「杉元さん!」

網走刑務所にて銃弾に倒れた杉元が、意識を取り戻したと家永に告げられ、名前は居ても立っても居られず杉元が在室している扉を壊さんとばかりに勢いよく開け放つ。
騒音を上げた扉の先には、射抜かれた頭や傷口を包帯で巻かれた痛々しい姿の、ベッドから起き上がっている杉元。杉元の足元に立っている谷垣、杉元の頭横の椅子に座っている鶴見、そしていきなり開け放たれた扉の前に立ち、体ごと扉に振り返って驚きの視線を送る月島。

「なぜ貴様が此処にいる」

そして月島の横に並び、同じく振り返ってその端整な顔にある、形の良い眉と目尻を吊り上げ凄まじい嫌悪を顕著に現す鯉登がいた。そんな鯉登の存在を名前は無視した。正面にそびえ立つ二人の間を突き破って杉元の元へ足を進めようとすれば、鯉登が立ちはだかって影を作った。

「なぜ貴様が此処にいると聞いているッ!さっさと答えんか!」

肺から空気を全て出し切らんばかりの声量であった。そんな喧しい男に名前は、杉元を心配していることを全面に表した表情を能面を張り付けた表情にすげ替え、小さな桜貝のような口から重い溜息を吐き棘の生えた声と言葉を発した。

「邪魔です。退いてください」

あと煩い。余計な一言を付け加えた名前に般若と化した鯉登は烈火の如く怒鳴り散らす。それに落ち着き払って対応する名前は心底面倒だという態度を全身から滲ませていた。お互い過熱しているせいか早口のお国言葉で罵り合っている。

「やぜろしが!おいはわいがわっぜ好かん!」
「気があいもすな。あたいもおはんこっいっ好かん。きれ」
「いもっじょはあにょん言うこっは聞っもんじゃ!じゃいごてわいはおいの言うこっをなしていっも聞かんッ!」
「ばったいやっせんあにょじゃっでな」

杉元はその光景に白石を奪還した時のことを記憶から掘り起こした。
名前は軍人家系の裕福な家庭で育ったが、大人になるにつれ好きなことを制限され、やりたくもない花嫁修行をさせられたため窮屈だと感じて出奔し、はるばる単身で北海道までやってきたと語っていた。九州にある家を出たのが約四年ほど前で将来は軍人になる兄がいて名字は鯉登。これらの話から自分を撃った薩摩隼人、鯉登少尉が名前の兄であることは明白な事実であった。
それを知った時、軍と繋がりがあるのではと疑ったが両親や兄にもう何年も会っておらず、絶縁状態であることと兄が今何をしているのか一切知らないと言われた。撃たれた杉元の話を聞いたことにより名前は兄の現状を把握したのである。
杉元が率直に聞いたわけではないが、疑われていると察し安心させるために告げてきた名前の顔立ちは相対した兄にそっくりであった。

病室で売り言葉に買い言葉を繰り広げる兄妹に月島が鎮火にかかる。

「落ち着いて下さい鯉登少尉。この方とはお知り合いで?」
「しっちょっも何もおいんいもっじょじゃ!」
「わかりません」
「私の妹だッ!」

何年も前に簡素な内容が記された置き手紙を残して出て行った妹だと苛立ち交じりに吐き捨てた。説明しているうちに腹立たしい記憶が蘇ったのか、再び名前を詰った。

「鯉登家の恥晒しがッ!貴様のような身勝手な奴が私の妹だと、血の繋がりがあるなどと考えたくもない!虫唾が走る!」
「そうですか。とりあえず退いて下さい。面倒臭い」
「落ち着け鯉登少尉。妹君に対してそんなに怒鳴るものじゃないぞ」

話半分にしか聞いていない名前に歯をギリギリと噛んで睨め付ける。そこへ鶴の一声が投入され途端に鯉登は水を浴びせられたかのように大人しくなり、月島に耳打ちをした。

「ですが妹は身勝手な理由で家を飛び出し、両親に多大な心配をかけた愚か者です。ここで怒らねばいつ怒れるかわかりません…と言っています」
「後にしなさい後に。樺太に行く前に二人で、どうして身勝手な理由で出て言ったのか話し合いをすれば良いじゃないか」

どうやら地位のある軍人となった兄が部下らしき男に耳打ちし、代弁させている異様な姿に名前は困惑した。引き攣った声で何故そんなことをしているのかと尋ね、理由が判明するとおかしいものを見るような目をした。
それにより再び兄妹喧嘩が開戦し、月島に窘められることになるのであった。