、ここでは靴を脱いだほうが危ないだろう。

「魔物は出ないよな?」
「ここはまだ。王都警備隊の領域内でもあるからな。よっぽどのことがない限りは入り込まないし、いたら結界に反応するだろうからな」
「ふーん、やっぱり平原に出てからか」
「その前に湖だな」
「は!?通り抜けないのかよ!?」
「地形からして無理があるだろ…」
「泳げってか?あそこを?」
「そう騒ぐなよ。俺がいるだろ」
「それは!そうだけど…」

だせえじゃん…。という言葉を言う前に、ユークリッドがヴァルカを引き止めた。

「足元」

照らしてよく見てみると、水の色が深い。水深の変わるところだったようだ。
鋭い顔つきで口を開くユークリッドは、気をつけろ、と静かに言った。

「そんなんでやっていけんのか?」
「…わかってるよ!」

ガシガシと首後ろを掻いて、平静を装った。
すぐにいつもの軽口を叩く顔になるユークリッドに安堵しながら、ヴァルカは息を吐き出す。
どうやらユークリッドの「潜る」と言っていたポイントもここだったようで、早速、互いの身体にロープをくくり始めた。

「暗いから、すぐに逸れるだろうな。灯りがあっても視界が悪い。だから俺が先導する。もし息が、視界が保てなかったら、そのロープに引きずられてこい」
「ひっでー……、仮にも……」
「『それ』はここから先通用しない。ってこと、わかっとけよな」
「……わかったよ」

目を合わせ、合図をする。
此処から先は、命の危険と隣り合わせだ。
覚悟を決める。
外套の裾を少しこすって。
息を止めて、沈み始めたユークリッドに続いた。





暗い。
音がしない。
いや、する。
空気の音。
水がかき乱される音。
服がはためく。
息が少し苦しい。
視界がぼやける。
ユークリッドが見えた。
ユークリッドが見えた?
白く靡く。
はっきりと見え始める。
光?
光!
外か!


ざばっ!
音を立てて頭を水面から出す。
不足していた分の息を一気に吸い込むも、同時に水まで喉に入ってきてしまう。
むせて咳が出る。
気を抜いて沈みそうになるのを、誰かが引き上げた。

「ほら、しゃんとしろ」
「うっ、え、げっほ」

ざばざばと音を立てて水面をゆく。ユークリッドにほぼほぼ背負われている状態だというのがわかる。
手に温かいものが触れる。
土だ。土と草。
視界がままならない中、手探りで陸地に上がる。
気管に入り込んだものすべてを吐き出すくらいに、咳をする。
息が落ち着いて、寝転んだ。
やっとこさ開いた眼に写ったのは、青色だった。

「……ひっろ」

何も遮らない青。澄み渡る青。見たことがあるのに、どこか初対面のような気がして。

「……泣いてンのか?」

頬を伝う感覚はわからないほどに濡れている。だが熱くこみ上げ、じわりと滲むように温めた。
拭うようなことはせず、ただただ呆然と、ヴァルカは空を見続けた。

「オレ、やっていけるよ。これから初めてづくしでさ。すっげー迷惑かけると思う。でもその全部乗り越えてでも、この『世界』を見て回りたいって気持ちがある」

勢いをつけて、起き上がると目の前には先程までいたとは思えないくらいには違うものと感じられる王都が写った。

こんなものだったのか。
なんと小さくて、美しい。

「親父がこの国も街も好きだって言ってた理由の、ほんの一部だけど、わかった気がする」

濡れたことが気にならないくらいの高揚感だった。
いつも以上に胸に息が入って、目に写るものすべてを焼き付けたくてたまらない。
先程まで感じていた、かけらほどの不安も吹き飛んだ感覚に走り出したくてうずき出す。

「ユーク、案内してくれよ。お前の知ってるもの、お前でも知らないもの、全部オレに見せてくれ!」

ついていくばかりだったヴァルカが行き先も知らぬまま走り出す。
服を絞るのも忘れて、くるくると平原を歩き、唐突に転げ回って、笑い出す。
そんな様子が珍しくて、それほどの喜びが感じられて、ユークリッドは仕方なさげに微笑んだ。

「おーい、行くぞ、ヴァルカ!」

一度目では反応を返せなかったみたいで、まだ喜びを抑えきれないでいるヴァルカに、ユークリッドはもう一度、更に大きな声で呼びかける。

「ヴァルカ・フォルサンテ!」

振り向いて、自信有りげに、返事をする。

「おう!」





願いはある。
夢もできた。
これから先に何があってもくじけない自信がある。
すべてを見たい。焼き付けたい。
いつか帰る日が来るまで。
なにもあきらめたくない。
この先にある、何もかもを!







ねがいのつるぎ





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