「…そこのあなた、止まりなさい」
後ろから、今しがた会釈を済ませて通り過ぎたお偉いさんに声をかけられた。なんだよ、何が気に喰わないんだ?
面倒くさいがここで逃げれば処罰される。というかなんだって今しかもこんなところにこんな人がいるんだよ…。
「ァす…なんすか…」
《こら、カガリ、魔法局局長よ!もっと礼儀正しくしなくちゃ!》
内側から非難するシアの言葉を無視して、カガリはその魔法局局長…アレシア・アルラシアに向き直った。
なんでこんなことに。
こんなパシリ頼まれてやるんじゃなかった!
手の中にある大量の戦法資料は軽くなることはなかった。
クリスタリウムの片隅で、カガリは冷や汗を垂らす。
「あなたの中の…ソレは、なに?」
その言葉に、シアもカガリもどきりとする。いや、シアはどきりなんてできない。そんな器官は今見せかけしか無い。
ともかくいきなりのことにカガリは内心焦っていた。
「…は?なんすか、ソレって…俺、」
「わからないはずがないわ…あなたはソレと調和している…。ソレは…ファントマ?人の魂…?こんなことはいままでには…」
《…局長は…なんて言ってるの?》
「(さあ…。でも局長は、お前に気づいてるよ、それは確かだな)」
今、こんなことはいままでにはと言った。伊達に九組に特待生として選ばれてない。この程度ならカガリにも普通に聞こえる。
さあ、ここで局長からいくら聞き出せるかが問題だ。間違っても魔法研究のモルモットになんてなりたくはないぞ!
警戒として、一歩引く。いざとなったら逃げ出して、研究材料になる前に蒼龍に亡命しよう。カガリは心のなかでそう決めた。
シアにできることなんて今は何一つなかった。相手は魔法局局長だ。相殺魔法を知っていてもおかしくないし、そんなものなくても一捻りできるだろう。なぜだかわかる気がする。
シアもカガリも、この女には勝てないと確信が持てた。
「…あの、なんなんすかね。『ソレ』とか、よくわかんないすけど…。俺になんかあるンすか?」
「…仕方ないわ。私のためにも答えてあげる。あなたの中に今、二つの…魂がある。片方はあなたのもののようね、でも片方は…これは…」
さすが魔法局局長。自身で解決するためにも語るのだろう。でもまだ語っていない部分がある。それはまだ『口から出ていないもの』ではなく、『出すときに言い方を変えて確信から遠のかせたもの』だ。何を知っているかはシアにも考えが及ばなかった。
「…コレ以上は機密に関わるわ。あなたには話せない。…行っていいわよ」
「ウス」
資料を抱え直して、カガリはそこを立ち去った。
《詳しくは、なにも聞けなかったね》
「(馬鹿、あれ以上聞いたら何があってもお陀仏だ。たとえ蒼龍に逃げても追ってくるぞ!)」
《そうね…。朱雀の上層部は魔法に関しては神経質だもの》
シアも以前、任務としてそういった機密に関わるものの排除に関わったことがある。もちろん、詮索をしてはならないものだ。それに排除は成功した。その任務のことはほとんど覚えていない。
《…わたし、あなたの妄想じゃないみたいで、よかったな》
「(次そんなこと言ったら俺の身体から出て行ってもらうぞ)」
シアは即座に謝り、その日一日カガリの機嫌をとり続けた。
「…一つの体に、二つの魂…」
「そんなことがあり得るとは…」
「死の忘却はどういった作用を…」
「いえ、そんなことより、あれが私の邪魔をしないか…」
「…こうなったら、引きこむしか無いわ。…足を引っ張らないといいけど」
結局わからずじまいの不完全燃焼なまま、シアとカガリは教室に戻ってきた。
資料を教卓の上において、カガリは自分の定位置に戻る。
教室内に決まった席はない。自分がこの日はここがいいという席に好きな様に座る…どこのクラスもおんなじようにしているらしい。
《もっと、確かなものなのかと思ったけど…。やっぱり私って幽霊なのかな》
「(それでいいじゃねーかもう、困んねーよ)」
《困るわよ!このままじゃ、このままじゃ私…》
あ、これだめだ。
カガリはそう確信して身構える。
最近、シアは変に力をつけてきたのだ。その力こそまさしく幽霊のなせる技。
通称、ポルターガイスト。
《クラサメくんと、クラサメくんとお近づきになれないじゃないっ!》
噴火したように、積み上げた資料や黒板消し、チョーク、終いには部屋の端にあったゴミ箱、その中身さえ。
これがカガリの体内にシアが入っている状態ならばまだよかった。またカガリが救急搬送されるだけだ。ただこの状況は、
「おい、やめろって!掃除するの俺…ていうか今俺以外誰もいないからって…!」
シアがいる場所をカガリが触れても空を切るだけ。シアはすでにこちらを見ていない。天を仰いで頭を抱えてウンウン唸っている。
空中に浮かぶ紙やチョークなどは回転のスピードを高める。今やこの教室の天井付近は渦潮が発生しているかのようだった。
カガリがどうにかしようと慌てていると、教室の外からがやがやと騒音が聞こえ始める。
「や、やばい」
《ぶつぶつ…ぶつぶつ…》
もうシアの状態がわからない。
愛しの人の名前をところどころつぶやいているのはわかるが、あとはわからない。いやわかりたくない!
どうするか、あと10秒!
こんなの大事件・・・そうだ、事件性だ!
嬉しくないことにカガリ自身、シアのせいもあり既に事件性の塊だ。いまさらちょっとやそっと、何があってもおかしくはない!
この間3秒。
4秒目のカガリが起こした行動、それは、
ゴッッ
ズルル…
《…ぁ?カガリ?》
ピタ。
その異様な音に気づいたシアも、ポルターガイストを止める。空中に浮かんでいたものはぽろぽろと床に落ちた。
ゆかに落ちたのは小物だけではない。
カガリが。
教室の机の上に血痕を残して、意識も落として倒れていた。
軽くどころではなく事件現場だ。
「でさ〜それがまたプリンでさ」
「おいおいそいつはモルボルだな」
「だろー…、うん…」
「おお…?」
10秒目。きっかり10秒目に九組の面子は教室に入ってきた。
彼らの目に映る自身の教室はそれは清算な光景で。
散らばる紙やチョークや黒板消しにゴミ。
その中心で、頭から血を流して横たわるトラブルメーカー、カガリ。
誰もどこがつながっていて何がどうしたのかをこの場で全て理解できるものはいなかった。
とにかくわかるのは、またカガリが重傷だということ。
「カ…」
《カ…》
たっぷり驚きと恐怖を込めて、間を開けて、
「カガリーーーッ!!」
《カガリ〜〜〜ッ!!》
そのばで死屍累々とかした仲間の名を呼んだ。
「ゆ、ユーレイ」
カガリが最後、運ばれる前に残した言葉により、事件はさらに迷宮入りしたのであった。
その事件の犯人は、カガリの枕元でめそめそと夜泣き続けるものだから…。カガリの平穏な日々は未だはるか遠くに影すら見せないのであった。