仕事中毒症候群 | ナノ


▼ 仕事中毒者の日常 Act.3


部屋を出たら、白い照明が目に痛かった。第五音素でできた灯りは彼女の白い…白すぎる肌を、余計に白く見せる。

彼女の名はシキ・ハイランダー。

マルクト帝国軍譜術研究主任兼臨時軍医だ。
若くしてその地位に上り詰め、その人生のほとんどを研究に費やし、多忙な日々を送っていた。
だが、彼女にとって研究とは早く終えてしまいたい、さっさと家に戻って寝たい、明日は昼まで寝ていたいと思うようなものではなく、彼女自身が楽しみ、生きがいとしているものであった。
とどのつまり、別に主任になどさほどなる気は無かったわけなのである。なるべくしてなった、ただそれだけ。



彼女は今、研究ついでのデスクワークを終えたところであった。
つまるところの、上司への報告書。
たとえ研究主任であったとしても、上には上がいた。
その上司のところへ書類提出を済ませ、ゴミ袋をごみ捨て場に投げ、そして今、食堂で新しいコーヒーを淹れて、一息ついたところであった。
時間外れの食堂は人もまばらで、シキ以外の人間は食堂のおばちゃんくらいのものだ、ゆっくりとコーヒーを啜って休憩している人も、シキくらいのものだった。

「はァ…」

コーヒーがなにも入っていない胃に染み渡る。いかにも不健康だが、それを理解しても、シキは休む気など毛頭なかった。
まさに、仕事が恋人。パートナー、夫、墓を共にするもの。
そう周りに言われてしまうほど、彼女は仕事と研究を繰り返していた。
部下からはよく、休んでくださいと泣きつかれたりしながら。
シキも、たまには休もうかとも思ってはいるものの、仕事をするうちに出てくる謎や発見が、彼女を休ませない。
ただそれだけだ。
久しぶりに部屋から出れば、周りからは奇異の目で見られる。主にその特に手入れをしない身なりのせいで。
そして、人は彼女をこう呼ぶ。

仕事中毒者…ワーカホリック…と。

始めて聞いた時は、あまり気を荒立てない彼女も流石に腹を立てた。

"心外だ!外れてはいないが、失礼だ!"と。

そんな中毒などと言われれば、流石に彼女も怒る。
怒った彼女をもう見ないようにするためにも、誰も彼女を仕事中毒者とは呼ばなくなった。
だが、ただ一人、彼女を仕事中毒者《ワーカホリック》と呼ぶ人物がいる。
シキは、その人物を苦手としていた。
その人物は、いつもいつも彼女の仕事や研究を邪魔してくるからだ。
仕事中毒者と呼んでくることにはなにも思わないが、それだけはいただけなかった。
いつもいつも、何かと理由をつけてシキを仮眠室や救護室にぶち込む。
鉢合わせたら、そう、いつも…

「おや?…シキではありませんか」

こんな感じで薄ら笑いを浮かべながら…

「ッジェイド・カーティス!」

ガタッ、と大きな音を立てながら、シキは勢い良く立ち上がった。
背後にいたのは、ジェイド・カーティスという男。
シキが目の敵にしている存在であった。
噂をすれば何とやらということか、奴は現れた。

「酷いですねぇ。何も、そんなに警戒しなくても。…悲しくなりますよ」

悲しんでいる風もせず、登場した時からそのポーカーフェイス保たれていた。

「ふん、悲しくもないくせに、よく言うよ。…で?天下の死霊使い《ネクロマンサー》殿が、こんな一介の研究者にどんなご用ですかね」

座っていた椅子を間に挟んで、盾替わりに使いながら、いつでも逃げ出せるようにする。
シキはジェイドに捕まってしまうとろくなことがないということをよく知っている。もう何度も同じことをされたから。
まるで慣れない猫の様だと思われているとも知らずに。

「はぁ…用事がなければ会いにきてはいけないというわけではないでしょう?」
「あぁー、そうだな、ごもっともだ!じゃ、私はこれで」
「まぁ、少しお茶でもしませんか。」
「しない!」

シキはコーヒーを一気に飲み干し、身を翻して食堂を出ていった。本当は二杯目を自室に持っていく予定だったのに!
ジェイドも、その後に続いて食堂を出ていった。
カツカツカツと、ヒールを苛立たせながらシキは長い廊下を急ぐ。
その後ろをまたコツコツコツと、ジェイドの靴が後を追う。

カツカツカツ。
コツコツコツ。

カツカツカツカツ。
コツコツコツコツ。

…ピタ。

その追いかけっこがいくらか続いた後、シキが折れた。
足を止めて、ゆっくりと振り返った。

「…カーティス…いえ、カーティス大佐。お仕事はよろしいので?」
「溜める性分ではないので…今のところ、問題はありませんが?」
「ですが私には仕事がまだありますので…。お引き取り願えますか?」
「フム…あなたのことです。おそらく期限はずいぶんと先のもの位しかないのでしょう?」
「…ム」

図星だ。

くっ、何がしたいんだ、こいつは!

シキの逃げ道は、確実に狭くなりつつあった。
シキはいつもこうやって追い詰められてから、連行されるのを知っていた。
今回もまた、逃げられないか…と、シキは少し、諦め気味になってきた。

「…はぁ。仕事の邪魔すんなよジェイド・カーティス…。茶はしばかないぞ」

それに、シキは茶よりコーヒー派だった。
そして、さっき一杯飲み干したばかりであった。

「フム…そうですか…。それは残念です」
「わかればいいんだよ、わかれば」

もともと、かの死霊使いと茶をしばく気なんて毛頭ない。

考えたら、寒気がしてきた…。

寒気を感じ、自身の白衣を掴み、ギュッと抱き寄せた。
だが、その行為を行うのは間違いであった。
白衣に隠されていたその細い体躯が顕になる。
明らかに人より細いその身体は、少し力を加えてしまえばぽっきりと折れてしまいそうだった。

「…また、痩せましたか?シキ…?」

その言葉を聞いて、今までに起こったことが、シキの脳内を駆け巡った。
この後、きっと良くないことが起こる。シキは今までの経験則から、そう考えた。
これに関しては、言い訳はできない。はぐらかすことしかできない。
だが、この人にはぐらかすという行為は意味を持たないだろう。

もう、逃げるしかない。

シキは直感的に、まるで野生の本能に従うように、廊下を走りだした。

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